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日本人がBlackLivesMatterを声高に叫ぶからこその身近な取り組み

人種差別がここ1週間ほど最も大きな話題になってます。その発端になった事件については多くの方が語っていると思うので、ここでは多くは語りません。とにかく人の命があのような形で失われたことへの悲しみと怒りは僕も隠しきれません。心より犠牲者、その家族、そしてそのコミュニティーの皆様にご冥福をお祈りします。

この悲しい事件をきっかけに今全米各地で大規模な反対運動や暴動が起きています。そして人種差別問題が再び大きな注目を浴びています。しかし僕が自分の人生で知る限り、こういうタイミングが今までにも何回もあり、収束し、次第に忘れられ、その間にも様々な不幸なことは繰り返され、そのうちの一つがたまに注目されて、また人種差別問題が話題にあがる というループをずーーーーーっと繰り返しています。

僕は45年の人生の中で、16年アメリカ、4年オーストラリア、6年シンガポール、19年日本に住んできて、それそれの土地で様々な人種問題にぶつかってきました。そしてこうした人種問題が世の中で特に取り沙汰される度に、僕が人種問題に関して感じてきたことを言う人が少ないので、気が遠くなります。だから、人種問題についての自分の考えを書かせていただきます。


まず人種意識と偏見について。

我々が生活する上で、他人の人種を判断する場合、大抵は見た目での判断になります。アメリカに住んでいても、顔や肌の色、髪の毛などの身体的特徴によって、この人はユダヤ系かなーとか、イタリア系かなーとか、大体のイメージで無意識に相手の人種を判断しています。会話が始まれば、実際の人種や出身地をきいたりはしますが。だから人はなんとなく人種の分類を見た目でしているものなのです。そういう意味でいうと、日本にいると全員同じ人種という意識になります。

そういう国で生まれた僕の場合、4歳の時に父親の留学の関係でアメリカに初めていき、初めて白人とか黒人を見て恐いと思ったのを感じたのをいまだに覚えてます。人間は未知のもの、異質と認識するものに対して、恐怖、違和感、好奇心など何らかの特殊な感情を持つようです。

しかし、その特殊な感情は、実際に触れ合ってみて、よく知るようになると無くなっていくものです。だから僕は、個人の持つ人種差別の感情 (=偏見)は理解を深めることでなくすことが可能と思っています。もしそれが難しいとすれば、それは人種問題だけでなく全ての面において、未知のもの、異質なものに対する恐怖心が強いあまり、狭い殻に収まって生きていくような人です。

逆にいうと、異質なもの同士で交流させたり、理解を深めたりする機会をなくせば、より分断を作ることになります。そしてこの分断が今の競争原理で成り立つ社会では都合がよかったりするのです。そしてその分断の軸の一つが人種だったりします。ここで出てくる人種問題は (制度的差別)、個人の偏見による人種差別とはまた性質が異なります。


制度的差別

現代の競争原理社会では、学校でも会社でも産業でも国家でも、組織の中で上下、優劣の仕組みがあります。そして歴史上、ヨーロッパ由来の制度が近代の社会システムのベースになっているので、意図的だったかはわかりませんが、結果的に白人と呼ばれるヨーロッパ系の人種がシステムの上に行くような仕組みが出来上がりました。そしてこのシステムの中で劣勢を押し付けられてきたのが、その殆どがもともと奴隷として強制的に連れてこられたアフリカ系です。

そしてこの仕組みの中で上の方にいる特定層が利益をより生み出すために、優劣の格差と分断をより大きくしていったのです。

例えば、メディアなどを通して黒人などマイノリティーの犯罪がより派手に報道されたり、カラーバス効果でマイノリティーの犯罪により強い印象を受けたりということが繰り返されて印象操作されてきたりもしましたし、ヒップホップのギャングのイメージもその印象操作に利用されてきた歴史があります。

そういうわけで、制度的差別では、直接的に君はこういう人種だから採用しない、とか、あからさまに誹謗中傷することはしなくても、無意識に社会行動の中での選択に人種意識が働いたりしているのです。

そして今問題になっている黒人差別の問題は、その中でも実際命に関わるケースが多いので、極めて深刻であり、世界中が意識を向けるべき問題です。

しかし、そもそもの問題は制度的差別そのものです。上下・優劣という構図を作り、さらに分断を作ることよって火を煽って、一部のグループが利益を得るようになっている。そこに人種の差も利用されていますが、実際には世界中で性別・年齢・経済力・外見など様々な要素が制度的差別の軸になっています。そしてそういう普段みんなが意識することない色んな制度的差別の積み重ねが、特定の人種が命を落とす差別にまで発展するんだと思います。


人種の分断だけにフォーカスしすぎると見失うもの

根本的な解決をみんなが望むなら、人種の切り口だけにフォーカスしすぎるのは逆効果だと思います。なぜなら、「人種」という特性は他の人間の特性と同様、状況、場所や分野によってそれがメリットになったりデメリットになったりするからです。例えば、僕はアジア人なので、欧米では一般的にはマイノリティーですが、それが必ずしも「弱者」にはならないのです。僕がもし会計士とか医者だったらアジア人であることは一般的にはメリットになるでしょう。僕がいたITコンサル業界でも、白人の次に多いのはアジア人でした。アジア人はビジネスの世界では正確で勤勉で信用できるというステレオタイプが有利に働くのです。ところが、身体性が大きく関わる分野とか音楽業界やエンタメ業界だとアジア人はかなりのデメリットになりえます。アジア人なのにこういうビート作れるんだね って言われたことなんてしょっちゅうだし、アジア人は音楽は向かないというイメージが割とあります。自分のガールフレンドがアフリカ系だった時は、アフリカ系の集団から何度もアジア人の彼氏だということについて誹謗中傷を浴びたりしました。アジア人男性は身体的に他の人衆より劣っているというイメージが割とよく持たれているからです。今回のコロナの件でもアジア系は一気にコロナの病源として世界中で差別にあっていますがそれも状況によって人種性が不利に転じた例です。

我々はみんな、社会で生活するために、優劣の構造に少なからず頼って生きています。そして、その場所や分野によって自分の特性が優位に働いたり、不利に働いたりします。そして日本にいるとそれをあまり意識しないで生活することが多いと思いますが、自分が無意識に優位な側に立っていたり、優位な側に立つために無意識に自分の特性を利用していたりすることはよくあることです。そして、そういう仕組みで犠牲になった究極の悲劇がジョージフロイドさんの事件です。


#BlackLivesMatter を声高く叫ぶと共に、

未来のために僕らが身近でやるべきことがあります。それは、自分が関わっている優劣の構造を見つめて、自分は誰かの不利益の上で優位に立っていないかを考えてみるということだと思います。そして、もし誰かの不利益の上で自分が優位に立っている場合は、それに対して何ができるのかを考えてみることです。もっと言うと、社会制度としてこの極端な優劣の構造をもっとなんとかできないのかを考えてみることです。

僕は、音楽という本来優劣をつけられないものに優劣をつけて利益構造を作っているような音楽業界にいますが、そういう構造に頼らないで活動をする音楽家の生き方を模索しています。そういう小さなチャレンジが色んな分野で起こって、極端な優劣構造へのカウンターとなる世界が提示できれば、分断を煽る必要もなくなり、人種差別の問題は制度的なものからより個人的偏見という、もっと解決しやすい問題に集束していくのだと思います。言うのは簡単ですが、実際は100年も1000年もかかる話かもしれません。それでも、今の社会システムが変わらなかったら、人種問題も変わらないので、結局みんなが身の回りから小さくちょっとずつ根気よくこの構造を変えていくしかないのです。


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音楽アーティスト、プロデューサー。 プロデュース、リミックス、DJ、執筆など活動は多岐にわたる。グラミー賞「最優秀リミックス・レコーディング部門」ノミネート。現在別名義POPS研究会でも精力的に活動中。https://soundcloud.com/starro
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