怒りを通り越してあきれたけれど、希望は失わない
政治が絡んだ記事を書くのは、正直どうにもためらいがちになる。
安易に書いていいことではないとも思っている。
けれど、今、国が緊急事態を迎えていて、何かしら声をあげないといけないのではないかという気持ちもどうにも収まらないので、あえてこのnoteに今記していこうと思います。
目と耳を疑った総理の発信
ここ数日世間を騒がせている総理大臣の動画発信、多くの方がそうだと思いますが、私も目と耳を疑いました。
今、日本は間違いなく危機を迎えています。病に苦しんでいる人、生活に困っている人がたくさんいます。
そんなときに、国の危機に先頭に立って立ち向かうべき人が、優雅にお茶を飲んだり、ペットと遊んだりしている姿を発信する…って、あまりに無神経ではないでしょうか。
総理の発信の言葉を一部引用しますが、「友達と会えない、飲み会もできない」と書いていらっしゃいましたが、今、国民の多くがつらいのはそんなことじゃありません。
病で生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人がいる。家族を失って悲しんでいる人もいる。
そして、病の人を救うために最前線でつらい戦いをしている人たちだっている。
仕事がなくなってしまった、お店潰れるかもしれない、このままじゃ家賃が払えないかもしれないと深刻に生活に困っている人もいる。
そんな中で、国のトップが発信したのは、「飲み会に行けなくて、友達に会えなくて苦しいかもしれないですが、家でお茶を飲んで優雅にくつろぎましょう」とでもいいたげなメッセージ。
どれだけ、この緊急事態を、そして国民を舐めてかかっているんだろうと、怒るの通り越してあきれるしかありませんでした。
「都合のいい評価しか受け入れない」ように見えた
翌日に会見を行った官房長官は、総理の動画について
「過去最高の35万を超える『いいね』をいただいている」と発言しました。
この発言、つまり、「自分たちを賞賛する自分たちに都合のいい評価しか聞こえません。受け入れません」ということなんだろうなと思えました。
それが、国を動かしていく方たちの在り方としていいのでしょうか。
上に立つ人は賞賛されるときもあれば批判されるときもありますが、それは当たり前だし健全なこと。
上に立つ人に賞賛と支持しかないなんていうのは、独裁者政治につながりかねない、むしろ恐ろしいことです。
官房長官がどういう気持ちであの発言をしたかまではわかりませんが、ただ、どういうつもりであっても、あの発言を聞いたとき「もうだめだ」とさらにあきれるしかありませんでした。
国民の税金で機能して、国民の税金からお給料もらってるのに、国民からの厳しい声に耳を傾ける気すらない政府なんてもうだめだよ。
いずれ、審判は下る。希望を失わずに
少し前までは、政府に対してまだ怒る気力がありました。
怒るというのはエネルギーを使うこと。怒るのは、つまりは怒ることによって怒りを向けている相手が改善してくれるとどこかで期待していたから怒っていたわけで。
でも、ここ数日のあれこれを見て、怒る気力も失せて、あきれはてた結果、冷静になってる自分がいます。この人たちだめなんだろうなとわかりすぎるほどわかってしまったというか。
そして、いろんな意味で、今のような状況は絶対永遠に続くものじゃないとも確信しています。
いずれ、審判はくだります。選挙にも行きます。
これから先どうなるかわからないし、不安もあるけれど、今は希望を失わずにできることをやっていくしかないと、改めて自分にいいきかせています。
希望を持っていこう。そうでないと免疫も下がってしまうから。
どうかどうか、日本もそして世界も一日でも早くコロナが収束しますように。
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