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ニュージーランドの暮らし

 ここを見たかたから、ヘッダーの写真についてきかれることがあるので、少しふれておきたい。自己紹介欄に書いたとおり、ニュージーランド南島の「天橋立」に似た干潟の風景である。
 正確にいうと、ネルソンというニュージーランドで最も温暖なまちと、隣接したリッチモンドという小さなまちのいずれかにある風景。行ったのは6年前なので、もうはっきりとは覚えていない。私はGPSをいっさい使わないので、カメラデータもない。子どもが高校時代に留学して、約一年間、リッチモンドの学校に通ったため、ホームステイ先に挨拶をしに行ったときの写真だ。

 留学というのは、子ども自身にとって、当然カルチャーショックでもあり、苦労しながらも実り多い経験になったと思う。だが、私にとっても、たったの数日ではあったが、人生の方向を変える契機になる旅行だった。
 私は20才のとき、つまり40年前「ピースボート」に乗った(余談ながら、東京事務局の大将が辻元清美で私は大阪事務局の一員だった。船内での障害者介護をめぐってぶつかった、笑)。若いときの旅行というのは、社会経験も少ないため、どうしても物見遊山になりやすい。ピースボートにおいてすら、そうだった。
 しかし、ある程度、社会人として過ごしてから旅すると、人々の暮らしぶりに自然と目が行くようになる。

 まず、ホストファミリーについて。ファミリーとはいっても、子どもたちが独立して部屋が空いているという私と同い年の女性、一人暮らしだった。
 夫はおらず、いわゆるシングル・マザーとして子育てしてきた女性である。タイから来た子とうちの子を二人、受け入れてくれていた。
 こちらでいう保健師だろうか、週何日かパートの仕事をされているが、9時に出勤して3時頃には終わるという。あとはホームステイの収入だけ。それでやっていけることにまず驚いた。当然、それだけ給料をもらえているわけだが、最低賃金は当時でも1500円くらいあったのではないか。
 いま巷で、日本の最低賃金を1050円にするとか何とか言っているが、これだけ物価高で、シングルマザーを貧困状態に落とし込んでおいて、全くのんきな話だと思う。元々、日本は労働者の声が弱すぎるし、企業の内部留保も多すぎるのだ。

 NZで眺めていると、人々の働く様子がまるで違う。まず空港に降り立って、信号をわたると警備員のお姉ちゃんが二人、しゃがんでタバコを吸っている。顔立ちから考えて先住民マオリだと思う。駄弁ってばかりで全然動かない。と思いきや、本当に危ないシーンではピピーと笛を吹いて飛び出てくる。
 かつての日本もそうだったなと思う。24時間働いてなんかいない。セールスマンはみんな神社の森陰で車を駐めて昼寝していた。
 空港バスのチケット売り場に行くと、インド系のおじさんが「あなたはここへ行くんだろ、それならそのチケットじゃなくて、これの方が安いよ」とていねいに教えてくれた。これが日本ならどうだろう。このお客さんアホやな、と思いながら高いチケットを売りつけているのではあるまいか。

 一方で、もちろんオークランドなど都市部には「ホームレス」もいた。しかし、日本と違ったのは、「物乞い」を始めてものの30分程度で、警察とNPOに連れられて、シェルターへだろうか、すたすたと歩いて行った。みんな手慣れた感じで、警察とNPOもツーカーの様子だった。こんなスムースな連携、日本で見たことがない。

 そして、自然豊かな暮らしぶりがある。この国は食料自給率300%。人より羊の数の方が多く、道路を走るタンクローリーの中身は石油ではなくミルクだった。
 ホームステイ先の庭にもベリー系の作物が繁茂していて、朝食は山盛りのブルーベリーだという。ホストマザーはDIYも得意なかたで、自分で2階を増築したという。

 おもしろいのは、戸建住宅の販売が文字どおりの「建て売り」で、展示場に建てた家をそのまま引き抜いて、原型のまま輸送することである。引越も同様とのことで、時々、道が狭くて電柱が邪魔になって輸送できないときがあるらしい。さて、どうするか。
 日本では考えられないが、家は壊さず電柱の方を一時的に引っこ抜くらしい。当然、周囲は停電するはずなのだが、何も苦情がでないのか。というか、日本ほど過密ではないから影響が少ないのか…。

 そんなこんなで感嘆しながら日本へ帰国すると、目の光を失って表情のない労働者ばかり。これではあかんわ、日本社会はおかしいわ、と確信した。
 当時、日本の安倍首相に対して、NZはアーダーン首相である。テロの犠牲者家族への声のかけ方など、格が違う。もちろんNZのすべてが素晴らしいとか、諸手を上げて万歳なんて言わない。アーダーン首相だって、住宅政策などで失敗したとされている。
 それでも、それでもである。日本よりGDPが低くとも、世界にはもっと本当の意味で豊かな国がある、ということだ。だから、「井の中の蛙」になって国内を見ているだけではなく、世界標準の幸せを考えなくてはならない、と思い知らされた。
 今も戦乱の国々がある。戦争は言語道断だ。裏で糸を引く大国はもっと最低だ。だが、政治不信の渦の中で、豊かで幸せな国の理想像を描こうという希望をもたせてくれたのは、NZでの数日の経験だったのである。