平成決闘


2004年3月

母校高島第三中学校での卒業式である。
なかなか、思うところの多いものであった。ぼくの場合は授業中はだいたい寝ていたのでそのあたりの記憶はほぼ無いが、それでも、社会科の授業用のプリントを先生が自分で作ってきたりしていて実はなかなか良い教育だったのではないかと思っている。勿論学校内部の在り方に絞った話ではあるが……。
卒業式というのはイベントである。いや、イベントだと思っていた。何かが終わるときというのは何かをしなきゃいけないんだと、物語野郎であるぼくは思ったわけだ。
ほとんど共通点の無いショウジくんと決闘をすることになったのだった。
文章で説明するのは難しいが、「1本とってーぐーんかんっ」とか唱えながらやる遊びを皆さんご存知だろうか。ろくな説明が出来ない。手と手を合わせて相手に浣腸するような形で自分の胸の前に出し、先攻後攻を決めた上で相手が避けるまで一方が相手の手の甲を叩き続ける、という遊びだ。
ショウジくんはサッカー部、ぼくは陸上部で、ショウジくんは早稲田高校に行きぼくは誰でも行ける工業高校に行くという、一見ライバルでもなんでもない関係であったが、マジックザギャザリングに於いていい勝負をするという点でライバルだったぼくたち。
部活に忙殺されマジックザギャザリングはやめてしまったしそもそも学校にマジックザギャザリングを持ってくるわけにもいかないし、ぼくたちはその手の甲を叩き合うゲームで決着をつけることになった。
余計な説明かもしれないが遊びと言っていたものをゲームと言い換えたのは、この手の甲を叩き合うという謎のやり取りは、基本的に終わりが無いので遊びなのだが、この日に限ってはどちらかが降参するまで続けるというルールが付されたため、遊びではなくゲームになった。
中学校3年生である。中学校3年生といえば、殴って人を殺すこともじゅうぶん可能な年頃だ。なのでこの単純なゲームはかなり凄惨な内容になった。どちらのターンが長かったのかはわからないが、2人の手の甲はボロボロになった。ショウジくんの手の甲は鞭で打たれ続けたようにボロボロになり、紫色になって、ぼくも同様に紫色になったがぼくの方はボロボロというより膨れ上がってドラえもんの手みたいになった。近距離だが2人とも本気だった。そして長かった。2時間続いた。今思うとなぜ2時間も続けられたのだろうか。2時間教室でそれをやっていたわけだが、他のクラスメイトは何をしていたのだろうか。或いは2時間というのは記憶の改竄で、時間感覚がおかしくなるくらい痛かったのだろうか。2人の手は震えた状態で浣腸の姿勢でお祈りし続けた。
どちらも降参しなかったのだけれど、最終的に2人の手が車に轢かれたみたいな状態になり、体重100キロくらいの生徒会長があいだに入ってぼくらの闘いは中断された。生徒会長が怖かったわけでも規律に従順だったわけでもない。然るべきタイミングだと感じたのだと思う。それで引き分けという形で謎の勝負は終わり、その後校舎から解き放たれて、ぼくたちは雑木林の中の遊歩道で記念撮影をしたりしながらみんなで別れを惜しんだのだけれど、そんな中ぼくはやはり引き分けというのはあってはならないと思い、ショウジくんに対して、「もう一発で決めよう。ジャンケンで勝った方から顔面を殴りあって、決着をつけよう」というアホみたいな提案をすると承諾され、ぼくがジャンケンで勝ったのだが、それは一発で「参った」と言われた。
とても幼稚でアホみたいな話だけれどとても清々しい卒業式だと思った。
中学を卒業してから連絡取ったり遊んだりしたクラスメイトはショウジくんだけだった。

基本的に無駄遣いします。