見出し画像

幕が上がる

 平田オリザ原作(2015年)の演劇を、箕面市船場の文化芸能劇場へ観に行った。高校演劇部が全国大会をめざすドラマ。
 私はなんとなく「社会派かまたはストーリー不明な芝居しか見ない」と家族に思われているが、そんなことはない。青春デンデケとか、いきまっしょいとか、書道やらブラバンやら、昔から変わらぬ人気の「教養小説」、日本版ビルドゥングス・ロマンも好きだ。

 さて、この作品、メインキャストさんが急遽代役とのことだったが、総じて良かった!
 かつて「ももクロ」主演で映画化されたらしい。今回、私が知っている俳優さんは誰もおらず。アイドル出身もいたようだが、さっぱりわからず(笑)。時々セリフを噛むこともあったが、全体が徐々にギアを上げてゆく表現、ドライブ感が見事だった。

 舞台物はテレビと違って、詠嘆調のセリフでも、ある程度の大音声を上げなくてはならない。最近のテレビ俳優は発声をちゃんと学んでいないのか、時々何を言っているかわからない。だから、舞台物はすっきり聴けてありがたい。
 初めはホールのせいか、マイクの拾う声が反響しすぎるようで聴きづらかったが、途中で音響をいじったのかな、やがて聴きやすくなった。
 今は、舞台背景の映像化が便利になった。全体がパワーポイントみたいで字幕も入れられる。照明効果も新しいホールだし美しい。

 高校時代、文化祭でのクラス単位の発表で『真夏の夜の夢』をやった。みんなサボって一部の人しか携わらなかったが、私は少し脚本をいじった(書いたというのはおこがましいから、その程度)。
 でも、その経験が面白くて、演劇や映画のセリフにもハマるようになった。フランス映画なら、ジャン=クロード=カリエールの脚本とか、なんて洒落た会話なんだろう!と思えて好きだった。

 この作品は青春譚。高校生のグダグダで怠惰な生活が、ちょっとしたきっかけ、偶然の重なり、幸運なつながりができたことで、事態は転がり始める。
 途中、挫折や事件を抱えながらも、だんだんと高揚してゆく、あの躍動感、疾走感。懐かしいなぁ、そうなんだよ、状況が動くときには何もかも全部つながる感じ、それがセリフからとってもよくわかる。
 劇中劇として『銀河鉄道の夜』。ジョバンニとカムパネルラの会話。私たちは一つであると同時にバラバラ、バラバラであると同時に一体。そう、これは永遠の命題。

 以上、前半は演劇のすばらしさについて。以下、後半はホール企画運営の疑問について。

 このホールはキョードーが受託しているらしいが、コロナ禍で出鼻をくじかれたとはいえ、やる気とノウハウはあるのか? ホールへわざわざチケットを買いに行ったのに、受付係員は売り方を知らなかった。こういうのを見ると、本当に民間は役所より優秀なのか?と思う。
 そして当日。千秋楽で1階はほどほどに埋まっていたが、2階席は見事にガラガラ。チケット会社ではなくホールが販売していた、舞台から最も遠い2階の一番奥の席、ほんの2列だけにお客さんが張り付き、ひしめいている。
 子どもの無料招待をしているらしいが、それならガラガラの席にもっとたくさん呼べよ、もったいない。どうしても埋まらないなら稼働席などを潰せばよい。よく市民会館でも、お客さんが少ない見込みならテープを張って遠い席を使わなくしていた。とにかく今回の2階席の状況は不細工だった。

 また、もぎりの受付でくれたのは、他公演のチラシが4枚だけ。今回のキャスト紹介などを何も配布せず、チラシが入っていたのも、よくごみを入れるただのナイロン袋。別に環境配慮品でもない。
 これが特等席1万円の演劇鑑賞でもらうセットかね? これが売り込みせねばならないホールのPR? 豪勢な建物と全く釣り合いが取れていない。

 あとは、前から思っているハードの問題。駅から直結の巨大なエスカレーターは事故があったら危険。その先の動線もなかなかややこしい。
 最近の建物は複雑なつくりで、意味のわからない空間が多い。そのエスカレーター付近は広場でもなく倉庫にもならないし、でも空間があるから猛烈な風が吹くときがある。嵐だと雨も吹きこまないか?
 ホールも外壁・内壁とも凝っているが、掃除や維持管理のことを全く考えていないような…。

 まだこの劇場に行くのは2度目なので、今回はチケットを買うときに「2階の端っこの安い席でいいや、様子を見よう」と思った。
 ところが、なんと手すりが邪魔で舞台の一部が見えないし、スクリーンも角度的に上部が切れて見えない。末席はそれでよかろうということか。豊能町のユーベルホールが開館当時、2階席の隅は舞台が見えない、と新聞記事になったが。

 ここに平田オリザをもってきたのも、どういう風の吹き回しかと思う。なんだか脈絡がない。
 せっかく市民参加条例があるのだから、ハードもソフトも市民の意見を聴いてからホールをつくるべきだった。そうすればいくらか問題が解消されたかもしれないし、手間はたいへんだが、苦情があっても市民の皆さんが決めたのです、と返せるのに。
 このへんが、今般の「スピード感」重視のトップダウン政策に疑問符がつくところだ。

 平田オリザには『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書、2012年)という著書がある。かつて私はこれにインスピレーションを得て、あるシンポジウムのタイトルを「わかりあおうとする社会へ」と名付けた。
 このホールの総合プロデュースは誰で、いったいどんなコンセプトなのか知らないが、平田オリザに思い入れはないのかな、ただの原作者でしかないのかな。
 彼は、例えば、城崎国際アートセンターの芸術監督を務め、アーティスト・イン・レジデンスの実践や、豊岡市のまちおこしにも深く関わっている。できれば箕面の森でそういったことを始めてほしいものだ。