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OMORIについて知っている2、3の事柄

まず最初に。そして未プレイの方は読まないほうがいいかも

コンテンツは人と共有できるけど、基本的に個的な体験であり主観の範疇だ。だから評論めいたものやあらすじなどをここに記す必要はないし、ゲームへの客観的な世間の評価は関係ない。大切なのは私がそのゲームが好きかどうかということだけだ。ただこのゲームは私の心をかき乱すのでうまいことが言えない。なので思いついたことだけメモしとく。適宜編集を加えると思うし、いずれ消すかもしれない。OMORIがどういうゲームかについては他の人がいろいろ書いてくれているはずなのでそれを見て欲しい。


作のヒロイン (他者)はバジルくん

みんな気づいていると思うけど、主人公に唯一対照的な存在として描かれるのがバジルだ。男の子だけど花冠をかぶり言動も極度に中性的で実質ヒロインと言っても過言ではない。そしてこの物語のメインストーリーの中で「他者」として存在し続けているのは実は彼以外にいないことに気付く。

そもそもがヘッドスペースでの彼の仲間たちは全員がサニーの見ている夢、あるいは妄想の中の都合の良い住民でしかないのだ。もちろん現実世界の幼馴染たちもおそらくサニーのことを常にどこかで気にかけ思い続けていたのには違いない。でもね、ヘッドスペースの中でOMORIを励まし寄り添い続ける親友たちはあれ全部OMORIの幻想だ。あの事故が起きる前の輝きに満ちていた時間を何度も反芻して都合良く再構築した世界がヘッドスペース。大好きだった姉があらゆる場所に都合良く遍在し、傷ついた主人公をハグしてくれるのは彼がそうしてほしいからというその1点のみで成り立つ。

その中でバジルだけが他者だ。あの事故の秘密を共有し唯一真実(現実)を知っているバジルは早々にヘッドスペースから退去して行方不明になる。彼だけがOMORIの思い通りにならない「他者」だから。

恋人でも夫婦でもなんでもいいのだが、他者だからこそパートナーになれる。(スイートハートだって結局自分とは結婚できなかったでしょ?)ここでラカンの鏡像段階やドゥルーズの差異を持ち出すまでもなく当たり前の話で、世界の中心は自分かもしれないが認識の指標は絶対的な他者という錨が必要だ。そういう意味で、自分に関係のある親しかった人たちの中で唯一他者で在り続けるバジルだけが本作の構造的なヒロイン足り得る。というか重すぎる共依存だよねこれ。

サニー少年、その後

OMORIというゲームは一応マルチエンディングということになってはいるものの0年代の分岐型ノベルゲーみたいに、死んだはずのヒロインが生き返るルートは無いしハッピーエンドになるわけでもない。このゲームのその部分を評価している。ゲームだろうと現実は世知辛いほうがこの場合は正しく良心的だ。そして自身の罪と現実に向き合うかどうかというのはサニーの内側の決意の話でしかなく、世界はそれとは関係なく在り続ける。

最後の戦いに赴く前に幼馴染たちがかけてくれた言葉。サニーはGood ending後の世界を、その言葉をよりどころに生きていくはず。だがその言葉すらサニーのインナーワールドの夢(それが現実を反映していたとしても)でしかない。現実世界の幼馴染たちは本当にいい子たちでサニーのことを心から思っているのに違いはないのだが、真相を知らされた彼らはきっとサニーのことを許さないだろう。君の力になりたいと言ったヒロ、いつでも会いにこいよと言うケル、幸せになれるといいねと祈るオーブリー。でも3人はもう前みたいにサニーと関わることはできない。

Good endingのロールの中で最も感動的なのは事故のために果たされることのなかった姉弟の演奏、通称Final duetと呼ばれるシーケンスだ。この最も美しい形での葬送が済んだ後、彼は姉の都合のいい妄想とも決別しなければならない。添えられたサギソウの花言葉。「夢でもあなたを想う……」
世界は公平だが残酷だ。エンディングの車窓から流れる風景を見ながらそんなことを思った。

家族の不在について

過去に、いわゆるノベルゲー・ギャルゲーの類に家族がほとんど出てこないことについて論じたくなったことがあった。何故か両親が海外で暮らしていたり事故で亡くなっていたりする。これはこれでとても興味深いのできちんと論考するといろいろ見えてくることがあると思うのだが、OMORIにおける家族の不在はもっと生々しくてリアルだ。

唐突だけど登場人物の中でオーブリーちゃんが一番好きなんです。かわいいけどまっすぐでひたむき、でも一番腕っぷしが強い。現実世界でグレた後は髪をピンク色に染めて釘バットを持ち(そんな子いる?w)地元のゆるふわちびっこギャングを束ねる存在になっている。でもナイーブで傷つきやすく仲間思い。キャラが立っててとても魅力的だ。
でもそんな彼女の家庭は悲惨そのもので、父親は出奔し母は病み、どうみてもネグレクトで家はゴミ屋敷。しかも住んでいるのは屋根裏。しかもマリの事故でみんながいろいろ変わってしまう前からそうだったと示唆されている。そんな中であの人懐っこさとまっすぐさを失わなかったことを考えると本当に泣けてくる。

サニーの家族にしたってあの事故が決定的にひとつの幸福な家庭を壊してしまったんだということがあの家の荒廃ぶりを見るとよくわかる。(サニーの母は、そして父は一体どこで何をしているんだろう)
現実の街のサニーやケルの家があるブロックと、オーブリーの家のブロックとの経済格差みたいなものもきちんと表現されていてるのも興味深い。そういうアメリカの凋落した中流みたいなものをビデオゲームの中に、さり気なくきちんと描いているのは素晴らしい。


OMORIは個人的にここ数年のオルタナティブなインディーズゲーム(といってもnintendoのショップから買えるのでもはやメジャーだけど)の中で最も心を抉られたゲームだったことに間違いない。ビデオゲームにおけるストーリーとはなんなのかもう一度考えてみるきっかけになった。

これはホラーというより(だって全然怖くはないもの)取返しのつかない罪を背負った少年の贖罪までの長い旅のゲーム。

ぜひプレイしてみて欲しいです。おすすめします。





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