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第三話『日本古来の自然観の再発見』

「豊かな自然」が生んだもの

 ふと歩いている時に足を止め、あたりを見回すと、綺麗な川が流れているのを見つけました。ふと、視線を上にあげると、大きな山が悠々と腰を下ろしています。そして、後ろを振り返ると、地平線が左から右へ、青ーい海が、そこには広がっているのです。

 私たちが生きている、この日本という「島」は、世界の中でも特に豊かな自然環境が存在しています。そして、私たち日本人はその島で、一度も他国に支配されることもなく、脈々と自然と共に生きる文化を受け継いできました。

 「石油」や「ガス」といった資源は大変少ない国として日本はよくネガティブに言われることが近代化以降増えてきました。しかし、肥沃な「土」があったり、適度な量の「雨」「雪」そして「山」「海」の存在と、なんといっても「四季」という循環システムなど、私たちは、本当に豊かな自然環境の中で生きているのです。

 そんな豊かな自然環境の中で生きてきた先人たちは、その風土に合わせた文化を、コツコツと積み立ててきました。それを簡単に見つめ直しながら「近代」を客観的に捉えていこうと思います。

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我は「自然」の一部

 豊かな自然環境と共存してきた日本人は、「自然」に対して畏敬の念を持って生きてきました。自然災害に関しても、近年の(国土強靭化思想のような)「自然」を人間が強靭になって抑え込もうというのは、非常に欧的な思想であり、日本では自然災害に対して、「天」からの何らかのメッセージと受け取ることが常でした。何度も自然災害を繰り返すうちに、自然災害が起これば、その都度またカタチを変えて作り直していく、スクラップアンドビルドの文化が根付いてきたのです。

 そんな「自然」との共存の中で、良くも悪くも様々な姿を見せてくれる「自然」に対して、先祖たちはある種の「霊魂」が宿っていると感じてきました。これが俗にいう「アニミズム」というやつでもあります。汎神論的自然崇拝の下、自然には絶対に逆らわず、「自然」の流れに従って自分たちのカタチを変えていくのが日本の伝統的な「自然」との寄り添い方でした。現代を生きる私たちにも少なからずその感覚は残っています。

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 自分たちではどうにもできないことが、この世界にはたくさん存在するという共通認識が日本人の心には宿っていました。また、「自然」の中にたくさんの感動を見出し、「自然」に感謝をして生きてきました。「水」資源が豊富な日本では「全てを水に流す」という言葉にもあるように、我は水、水は我、という感覚を常に持ってきました。

 「自然」の世界は、人間が「言葉」で理解する世界よりも、何倍も広くそして奥深いものとして捉えてきました。茶道や庭園、和風建築、生け花、書道、和語、和文、和歌、和服、和食など、伝統文化や作法などの至る所にこの考え方は現れています。

 ありとあらゆるものに命や魂が宿ると感じてきた日本人たちは、ありとあらゆるものと誠実に向き合ってきました。敵に対しても広い心を持つこと、皆を自然の一部として見ることは至極当たり前のことでした。

 とかく日本人は、寛容な心や情緒的な精神性、結のような利他心などを育んでいくことができたのです。

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多神教を「感じる」自然観

 前述したように日本人は、多くの霊的で神秘的な体験と共存して生きてきました。その中で重要だったのは、圧倒的に「感じる」ということでした。

 一方、欧州などの文明では死者の保存や復活を願う思想が中心でした。「人間」の尊さや種のアイデンティティを「信じる」ために色んな哲学や文化が発展していきました。勿論「人間」という概念も欧州発祥の思想です。

 「信じる」ではなく「感じる」を大切にしてきた日本人は、外国から入ってくる宗教に対しても「感じる」姿勢を大切にして向き合っていきました。

 もともと前述した自然との共存関係から日本ではあえて言うなら汎神論的な多神教の文化が根付いていました。そこに仏教が伝来してきました。仏教は無神論的であり汎神論的な宗教だったので、日本ではよく受け入れられました。その後多数の宗派へと別れていきましたが、時に利権争いや考え方の論争は発生したものの、どこかがどこかの思想や神を否定するような争いはほどんど発生しませんでした。

 その後江戸時代になってキリスト教の伝来もありました。列強との対峙関係から一時は弾圧されましたが、その後やはり日本は様々な思想に対して寛容な国であり続けました。今でも日本では様々な宗教の祭日を当たり前のように取り入れていたりします。唯一神を持たない(信じない)ということは、様々なものに対して寛容に柔軟に捉えることが可能となったのです。

 今でも日本人の多くが心の底では「〇」や「×」で語られるこの世界のいろんなことに違和感を持つのはそのためです。何が「正しい」か、何が「正しくない」かということを人間が決めることなど、ゲームをする時により楽しむために「勝ち負け」を決めるのと同じような本質的には無価値なもの、という感覚が強くあるのです。

 世界の真理は我々が信じようが信じまいが、「自然」とそこに行きつく場所を指すと、我々日本人は「感じ」て生きてきたのです。

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文化を受け入れ調和する

 日本の文化の誕生は縄文時代までさかのぼります。その頃から日本では無数の民族が点在し暮らしていたと言われています。前述したように利権や土地や食料の奪い合いなどは昔から多数ありましたが、思想の違いによる争いはほとんど巻き起こりませんでした。

 「稲作」や「漢字」そして「仏教」など、日本人は昔から海外文化の輸入に寛容でした。外から来たものをすんなりと受け入れて、自分たちの文化と擦り合わせながら柔軟に変化させて独自のカタチに変えていく作業を得意としていました。例えば、「漢字」を平安時代から「ひらがな」に変化したり、「漢字」そのものさえも変化をさせてきました。「仏教」は、日本の僧侶がたくさんの宗派を作っていきました。

 もともと、他者を拒絶するという感覚がなかったのか、自己を守りたいという感覚が無かったのか、どちらですかという問いには、「どちらもなかった」と答えるのが一番近いのかもしれません。このシリーズの第二回でも述べたように、「個人」や「主体」という概念は非常に欧的なもので、日本にはそういった概念は存在しませんでした。

 また近代以降もこういった調和と変容の文化性は至る所で発揮されています。例えば、高度経済成長以降日本を支えた「自動車産業」は、海外から輸入されてきた「車」という概念を日本人が受け入れ、そして調和させて変容させることで、圧倒的な力を発揮するようになりました。(一方で村社会的な文化も根強く残っているので、異文化を受け入れるまでには多大な警戒心を持ち、ある程度の時間が必要になります。)

 近代以降の日本では、イノベーションを起こすのが圧倒的に難しい環境を作ってしまいましたが、調和と変容のチカラは今もまだ持っていると言われています。ありとあらゆることに乗り遅れたオワコンの日本が復活を遂げるためのカギはここにあるのだと数多くの有識者が語ってきました。

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 さて、第一回、第二回でも何度も述べてきたように、近代化以後(or日露戦争以後or関東大震災以後)私たちの生活の奥底まで浸透してきた欧的・近代的価値観は、私たちの持っていた東洋的自然観を瞬く間に忘れさせていきました。そして、それは高度経済成長以後の核家族化などによってより急速に進行していきます。

 自然に逆らわず、活用して共存してきた生活様式は崩れ、地面の土はコンクリートでほとんど隠され、コンクリートの塊にぎゅうぎゅうに押し込められて人は住み始めました。教育も変化し、資本主義社会を背景とした「富国強兵」「殖産興業」を掲げて、人々の心はそれ一色に染まって行ったのです。

一から全へ、全から一へ

 ここまで述べてきたように、日本人は自然豊かな風土の下で独自の文化性及び精神性を育んできました。ここまでの記述は非常に重要です。書きそびれたこともたくさんあるかもしれませんが、中心となるここまでの記述を深く自分自身でもう一度考えて、手触り感を持って腹落ちさせてもらいたいところです。

 さて、ここまで記述したことがらのほとんどが、今、私たちが生きるこの世界の至る所で失われていることを再認識できれば、さらにその奥へと思考を深めていくことができます。

 日本で育まれてきたような自然観や宗教観は、人々のアート的な感性を引き出す手助けにもなりました。「言葉」に埋もれた私たちには気が付かないことがたくさんありますが、「自然」に埋もれた人々は圧倒的な奥行きと広がりを持つ思考を持ち合わせていました。

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 ある一つの風景について記述した短文、つまり俳諧は、ごくごく少ない言葉で、その世界観全体へ視野を広げさせ、そして世界の真理にブワッと広がる感覚を持たせる日本独自のアートでした。これは、非常に重要な話で、私たちは、この力をめちゃめちゃ失ってしまいました。そして「学校」という小さな世界で従順に真面目に取り組んできた人ほど、喪失の大きさは大きくなるという、不条理な現実も突き付けられています。

 例えば、学校では、「タスク」がいくつも与えられます。「課題」「提出物」「テスト」「練習」「単元ごとの学習」「科目ごとの学習」、、、それぞれが独立した「やらなきゃいけないこと」として脳みそに焼き付けられます。ほとんどの人がそれをこなすことに必死になっていき、教師はタスクをこなすことを大いに褒めます。すると、それぞれの「関係性」を思考することはなくなり、「比べて選ぶ」こともなくなります。

 これが習慣化すると、物事を「結びつき」で繋げることも、「スケール観」や「重要性」で比べることもどんどん苦手になっていきます。しまいには、目の前にある「タスク」を箇条書きで並べて一つ一つこなしていくことで満足する人間が、世に溢れることになりました。

 こんな社会では、「息苦しさ」がどんどん増していきます。人々が本質的にやらねばならぬことを見極めることが困難になり、知らぬ間に人を殺す薄情で冷たい人間がマジョリティになっていくのです。

 「一つのことは、この世界全体の一部に過ぎず、この世界全体は一つの事物がたくさん集まって出来ているに過ぎない、つまり全ての事物は繋がっていて、関係のないものなどないのである。」という日本古来の自然観は無残なまでに失われました。

 この喪失は、現代の様々な問題の根底に影響を与えており、ディストピアな未来へ突き進む原動力にもなり得ています。

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 今回の日本古来の自然観の再認識は非常に重要でした。これを認識することが古来への回帰のみならず、新しい自然観の発達へも繋がっていくはずです。

 さて、次回は、失われた自然観を取り戻すために、をテーマに書こうと思います。また、一から全、全から一へ、その感覚を取り戻すための方法論を、第一回から第三回までをヒントに探ってみようと思います。

(つづく)


大丈夫.