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部落問題研修はいま

 大学の先生から聞いた話だが、とある市の教育委員会主催「人権・同和教育」の夏季研修で講師として招かれたのこと。小中学校などの全教員悉皆の研修という大規模なものだ。
 当日行ってみると、事前送付してあった資料が配付されず、代わりに目次のみを書いた一枚物が配られたという。既に資料は学校にも配信されたのに「置き忘れるといけないから持参するな」(?)とのお達しが出ていたらしい。
 きくと、40枚の資料のうち2枚にしか出てこない狭山事件に対する見解が市の公式見解とは異なる、と問題にされたという。そこで、断りもなく資料が配付されなかったため、2回のうち1回の講演をボイコットしたとのこと。

 このような研修・講座を、私も数え切れないくらい企画・運営したが、事前にもらった資料をチェックすることはあっても、それを伏せたり書き換えたりしたことは、もちろん無い。それではあまりに失礼だし検閲になってしまう。
 仮に、事前に読んで「これはまずいかも…」と思うことがあっても、それは講演後に事務局としてどうふるまうか、受講者にどうフォローを入れるか、という問題であって、たとえトラブルになっても講師にはなんの責任もないし、事務局が背負うべきことだと思う。

 後日、教委担当者の釈明があったらしく、事前検討会?において、「賤称語」と地名の記載、そして狭山事件が問題になったのだという。
 近年「賤称語」を使った誹謗中傷があったため過敏に反応してしまった、狭山事件を学校教育で取り上げたら共産党市議が問題にしたことがあり、狭山事件から見える教育課題はよいが、係争中の案件だから冤罪論は語ってほしくなかった(とはいっても冤罪前提でないと教育課題も見えないが)、というのが理由だとのこと。

 私も、狭山事件と聞いて最初から「あ、共産党対策だな」と思った。ただそれなら、これを決して推奨するわけではないが、いざとなれば(共産党が野党の場合)、「これは講師の見解であって、市の公式見解ではない」としらばっくれることも可能なように思えるが…。
 その後の学校に対する説明文を見ても、事務的なプロセスの失敗、段取り不足のお詫びに終始し、問題の本質を全く理解しておらず、講師の先生はたいそうご立腹でそれも当然のことと思う。

 ただ…、自分の見てきたことを振り返ると、これはどの自治体でも起こり得る話だな、と直感的に思った。行政の事なかれ主義、声の大きい者に流されやすい、主体性の無さ。
 根本的に、部落問題研修が難しいのは、部落「問題」に対する忌避意識が実施する側にあることだ。研修をさせる立場でありながら、「部落」という言葉を使うことさえ嫌がる人がいる。同和対策終結後、私は「同和問題」という言葉をできるだけ「部落問題」に差し替えたが、それにも抵抗された。要は、何もいじりたくない、ふれたくないわけだ。
 だから、部落問題研修が「リストラ」されず十年一日のごとく同様に実施されているとしたら、ニーズ把握を怠っているという問題以上に、テーマそのものに対する忌避意識があるのが問題だと思う。だから、どんどん受講者の意識や実態から乖離して、形骸化した研修が多くなりやすい。

 また、一方で、部落差別にまつわる差別語・賤称語や地名をいっさい使うな、たとえ教育啓発のためでも使うなと、ご丁寧にも市町村に言ってくる都道府県がある。(これが「技術的助言」なのか?)では、どうやって教育啓発すればよいのだろう? それでますます現場は困り果て、忌避意識が増幅される。
 特に、文科省・都道府県教委からの縛りがきつい市町村教委は、これら「上級官庁」と運動団体とに締め上げられている。そして、思考停止の果てに、ひたすら「差別語・賤称語」チェックマシーンとなる。
 私もよく教員から指摘された、その言葉は使わない方がよいと。いやいや差別をなくすために必要な場合もあるだろうとか、そもそも本当にそれ差別語といえるの?とか、私が議論しようとするといつも「忌避」された。

 思い出されるのは30年くらい前、課長から初めて議会答弁を書いてみろと言われた時のこと。議員からの質問は「同和問題を扱うな」という共産党のものだった。
 その頃はまだ過去の記録がネットで簡便に調べられる時代ではなく、半日か一日調べて、一から自分で作ってみたが、つい勢い余って(笑)、挑発的な答弁案を書いた。
 逆差別とはなんだ、同和対策は必要だからやってるのではないのか、あなたは差別発言を一つも聞いたことがないのか。さらには狭山事件にもふれただろうか、万年筆が一人で歩いたような取調べ調書があるのに、それがおかしいとは思わないのか逆にお尋ねしたい、と。
 課長はニヤニヤ笑いながら、そんな真っ向からぶつかってどうするんや、こんなものはすれ違いの答弁にしとくんや、という。「様々なご意見があるとは承知しておりますが、今後とも適切に対処してまいります」的な。こうして木で鼻をくくったような答弁ができあがる。
 これでも質問さえすれば良し、としている議員の神経も理解できないのだが、馬鹿馬鹿しくなってこんなものは二度と書きたくないと思った(が、その後何度も書くことになってしまった…泣)。