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法事力

(これは未完結の小説です。公開することで何か続きを思いつくかもしれないと思い、公開しました)

1.

 親父がぎっくり腰になったのは、よりにもよって祖父の三回忌の朝である。病院が開くと同時に駆け込んで、絶対安静を言いつけられていた。母親は先週から歯茎の手術で同じ病院に入院していて(虫歯の菌が神経にいってしまったらしい)、一時退院しても気を使わせるだけだし、と最初から法事に参加する気はなかった。親父の治療を待つ間、母を見舞いに行くと、
「じゃあ、智弘が施主をするしかないわねえ」
 と言われた。
——俺が、施主。法事を取り仕切る。
「いや、無理でしょ」
 どう見てもただのテキトー大学生にはこなせない。
「なんとか伸ばせないの」
「無理でしょ、この時間だったら大阪のおばさん出発してるわよ」
「いやいや、俺には無理だって」
「どうしてもこの日しかできないって、お祖父さんのお姉さんに言われて決めた日でしょ。お義姉さんもお仕事休んでくれたし、お父さんだってこの日しか取れてないのよ。あっ、ぎっくり腰になったのか。じゃあ、どっちにしても仕事はいけないわねえ」
 病人ばっかりねえ、うち。と母は笑う。他人事だから笑っていられるのだ。
「つうか、何、何するの」
 俺は完全にパニックに陥っていた。
 大学の夏休みだからと帰省して、「この日法事だから」と急に言われ友人との約束を泣く泣くキャンセルし、——ただ座っているだけの義務としか思っていなかったというのに。
 一応我が家系を説明しておくと、この家が志原の本家であり、そこの一人っ子長男である俺がいわゆる後継ぎということになっている。知っているのは代々農業をやっていて、近くに同じ名字の遠い親戚がいること。その農業も親父の代で廃業し、だだっ広く不便で汚い家に、祖母と両親が暮らしている。
 後継ぎの俺は今は神戸の私大に通っていて、しょっちゅう帰っては来るものの、家のことは任せきり、農業をやめた後の田畑がどうなっているのかとか、蔵の中どころか家中にあふれるがらくたはどうしたらいいのか、とか全然わからない。
 かなり放任主義で育てられたので、とにかく報連相が甘い家系である。法事の事実は前日に伝えられたし、母親が入院していることも帰省して知ったし、祖母に少し呆けの傾向が進行しているのは知っていたが、いつもの母親が「何々してくれない」系の愚痴(何々の中には親戚づきあいや荷物の片づけなどが入る)が、「何々された」系の愚痴(何々の中には軽犯罪が入る)へと変貌していて狼狽した。つーか、これだけ散らかっていてよく盗まれたとかわかるな。
 話がずれた。かくして田舎の一応本家(汚いけど)の法事が、報連相の甘さと数々の不運と、俺の頼りなさによってポシャりそうになっている、ということはおわかりいただけただろうか。


 法事に縁遠い人にはわからないかもしれない、田舎における法事というビッグイベントの重みは。
 親戚づきあいの希薄な現代で、「自宅で行う法事」がもはやレトロ扱いというか、絶滅しかかっているイベントであることを、俺は大学に行って知った。よく知らん親戚の葬式や法事や正月は絶好のお小遣い稼ぎの場だというのに。みんなまじかよ。どうやってDS買ってたんだよ。
 さっき俺は座ってるだけの義務と言ったが、それは俺がまだ子供だからで、親戚一同が一堂に会する場というのは他にはないので、案外年配の人はいやいやながら楽しみにしている。子供も、いやいやながら楽しみにしている。そういうもんである、法事とは。

「お父さん、ぎっくり腰になったの、今朝なんでしょ。じゃあほとんど準備は済んでるわよ。お祖母さんもいるし、お義姉さんもすぐ来るし、きたら相談しなさい」
 お坊さんの御礼と、墓参りの段取りと、会食の段取りさえ何とかなれば大丈夫。
 母の言うことを必死でスマホのメモに打ち込むが、まったく大丈夫じゃない。自慢じゃないが、合コンどころかサークル飲み、友達飲みですら感じをやったことがないのだ。部長も学級委員も、長と名の付くものからは縁遠い人生なのだ。
 救いの手は、意外なところから現れた。

「そう、美尋さん、入院しているの。そうよねえ、無理に退院して何かあったらよくないし、正しい判断だと思うわ。でも美尋さんも水臭いわねえ、知ってたらお見舞いに行ったのに、まるであたしが冷たい人間みたいじゃない?」
 父の姉であるところの友香子おばさんは、案の定一番乗りだった。
 コルセットを巻いてよたよた歩く父(車いすをかたくなに拒否した。というか、借りたところでバリアフリーからは程遠い家なので使えない気もする)を連れて帰宅すると、駐車場(四台くらい停められる)にすでに車が一台あった。友香子さん一家だ。
 玄関を開けるとすぐに左手に伸びる廊下、その右手に広がる続きの和室が今日の法事の舞台である。昨日一人で荷物を二階に移し掃除機を賭けさせられた部屋。その間父はやたらと電話をかけ、祖母は仏壇をゆっくりじっくり磨いていた。
 手前の和室の隣が居間、と言えば聞こえはいいが、台所につながる掘りごたつの和室。さらに祖母の寝室の四部屋が大黒柱を囲むように並び、すべて襖で隔てられている。
 友香子おばさんは掘りごたつで祖母ちゃんと話し込んでいて、その隣に旦那さん。そして仏壇の前から順によそ行きの座布団を敷き詰めているのが、いとこであるちー姉こと——千登勢だ。よく見ると祖母ちゃんがいる居間も片付いているし、玄関模掃き清められている。絶対ちー姉がやってくれている。昔からこういうことによく気が付く人なのだ。
「おじさん、ご無沙汰しております、智君も久しぶり。大丈夫ですか、玄関、上がれますか」
 手を差し伸べてくれるちー姉の手を嬉しそうに握りしめながら(そして俺の肩を握りつぶすようにしながら)、父は這うように和室へと入った。
「ちーちゃん、帰ってきとったんか、あいたっ!」
「無理なさらず、まずは寝てらした方がいいんじゃないですか、お母さん、お布団しいてあげた方がいいよね?」
「そうねえ、あたしぎっくり腰の人初めて見たわ。そんなに動けなくなるもんなのね、兄さん」
「友彦、あたしの布団使うかい?二階まで取りに上がるの面倒だろう」
 親父は結局居間に布団を敷き、そこから指示を出す、ということになった。
「墓へは俺は行けんから、智弘、お前がしっかりやれな」
 それから時々友香子さんに邪魔されながら段取りを聞く。
 お客さんが来るたびに、頭を下げて「よう来んさった」と挨拶をする。(これは対等の言葉なので、ちょっと堅苦しいが、「ようお越しくださいました」がいいんじゃない、と友香子さん)
 坊さんが来るまで客の相手をするのが施主の仕事だが、お前にそれは期待していない。(「ご無沙汰してます、智弘です」って言っとけば相手が勝手にしゃべるでと、祖母ちゃん。そのまま兄さんとこ連れて行けば腰の話で十分盛り上がるわよ、と友香子さん)
 坊さんは車で来るので、駐車スペースを開けておく。他の客の車は公民館の広場を借りてあるから誘導すること。(友里子の子が中学生くらいでしょ?頼んじゃえば、と友香子さん。最近会ってないでなあ。大きいなったかなあ、と祖母ちゃん)
「そういや友里子遅いわね」
「千帆ねえさんを載せてきてくれるらしいで」
「大阪のおばちゃん?あらやだ、来られたのね」
 このあたりで友香子さんと祖母ちゃんは完全に脱線した。
 そのほか、御礼は帰り際にそっと渡すこと。見食ったら各自車で墓に参ること。帰ってきたら仕出しが届いているはずだからセッティングする間を取り持つこと。ビールを注いで回ること。勧められたらお前もよく飲むこと。最後に引き出ものを渡して一人ひとり見送り、手をついて頭を下げること。お礼を言うこと。エトセトラエトセトラ。
 今まで見てきた法事が、だんだん像を結んでしっかりとしたイメージに近づいてきた。
「ちゃんと手伝うわよ、私も旦那も千登勢もね」
「友里子も、まあたぶん」
 やがて身内が集まりだす。俺はスーツに着替えるため、自室に引っ込む。入学式以来袖を通していないスーツは、着るというより着られているという感じが強いが、ネクタイをきゅっと締めながら、息をつく。
 ——やるしかない。

 結果として、役に立ったのはちー姉だけであった。
 親父はすべての客にぎっくり腰の不便さを愚痴りだし、笑い話六割反応に困る話四割という感じで受け止められていた。
 由香子さんはあちらこちらで「汚い家でごめんなさいねえ」と世間話をしたまま帰ってこず(母がいたらぶち切れていたと思う)、その旦那さんは墓に行くまでは黙々と茶を飲み続け、墓から帰ってきてからは黙々とビールを飲んでいた。
 祖母はお気に入りの末娘が久しぶりに大阪から帰ってきたのでご機嫌だったが、席に座ったままその友里子さんを離さず、友里子さんの息子、つまり従弟たちはそろって反抗期に入っていやいやついてきたのがまるわかりだった。
 祖父の関係者たち、祖父の姉である大阪のおばちゃん(祖父は婿養子である)たち女性陣はひたすら姉妹同士で祖父の思い出を語り、男性陣や近所の親戚はやっぱり黙々とビールを飲んでいた。
 これが放任主義で報連相が甘く、好き勝ってする志原の一族の「らしさ」なのかもしれない。
 ちー姉を除いて。
 ちー姉はまるで俺の秘書かのように、お客さんのお迎えに話し相手、茶の準備、坊さんの接待、客を墓へスムーズに誘導、仕出しのセッティングにビールを注いで回るのも完璧なら、坊さんにお礼を出すタイミングへの合図も完璧で、俺を立てつつ、それでいて全ての人間をうまく動かして滞るということがなかった。
「これ、やっておくね」
「智君、そろそろじゃない?」
「先に叔父さんに話通しておいた方がいいかもね」
 もし、この世の中に「法事力」なる言葉があったとしたら、それはこういう能力のことを指すに違いない。
 想像力が豊かで、しなければいけないことをどんどんリスト化し優先順位をつけ、行動する。それでいて法事という大勢の人間がいる場をよく見ていてフォローしつつ、突然のハプニング(祖母が泣き出す、親戚のおっさんがちー姉にセクハラをかます、親父が突然理由もなく不機嫌になる、引き出ものが一つ足りない、など)にも冷静に対応していく。
 年齢は二つ差だが、小さいころから面倒を見てもらっていた俺から見るちー姉は、人目を引く美人というわけではないが不美人でもなく、愛嬌があるお姉さんタイプ。確か今年就活生だったはずだが、仕事できそう感ばりばりだったので、きっともう内定も取れているに違いない。
「私?就活まだやってるよ」
 客を帰し身内だけで一息つく。
 ちー姉は山陰の国立大学に通っている。毎週説明会のために夜行バスで大阪に通っていたら資金が付き、今はバイト三昧だそうだ。何かが間違っているのは、就活がまだ先のことである俺にも分かった。
「何がしたいの?」
「それ、聞かれすぎて、今一番聞かれたくないワード」
 缶ビールをあおり苦笑するちー姉に、二年後の自分をだぶらせる。
「そうだよなあ、俺もわかんねーもん。でも、今日のちー姉見てたら、絶対仕事できると思うんだけど」
 テキパキしてるし、気づくの早いし、愛想良いし。
 今日の雄姿を思い返しながら数え上げると、ちー姉の目からポロリと一粒、涙がこぼれる。
「何で泣くの!」
「ごめん、ほめてもらったの久しぶりだから」
「正直、今日無事に終わったのはちー姉のおかげだからね!めっちゃ感謝してる!」
「やめてー、やさしくしないでー」
 マジ泣きになった。
 こんなんで泣いてしまうほど追い詰められているのかもしれない。就活怖い。
 法事力、あっても仕事に役立たないのだろうか。そんな訳ないよな、サークルの飲みとか旅行で感じしてほしいレベルだったのに。

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