日本が20年ぶりの首位通過! 歓喜のスペイン戦をデータで振り返る
この記事は、自社メディア『The Analyst』からの転載記事です。
元記事はこちら:Japan 2-1 Spain: Japan Shock Group of Death, Spain Slyly Slide Through
『The Analyst』では、グループEから勝ち進むのは、2位通過が一番いいだろうと最初から主張してきた。おそらくスペインも、ワールドカップ決勝までの道のりの厳しさに気づいていただろう。だが、木曜日の夜(日本時間の早朝)の展開では、グループステージ突破すらできない可能性もあった。とはいえ、日本の気迫あふれるプレーは、第3戦に想像を絶する大混乱をもたらした。
日本の後半のパフォーマンスは、記憶に残るものだった。今大会のグループステージで、ワールドカップ王者の2チームを相手に逆転勝利を飾り、死の組を首位で勝ち抜いた。決勝トーナメント1回戦では、日本はクロアチアと、スペインはモロッコと対戦する。この結果、ワールドカップにおいて前半をビハインドで折り返しながらの勝利を、1つの大会で2回挙げたのは、1938年大会のブラジル、1970年大会のドイツに次いで、日本が史上3チーム目となった。
試合開始まもなく、スペインのゴール付近でボールを奪取した日本は、早くもその予兆を感じさせた。8分、日本は相手ペナルティエリアの端でセルヒオ・ブスケツから奪ったボールが伊東純也に渡ったが、シュートはニアポストの外側に外れた。後半の逆転劇も同じような展開から生まれることになるが、まずは試合序盤について振り返る。
スペインに痛めつけられるまでに長くはかからなかった。右サイドバックのセサル・アスピリクエタからのボールをアルバロ・モラタが頭で合わせ、今大会の自身3点目を挙げた。モラタがチェルシーに所属していたときに奪った公式戦24得点のうち、8得点をアスピリクエタがアシストしているが、スペイン代表でのアシストは、これが初めてだった。
モラタは、スペインの今大会最初の2試合において、69分間の出場で2ゴールを挙げていた。日本戦の前半11分に3点目を挙げたことで、1950年のテルモ・サラに次いで、ワールドカップ初出場から3試合それぞれで得点を挙げた史上2人目のスペイン人選手となった。
また、この得点を決めた時点で、モラタの主要大会における代表でのゴール期待値(xG)は、実際に挙げた得点数とまったく同じ、9.0だった。
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リードを奪ったスペインは、ボールを保持し続けた。特にアクションを起こすことなく、ボールを回して前半の残り時間を過ごした。責められるべきことではない。なぜなら、他会場のドイツもリードしていたので、彼らにとって(グループリーグ突破の)脅威となるものはなかったのだから。
状況はたった1分で、がらりと変化した。
48分、日本は再びペナルティエリア内でスペインにプレッシャーをかけ、堂安律が素晴らしいシュートで最初の得点を奪う。その3分後には、田中碧のゴールで2点目を挙げた。日本が大会を勝ち残っている間は、この得点の前のプレーでボールがラインを割っているかどうかの議論が続くだろう。
この逆転弾は、「死の組」が日本の首位、スペインの2位で終わることを意味していた。しかし、コスタリカがドイツから58分と70分に得点を奪い逆転したことで、スペインの決勝トーナメント進出が危なくなった。ドイツは最も突破の可能性が低かったが、その3分後から3連続ゴールを挙げてスペインを敗退の危機から救った。
グループE最終戦後半に訪れた大混乱に紛れて、忘れられてしまいそうなのが、日本の戦術がいかにうまく機能していたかという点だ。そのうちの一つが、選択的プレスだ。この試合まで、日本は高い位置でのボール奪取16回から、シュートにつながったのは1本だった。スペイン戦では、同位置での6回のボール奪取から2本のシュートを放ち、そのうちの1本があの重要な1点目となった。
この試合の日本は、ワールドカップの試合に勝ったチームとして、記録史上最低のボール支配率(17.7%)を残した。また、この勝利で日本は、史上初となる2大会連続での決勝トーナメント進出を決めただけでなく、開催国だった2002年大会以来、20年ぶりとなるグループステージ首位突破を果たしたのだ。それも、「死の組」で。
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