相方という概念

体を壊した時に、これ家族がいなかったらどうなってたんだろうとかなり不安になったので、今年は相方という概念について考えるようになった年でもありました…と書くと今年急にそうなったように見えますが、僕が異様に「シンメ」を信仰しているのは憧れなんだと思いますね、相方がいる人に対しての。だから結構前からそう思ってたんじゃないかと推察したりしています。

相方なので、困ったときに手を差し伸べあえれば、寂しいときに横にいてくれれば、言葉が通じれば、なんでも良いんですよ(僕が求めるにしては条件多すぎる気がするけど)。むしろ、必要以上の役割が付加された見え方をしてしまう「結婚相手」の方がめんどくさいかもしれない。相方でいいんです、相方で。

なんでもいいと言っても、それはもちろん好きな人の方が良いはずなんですが、ここでいう「好き」ってなんだろうと思うわけです。でも恋愛感情とも必ずしも一致しないだろうし、なんか正直特定してこれって言えるものでもないなと思いますね。尊敬と好きは隣り合わせなのかもしれないし、嫌いと好きも隣り合わせなのかもしれないし、なんか全部そういう感情を好きだと言っちゃった方がむしろ幸せなんじゃないかなとか思ったりもします。 変に縛りをかけて自分を不幸せにしているように思ったりします。というかそうでもしないと幸せになれないぞ…って焦りがあるのかもしれないですけどね。多分そう。まあそれだとしても相方という概念には縛りとは真逆の自由さがあるような気がして、だから良いんですよね。

あと、よく「好きなタイプはどんな人ですか」って質問あるじゃないですか。これもこれで今の時代的にどうなんだろうと正直思ってはいるしそういう問題提起はよくなされている(下の記事みたいな視点)んですが、答え方として実際にとあるジャニーズJr.がしててなるほどなと思ったのが「好きなタイプ:好きになった人」ってやつです。一見すると進次郎構文みたいな感じがするんですが、そもそも属性を好きになるんじゃなくて人を好きになるわけだから、これは極めて妥当なわけです。

好きなタイプは好きになった人。偶然好きになった人が優しい人だったかもしれないし、偶然好きになった人が賢い人だったかもしれないけど、その特徴だけを引っ張り出すのはおかしいなーと思っています。誰が思いついていつ頃聞かれるようになったんだろうあの質問。習った言葉を使いたがる生徒なので、属性が同じ人どうしで「交換可能」な感じがすごく漂ってない?とか言ってみたり。

もうなんかここまで結局何が言いたいのか分からない文章になってますね。それにしても相方がほしい。

若干考えが違う部分もありますが相方について言及してるツイートでよく覚えてるやつを貼っておきます。

「幸せにする」こと

相方について考えると、「幸せにできるか」みたいな言葉がどうしても浮かんでくるわけです。

正直自分が他の誰かを幸せにできるような気は全くしてない…というか、できるって言い方はなんか上からな感じがするので正確な言い回しに変えると「自分と生きている人が幸せになれる感じがしてない」ので、誰かそういう相手がいたとしても、幸せにならなくても良いか聞いちゃいそう。いや、絶対聞きはしないけどね(クソデカ感情で動いてるところが出ちゃってますね)。だから色々ダメなんだよという話ではあるんですが。

どこまで幸せにできる自信があって、どれくらいの自信不足を相手への感情が埋めてくれるのか、どこまでなら許容ラインなんでしょうか一般的に。付き合ってるともちょっとニュアンスが違う、あくまで相方なのよ、相方。

最悪のことを言うと、「添い遂げられるか」とか全く自信ないわけですよ。相方っぽい表現が見つからなかったのでここでは「添い遂げる」って書いてるけど、どこかの曲の歌詞で言う「ずっと君と生きてくんだね」ってアレね。勝手なことを言うと多分それはいつか現れると思い込んでる相手にとってもそうで、ここが相方という概念の自由さ故の危うさなんだろうなって思いますね。相方と呼んだ時点で、専属契約とまではいかないものの最恵国待遇的なこと程度はついつい期待しちゃってはいるものの、必ずしもそうじゃないよねっていう話なわけです。期待するのが悪いんだけどね。ここで例えに出すのはアレかもしれないけど、那須雄登は「うきなす」の片方としても「なすりゅ」の片方としても同じぐらい知られてるし、そういうことは相方概念でも普通にありそうだよね、という。怖いことを言うようだけれど、正直、めちゃくちゃメンヘラ気質という訳ではないまでも執着みたいなのが100パーないと言いきれるだけの信頼をどうしても自分に向けられないのでそのあたりが大変そう。急に話飛ぶけどその点永瀬廉は愛はあっても執着がないからすごいよね。

………それにしても、相方が必要。

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