好きを語る: amazarashi

ようやく秋の気配を見せそうな東京より、こんばんは。
秋の気配を捉えきれずに裏切られ続けている気がしますが…

ずっと邦ロックが好きだったわたしの、amazarashiとの出会いの、最初の最初は、もう覚えていない。
だけど、人生のどん底にいたときからずっと聴いていた。

急に好きを語りたくなりました。
昔から好きだったのだと古株ファンぶって言いふらしたくなりました。
なぜなら、最新のアルバム"永遠市"が本当に本当に良すぎてずっと聴いているから笑
もちろん、これまでのどのアルバムにも思い入れはあるのだけれど。
永遠市、とても好き。全部すごくamazarashiなのだけど、全部すごく新しく聴こえて。

わたしがamazarashiを聴きはじめたころ、わたしの周りに彼らを知っているひとはいなかった。
鬱屈、憤り、哀しみ、希望、きっと己の誇れるばかりではない部分を歌い上げるその音楽に、自分を重ねて浸っていた。
実際、楽しいばかりのときではなかったと思う。
東京でのライブ、渋谷WWW。
最後の最後にありがとうございました、と述べるまで、ひと言のMCもなくて、大丈夫かこのひとと思った。

だから、武道館でライブをやると知ったときとても嬉しかった。
苦労が報われた、なんていう言葉は何様だろうという感じだけれど、たどり着くまでのきっと長い長い道のりを思うと、やっぱり嬉しいとしか言い表せない。
そして武道館でのライブは本当に素晴らしくて、きらめいていた。
咆哮のように繰り返していた言葉。

今もわたしの周りにamazarashi好きはそんなにいなくて、ライブはいつもひとりで行く。
今年の東京ガーデンシアターではライブ前に読書してるひとがいたりして、さすがだなとよくわからないことを思った(他のアーティストのライブも行くけれど、開演前に読書してるひとはなかなか見ない)。
いつもひとりで行って、満たされて、ひとりで帰る。
終演後の熱に浮かされたような、知り合い同士で来ている人たちを、少しだけ羨ましく思いながら。

話を永遠市に戻す。
すごくamazarashiなのにすごく新しい、ってどうして感じたのかを分析したいわけではないから、そういうことはしない。
ただ、なんとなく思うのは、amazarashiはもうきっと孤独なだけじゃなくなって、敗けた気持ちもきっと前より薄れて、進んでいるのだろうな。
だから、わたしも後押しというか、勇気というか、進む力をもらえている気になっている。
それは"あんたへ"くらいから感じていたけれど、今回のアルバムでより濃く感じている。
進む道が変わったのだな、って思う。

ライブで聴いたら泣いちゃうかな。
前回はわたしの隣りにひとりで来ていた女の子が、ひろの途中から大号泣していた。
あんなふうに大号泣しちゃったら、わたしも誰かの目に映るのだろうか。
それまで会ったこともない、名前も知らないひとの、ライブでの姿が記憶に刻まれたなんて、思えばなんだか途方もない話だと思う。
まして、全員が同じひとの歌を、音楽を聴いている空間だなんて、ありきたりな言葉だけど奇跡的だ。
人生の闇を絞り出すみたいに歌っていたひとが、変われたという、そのことも。

ライブ楽しみ!
まとまりのない乱文を最後まで読んでくれたあなたにとって、今夜が良い夜でありますように。

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