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雑感拾遺:“ただあること”を聴く

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Ecrits divers : 日々の生活の折ふしに聞こえてくる“ただあることども”に耳を傾ける
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#現代音楽

【新刊案内】台本集『赤ずきんと死神』

筆者の作曲した歌劇(オペラ)等の台本について、このたび電子書籍の形で公開することと致しました。 ※なお本電子書籍は Kindle Unlimited に対応しております。 一人の少女の旅を描いたモノローグ・オペラ《赤ずきん》(2007) のほか、古典落語に題材を仰いだモノドラマ《死神》(2009) と《一眼国》(2013)、同じく古典落語を題材としたオペラ作品(〝ラクゴ・オペラティック〟と銘打たれておりますが)《なりひら・こぉど》(2013) と《鰍沢綺譚》(2013)

ある作曲家の帰天に想う

春天の 雲間に覗く 陽の光 求道のひとの 御霊誘わん 桃の節句の日の夜、作曲家の篠原眞先生ご逝去のニュースが流れてきた。 国際的に活躍された方である事は言うまでもないが、私の所属する日本現代音楽協会でもご縁があり、昨日はそのご葬儀が営まれるという事で、式場となる四谷のイグナチオ教会へと向かった。 十年近く前になるだろうか、現音の企画で五弦ヴァイオリン独奏とコンピュータのための作品《Mirage》を発表した時にお声をかけてくださり、特にその電子音響部分について過分な評価のお

かくも麗しき日よ…

«Jour qui viens si beau ...» (1997) シモーヌ・ヴェイユ (Simone Weil, 1909-43) の未完戯曲『救われたヴェネツィア (Venise sauvée)』のテクストに触発されて書いたアンサンブル曲。1997年の毎コン(日本音楽コンクール)に入選、幸いにも実際の音にする事ができた。 表題は戯曲のエンディング、ヒロインの少女・ヴィオレッタの台詞の冒頭の言葉から。"viens" と動詞が二人称現在形になっており、黎明の新しい日

人類も、私も、彷徨い続ける

私とエスペラントとの関わりは、知る人ぞ知る半世紀近く前に遡る。小学生の頃に百科事典の項目で見た〝世界共通語〟というコトバに魅かれ、大学書林の〝四週間シリーズ〟で自習し始めたのがそもそもの始まりだった。その後英仏独西露中その他の言語をかじり散らしていったのだが、それら外国語全般を理解するひとつのモノサシとして、私の中のエスペラントは常に機能していた。 大学生になり、あるきっかけで地元のエスペラント会の講習会に暫し通うことになるのだが、自分の音楽とこの言語を結びつける意思が当然