セカイと宇宙と断面図
この世に存在するありとあらゆる存在、まだ存在していないもしくはすでに存在していない全てのもの、有るものも無いものもひっくるめた「この世界の全部」そのものを、仮に「セカイ」と表現する。
見えるものも見えないものも、あの世もこの世も過去も未来も太陽系の外側もブラックホールの向こう側もみーんな含めたセカイ。
セカイを「宇宙」と表現する人もいるけど、ここでは「宇宙」はセカイを最初に2つにカテゴリー分けをするコトバとして使う。宇と、宙。
宇は空間、場。
宙は時間、リズム。
セカイが太極なら、宇宙は陰陽。そのバランス、ゆらぎから顕れるアレやコレが、「現実」とか「認識」とか言われる分野。この分野は何層かあって、太極に近いほど遠い(薄い?)感覚になる。
この層の差を「次元」と表現することもできる。
宇宙の「宙」、私達が時間として捉えているセカイのリズム的な部分について。
リズムというと直線的だけど、空気成分の濃度比率だったり、気圧の高低差のイメージのほうが近いかもしれない。
音楽だと音符7段階、それぞれに鳴らしてリズムをつくるけど、宙のリズムは同時にファーーって鳴らされてる。
そういえば神秘的な音響ってファーーて鳴らすけど、あんな感じ。同時に色んな音があって、その濃度差が変化=リズムとして捉えられるってイメージ。
ただそのファーーーを同時に感じるのは難しくて、(私達が実際に耳で聞くパイプオルガンとかのファーーーは、やっぱり直線的な音でしかないから)実際に捉えられるのは音の断片でしかない。断片を繋いで、直線で捉えている。本当は、ファーーーで満たされている、というか、ファーーーの中にいるんだけど、中にいるからこそ、ファーーーの全体像は把握できない。
で、そのファーーー(宙、時間、リズム)の断面図を書き起こして、自分達の場(宇、空間、陰陽の陽の部分=現実に顕現するもの)との接点を見出そうとした軌跡が「暦」だと思うんだよね。
結果的に暦になった、というか。
その断面図の切り取り方で、どの接点をピックアップするかが変わってくる。暦が宇と宙の接点なんだから、どの暦で生きるのか、が使用者の宇宙を決めるってことになる。
この断面図の範囲を太陽系の天体全体でとったのが占星術で、地球上の太陽と月のリズムをうつしとった暦はそれに比べて音域が狭くなる。
広いからいい、とか狭いから不十分ってことはなく。単純に使用する鍵盤の幅がちがうだけ。
地球中心のジオセントリックか、太陽中心のヘリオセントリックかってのは、どこが主旋律かって鑑賞方法の違いであって、リズムそのものはファーーーって同時になってるんだから関係ない。あくまでも切り取り方の違い。ソース(音源?)は一緒。
ニンゲンは宇と宙の接点を暦という記号、シンボル、コトバで表現した。
植物はそれを姿形で表現しているんじゃないかな。というか、彼らのコトバは、ニンゲンのコトバと違って、色や形、におい、ふるまいや周囲との関わり方、場に顕れるあらゆる手段を駆使した表現力を持ってるってことなのかも。
宇と宙、場とリズム、両方合わさって現実がある(あると認識できる)わけだから、ニンゲンのコトバも植物のコトバも場とリズム両方の側面がある。
でも、植物のほうが場とリズムの活用範囲が広いというか、使用している鍵盤の幅が広いというか。
可聴領域が狭い鍵盤のニンゲンからすると、広い鍵盤で表現する植物のコトバを限定的にしか捉えられない。
ニンゲンでも中には広い鍵盤の範囲で、植物の音域や動物の音域、鉱物や他の存在のセカイの音色(宙)が聴こえる人もいる。
どの感覚器官で聴いているのかによって、視える人だったり嗅げる人だったり感じる人、ってふうに分かれるんだろうけど。
………昼寝しようとしたら降ってきたファーーー、のハナシ。ケータイにメモしたのをそのまま掲載。
最近は更新できてなかったけど、せめてこれだけは。
暦の術プロジェクト、こういう「暦考」は即席メリットのある占いにはならないんだけど、やっぱり私はこっちの考察をメインにこのプロジェクトをしたかったんだな、と。
トキ読み含め全然プロジェクトを動かせなかったワケは、もう少ししたらお知らせすることになるかと思います…m(_ _)m
ひとまず、ここまで!
生きてます!って報告を兼ねて。
もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!