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誰も寝てはいない

 上川多実さんの『<寝た子>なんているの? 見えづらい部落差別と私の日常』(里山社、2024年)をやっと読めた。私も常々「『寝た子を起こすな』というが、差別意識だらけのネットを見ればわかるように、誰も寝ていないし、ずっと起きている」と思っていたので、共感できる表題だ。
 この本は図書館で引っ張りだこ、なかなか予約が取れなかった。バリバリに部落差別がテーマなのに、解放出版社や明石書店じゃないのがよい。里山社ってどこかと思ったら博多の出版社か。山田太一、笠原美智子、井田真木子…、へぇーなかなかセンスの良さそうな会社やん…、あ、なるほど、佐藤真さんつながりか。なによりパステルカラーの装丁がよい。他の部落問題本にはあまりないのでは。

 前半は、著者が生まれ育った家庭環境の話。皮なめし職人のおじいさんの話、君が代への抵抗、高校教師の「部落差別は無い」発言、差別発言に関するクラスメイトへの手紙、運動団体職員である父との対話、ドキュメンタリー映画をつくる、解放運動からの独立などなど。
 後半は、自らが子どもに部落差別をどう伝えるかを中心に、子育てのほか、性的少数者、フリースクール、裁判原告の体験、テレビ出演などなど。

 東京に住む活動家の娘という境遇なので一般化しにくい面はある。でも、とにかくいろいろな話題が出てきて、たくさん刺激を受けた。例えば「部落問題のドキュメンタリー映画をつくりたい」なんて、思うだけでもすごい。
 ちなみに、部落問題を扱った映画はとても少ないことを、ある先生に教えていただいた。言われてみれば本当にそうだ。だから、『私のはなし 部落のはなし』(満若勇咲監督、2022年)なども貴重だ。この映画は、少し長いのと、運動家からつべこべ言われがちなのだが、私は佳作だと思う。

 また、既存の運動団体のダメさ加減。そうだそうだそのとおりだ! 私は高校の時から、近隣にある労働組合の集会やデモに混ぜてもらったが、「珍重」されたものの、私的には全く面白くなかった。
 社会人になって、一応、何かの時の担保として組合には所属した。だが、これまでの人生で、既存の運動団体にお世話になった感はまるで無い(例外なのは、この本に出てくる「北芝」くらいだろうか)。
 著者が既存の運動と一線を画し、自分で道を切り拓くくだりには、つい「えらい!」と小さく口に出してしまった。

 さて、著者の、人生行路を論点てんこ盛りにしたい?性分には親近感を覚えたが、さらに、なんとなく既視感というか、自分の経験とオーバーラップしたのは、(後半の子育て話にもそういう点があったが)特に前半に書かれた高校時代の経験談だった。人権派?教師が生徒の声を圧殺するとか(私の頃は意見表明権なんて言葉すらなかった)、部落問題を知ってほしいとクラスメイト全員に手紙を書いたとか、そのあたり…。

 私も高校時代、よく教師とぶつかった。文化祭の中身に教師が介入してきたときは「教師は公務員やろ、公務員は市民に雇われてるんやろ、市民のいうことをきかんかい」(未成年だから「保護者のいうこと」かなとも思ったが)という発言もした。あとで自分がそういう職に就くとはつゆ知らず。口は慎まねば…(笑)

 そして、「クラスメイトへの手紙」について読むと、自分が高1のときのことを思い出した。
 同和教育については中学のときも先生によって差が激しかった。歴史の授業で副教材『にんげん』を使う先生がいるかと思えば、HRで「やりたくないけど、やれ、言われてるねん」といって『にんげん』を棒読みする先生もいた(生徒の前でそれを言うな)。高校はもっとひどくなって、その日、同和教育の授業は9割の生徒が聞いていなかった。
 …と突然、一人の女子生徒が立ち上がって、泣きながら何やら言い出した。みんなが気づいて少し静かになると、どうやら「もっとみんな真面目に授業を聞いてえや」と訴えているようだった。彼女が、当事者かどうか、いわゆる同推校の出身であったのかは知らない。
 その後、友だちはその子をなだめていたが、この事件をもってクラスの空気が変わることはなかった。それをサポートする教師もいなかった。私はそのとき既に学校に絶望していたから、余計ニヒルになるだけで、その子に声をかけることもできなかった。高校同和教育の唯一の思い出がこれである。

 それを思えば、部落差別と立ち向かい、悩みながらも傷つきながらも前進してきた著者の道のりは、このような私とは比べものにならず、輝かしいと思う。