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雑感拾遺:“ただあること”を聴く

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Ecrits divers : 日々の生活の折ふしに聞こえてくる“ただあることども”に耳を傾ける
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#作曲

【新刊案内】台本集『赤ずきんと死神』

筆者の作曲した歌劇(オペラ)等の台本について、このたび電子書籍の形で公開することと致しました。 ※なお本電子書籍は Kindle Unlimited に対応しております。 一人の少女の旅を描いたモノローグ・オペラ《赤ずきん》(2007) のほか、古典落語に題材を仰いだモノドラマ《死神》(2009) と《一眼国》(2013)、同じく古典落語を題材としたオペラ作品(〝ラクゴ・オペラティック〟と銘打たれておりますが)《なりひら・こぉど》(2013) と《鰍沢綺譚》(2013)

書き出し(イントロ)が肝心

先の投稿で、テンプレ的小説の書き出し文言について触れた。 小説(長短編問わず、またエッセイなどにおいても)の書き出しは重要で、その一フレーズが作品世界を象徴し、読者の注目と期待を一点にフォーカスさせる力が求められる。それは音楽においても同様だが、特に時間芸術であり、聴覚・空間において直線的な時間経過の制約を受けるため、楽譜を「(ページを行きつ戻りつして)読む」という〝振り返り〟をするのでない限り、物理的には最初の一発の音で飽きられたらそれで終わり、という事にもなりかねない。

春に寄せて…

アリア:春風の中で (ピアノ組曲《スケッチ帖》より第2曲) 四月生まれの筆者にとって、訪れる春は常に一年の節目であり、何かが終わり、何かが始まる季節でもある。四季折々、どの刻にも愉しみや喜びはあるが、初めて生を受けた瞬間に肌に触れた春の〝気〟は、常に次のステップを踏み出す力を授けてくれるように感じられる。 古今の作曲家で春を愛さない者はいなかったのではないか。とりわけヨーロッパのクラシック芸術につながる音楽家たちにとって、緯度の高い北半球の長く暗い冬を経て迎える春の陽光は

ある作曲家の帰天に想う

春天の 雲間に覗く 陽の光 求道のひとの 御霊誘わん 桃の節句の日の夜、作曲家の篠原眞先生ご逝去のニュースが流れてきた。 国際的に活躍された方である事は言うまでもないが、私の所属する日本現代音楽協会でもご縁があり、昨日はそのご葬儀が営まれるという事で、式場となる四谷のイグナチオ教会へと向かった。 十年近く前になるだろうか、現音の企画で五弦ヴァイオリン独奏とコンピュータのための作品《Mirage》を発表した時にお声をかけてくださり、特にその電子音響部分について過分な評価のお