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不安を涙と言葉にのせて吐き出したら、激しい目まいが突然消えた。

入院当日の朝に、以前かかった良性発作性頭位めまい症が再発。熱は無いし、じきに治るものとわかっているのでタクシーで病院へ行き、入院しました。

病棟のベッドで、起きている状態から横になった瞬間や、寝返りを打つとき、ぐるんぐるんと強めの目まいが繰り返し起こっていました。点滴治療中にも。

それだけでなく、じっと横になっているとき(特に寝返りなどの動作をしていない)にも、突然ぐるんぐるん。主治医に話すと、良性発作性頭位めまい症は、動きがあるときに起こる症状と言わているから、もしかすると違うものかも知れないとの事。とは言えおそらく良性のものであるとは思うので、様子を見て長引くようであれば耳鼻科を受診してみましょうと。

昨日、抗がん剤治療1クール目が終わったあとの腫瘍マーカーが、治療まえよりもグンと上昇している事実を知りました。まだ1クール目なので、今の時点では判断できない。悲観するのにも早すぎるタイミングのようです。6クール行う予定でしたが、ひとまず3クールを終えた時点で一度、評価を行い、もし抗がん剤が効いてない場合、この後の方針について主治医と相談する事になっています。

ところで、主治医と面談のあと、看護師長さんが、点滴を担当してくれている看護師さんと、わたしとの3人でお話する時間を設けてくださいました。

わたしは腫瘍マーカーの急上昇した数値を確認した直後でしたので、ネガティブ感情も浮かんできて、泣きながら思いを言葉にしました。治療に関係するお金の不安についても、ここ最近溜め込んでいた気持ちを言葉にしました。

涙と共に、不安やネガティブ感情を言葉にしたのが良かったのだとわたしは確信しているのですが、この後、ベッドへ横になっても目まいは起こらず今に至ります。お薬も飲まずに激しい目まいが突然治まってしまいました。

地に足のついていない考え方が好きでない人からは「エビデンスは?」 など突っ込まれてしまいそうなエピソードですが。

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ところで、小学生の頃から読み続けてきた遠藤周作先生の、未読の本を先日古本屋さんで発見し、入院中読んでいたのですが主治医が興味を持ってくださり、入院中に読み終えたので貸して差し上げました。治療とは関係の無い部分でも交流してくださろうとする、主治医の配慮もあるのかも知れません。たまたまこの本はノンフィクションもので(遠藤周作作品では珍しいかも?)主治医はノンフィクションがお好きという事、それから「異なる視点を取り入れたい」という考えを最近お持ちなのだそうです。これって、医療者にはとても重要な事ですよね。改めて、この主治医で良かったと感じます。本のご感想も聞かせて下さるかどうか楽しみです。出帆の日付を確認すると、わたしが生まれた2年後くらいに出た本のようで、言いまわしが古かったり、わたしは地理にうといので、地名や、それから馴染が無い読み方の人名にもルビがいっさい振られていなくて、少々難解に感じる本でしたが、遠藤周作先生に対する熱い想いが改めて再燃しました。そして、わたしにとって難解に感じる箇所も、主治医はすらすらと読まれるだろうなあ……と想像。笑

わたしが古本で購入したものはおそらく初版かな? ボックス入りの古めかしく素敵なデザインです。なんと見切り扱いで100円で購入。マジでお宝……✨秀吉・家康時代のキリスト教徒迫害がテーマとなっており、拷問の内容が具体的に説明されている箇所が多いため、繊細なかたにはお勧めしにくい本ですが……「グロテスクな内容が多いですが大丈夫ですか?」 と主治医に訊ねると、「グロテスクは大丈夫です」と。日常的に手術に携わっている先生には無粋な気遣いだっかも知れません。

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わたしがあとどのくらい生きられるのかわかりませんが、癌治療の効果が思わしくない可能性があるのは事実として受け止めています。少し以前から感じている事ですが、死を迎える準備をしている魂は、段々少しずつ透明になってゆくのかも知れない。わたしは他者と自分自身を許すことが下手な人間ですが、許すほうが楽だから、許すのって画期的だなって事がやっとわかってきました、実感を伴って。許して省エネで行きたいものです。誰よりいちばん、自分を許してあげたい。そう思います。