なぜ日本は周回遅れの事態を招いたのか (注: スポーツ記事ではない)

僕は今年から東京に住みはじめたので、去年までのここのことわかんないだろ?って言われるのはわかってます。でもそのリスクをかけてあえて言わせてほしい 笑

日本のサブスクの波が本当にヒットした感って今年がダントツに強くないですか?もうちょい遡っても去年とかですよね?東京に移る前ももともと東京には年に6、7回は来る生活を何年もしていて、その都度日本の音楽業界内の色んな方とお話しする機会があったんですが、一昨年までは世界のサブスク/DLモデル圧巻状態を頭ではわかっているものの、具体的にどうすればいいのかわからないし、しばらくは大丈夫だろうというようなノリで世界の変化をどこか対岸の火事かのように見ている風潮を日本から感じてました。ところが昨年ぐらいから明確に業界全体が新しい時代に向けて本気で模索してる様子がはっきりと見えてきました。業界内で「サブスク」「海外進出」のキーワードがやたら増えてきたのはこの時期です。そして今年は、それまでサブスクを避けてきたメジャーアーティストが軒並み「サブスク解禁」をしだしたり、超ドメスティックな日本のアーティストがいきなり英語でリリースしたりがドバーッと出て、変化が音楽マーケットに完全に表面化した気がします。でも、もう2019年も終わろうとしていてもうすぐ2020です。前回の記事に書いたようにアメリカでは2011年を節目にデジタルの波が風景を一気に変えましたが、それからほぼ9年経った今でも日本はそのレベルにさえ達してません。

なぜこんなにも日本だけ遅れてしまったのでしょうか。その理由自体は誰でも簡単にわかります。CDビジネスの延命療法ですね。でも、そのCDビジネスが我々の音楽体験にどれだけの影響を与えてきたか、そこを紐といていかないと、自分達が今どういう時代を生きてるのか理解することはできません。

そこで今回はちょっと長いかもしれないけど、皆さんとまずCDが音楽業界にもたらしたものを見ていきたいと思います。

まずCDを語るには、レコードの時代まで遡っていかないといけません。なぜならCD時代のビジネスモデルはレコードによってもたらされたからです。レコードが普及する前までは、一般市民は音楽に触れるためには実際に音楽を演奏している場所にいかなければなりませんでした。音楽の録音コンテンツを家で再生する媒体がなかったからです。レコードの発明自体は1800年度後期にまで遡り、日本では初めてのレコード会社、株式会社日本蓄音器商会が1910年に立ち上がります。この時代に音楽を家で聴けるってきっと衝撃ですよね。今で言ったら好きなアーティストのライブをARでリアルに体験以上の衝撃だと思います。

このレコードの普及によって、その場で一回きり楽しめる娯楽だった音楽は、一回の録音で世界中で何回も再現/再利用することが可能なおいしいビジネスへと急激に変わっていきます。これってもう産業革命レベルですよね。

ここでポイントなのは

- 当時選択肢が少なかった娯楽の一角を担ってた音楽というキラーコンテンツが家で聴けるようになり、音楽へのニーズがより高まった (ビジネスネタがもともと需要が高くさらに劇的に高められるポテンシャルをもっている)

- その音楽はレコードによってのみ購入可能だった (限られた売手による流通のコントロールが効く状態)

- 人々がその音楽に対して払う対価には、レコードの製造費、物流費など、音楽そのもの以外のコストも加味されたものだった。つまり人々は音楽以外の部分でかかるコストを含めた価格を「音楽の値段」だと認識するようになった (付加価値による価格/利益の上乗せ)

- レコードの製造販売には多額な設備投資が必要だったため、新規参入が入りづらかった (競合が少ない)

こんなおいしい組み合わせのビジネスなかなかないですよね?w これが100年以上続いたんだから、人々のマインドがそこに縛られるのは当然ですよね?

さて、そのレコードがその後メディアこそカセットテープとか8trとかちょこちょこ変わったりしますが、それがCDになっても、レコード時代からの構造は基本的に変わりません。

僕が生まれた1970年代以降も音楽マーケットは順調に拡大し、且つもちろんレコード会社の数は増えたもののマーケットの規模からすると、ほぼ一握りの売り手による独占状態なのは変わりなく、各社の収益はどんどん上がっていきます。

ところが、CDが導入されたことで、それまでの音楽ビジネスモデルを覆す大きな魔物がジワジワとビジネスの足元を蝕んで行くことになります。CDの中に入っている音楽は、それ以前のように物理的にレコードや磁気テープに記録されたものではなく、音楽というデータがCDに保存されているだけの構造だったからです。そしてこれにより、CDの中のデータは一般人でもコピーが可能になり、ちょっとずつ売手のコントロールが失われていったのです。そして2000年代には音楽データを一般人同士で無料でやりとりできるNapsterというサイトが一世風靡し、実は音楽って金かからないものだったんだねという認識が人々に芽生えてしまうのです。この音楽シェアリングは当然違法ですので、推奨されるものではないですし、当然法的手段でストップがかかりました。しかし、いくらダメよって言ったってエクセルやワードのように簡単にデータやりとりできたら、音楽だけそれをやらないなんて現実的じゃないですよね?本当にそれでコピーが無くなるって思ってるとしたらお人好しすぎです。

とにかくそうやって、CDによって持たされた音楽のデジタル化は音質の向上、より効率的な大量生産化などの面でメリットをもたらしたものの、結局は自らの存在意義を失わさせるという皮肉な状況に発展します。そこにインターネット環境の圧倒的な向上も手伝い、Apple社がiTunes Music Storeを始めるなど、デジタルを前提とした音楽ビジネスが急激に台頭することになったんです。

そういう中で音楽ビジネスの状況はこう変わります。

- そもそも日本など場所によってはテレビ、ゲームなど音楽以外の娯楽選択肢が無数に増え、音楽へのニーズの成長は鈍ってきた。

- 音楽は盤を通さなくてもネットで流通できる。

- CDなど盤とのパッケージ売りがないと、製造費、物流費など、音楽そのもの以外の要素を価格に反映できなくなり、音楽コンテンツ自体の金銭的価値が丸裸にされた。 違法コピーなども手伝い、音楽自体は大した金銭価値を買い手が見出せなくなった。

CDが普及しだした80s終りぐらいはデジタル化がそんなことを巻き起こすとは思ってなかったでしょうけど、それは当然です。インターネットが本格的に普及する90s終りまではまだデータコピーするって言ったって、別のディスクとかに入れ直すしかなかったんですから。それがインターネットの普及でデジタルデータなら世界中にあっという間に送れちゃうようになって、初めて音楽もその対象になりうると気づいたのでしょう。

これ読んでる方の中にはインターネット普及する前の世界をリアルに通ってない人もいると思いますが、インターネット以前の世界そして人々の考え方を理解するのすごく重要です。なぜなら、今音楽業界を動かしてるのはまだネット以前を通った世代だからです。そしてその呪縛が日本のサブスクの波を遅らせた最大の原因です。

ネット以前の大前提って何でしょう。売り手から買い手に商品が届く手段に人の手や有体物が必ず絡むということです。音楽作って録音するのに高い設備投資が必要。CDをプレスするのにも設備投資が必要だから録音物を流通させる方法や経路も一部の売り手がコントロールできる。この時点で音楽を作って人に聴いてもらうこと自体限られたレコード会社に頼らないと実現しません。さらに買い手が音楽を買えるのはCD屋さんだけですから、売りたいCDの選定やプロモーション方法もその流通経路を握った一部の売り手ということになります。売り出す個々のアーティストや作品となると売れる売れないはある程度買い手の意思も入りますが、音楽ビジネス全体となると完全に売手市場な状況が何十年も続いたことになります。この状況では、どういうアーティストと契約して、どういう風に売ってって売手が決めて、なんならある程度売り上げ規模をプロモーション次第でコントロールすること (テレビCMのタイアップ、お店での優先的な陳列など)だって今に比べたら全然簡単です。こうして、このコントロール状態が売手を麻痺させたんじゃないでしょうか。人によってはそのコントロールが権威へと変わった。あるいは売れる売れないは自分次第という錯覚に陥った。音楽は音楽そのもの良し悪しよりも売手の意思次第だよね という存在になった。そして自分たちが謳歌しているライフスタイルが実はレコード時代から続いた技術的制約から成り立っていたということを忘れていった。そういう状態の中にいる人がその屋台骨を失い始めたらどうなりますか?まず、その屋台骨を腐食させてる自然現象を非難します。腐食し続ける屋台骨から目を背ける簡単な方法です。そして、実際にその影響が自分の生活に姿を現し出すと、必死にその影響を埋めようとします。今までのやり方をさらにぎゅっと凝縮させた形で。そもそも音楽業界にいると音楽愛よりもビジネスとしての旨味や華やかさを追い求めてる人を多く見かけます。そういう人が長い間、自分たちのコントロールが効く状態で同じような売り方をずっと続けてきたら、もっと売るためにはそのやり方をさらに強化するぐらいしか思いつかないですよね。だからどうやってCDをもっと沢山売れるかという方向になるし、もっと広告を強化しようとか、テレビで受け入れてもらえるコンテンツに絞ろうとかそういう発想になります。

しかも。。仮にCDベースのビジネスから外に飛び出しても、楽曲だけの価格は今までの感覚からするとただみたいな価格だし、そもそも最近みんな買わないし、今までと全く勝手が違うから自分達の経験があんまり活きないし っていう状況だったら、そう簡単にそっち行けないですよね?

ただ、日本国外では、旧産業側の抵抗は技術革新を活用したニュープレーヤーの圧倒的な戦闘力そして、市場の驚異的な適応力によって、早々と降伏を余儀なくされます。それで職を失った人がどれだけいたことか。一方、日本はそういうことが起こりにくい場所です。リストラをしにくいから会社自体がそういう舵取りをすぐにできないし、同じく限定されたプレイヤーでコントロールが効く状態にあったテレビなどのメディアとの協力体制の中で、すぐに変わらないといけないプレッシャーがなかったこともあると思います。いずれにしても、日本だけは世界で起きてることを見て見ぬフリをしながら、延命療法が10年近く続けられる環境だったんです。

なんか、どうしてもネガティヴに聞こえる言い方になっちゃうんですけど、僕がもし20ぐらいからこの世界に入って、それで自分の生活がずっと成り立ってたら、背水の陣にならない限り同じ状況になってると思います。誰しもが、辛い時に特定の誰かや何かをやり玉にあげたくなります。しかし、この事態も実際は、音楽という無形資産、盤売りという特性、技術革新、その国の商慣習/文化など、様々な要因によって起きてるってことが重要なポイントです。だからその中で自分に降りかかった結果は自分の中で折り合いをつけるしかないんですね。逆に言えば、これからどう行くかは自分次第です。

そのためにも、日本だけ音楽業界のデジタル革命の波がずいぶん遅れたことだけわかっても仕方ありません。この遅れが今の日本にどう影響を及ぼしたのか、次回は自分の勝手な考察ですがそこを紐解いていきたいと思います!





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音楽アーティスト、プロデューサー。 プロデュース、リミックス、DJ、執筆など活動は多岐にわたる。グラミー賞「最優秀リミックス・レコーディング部門」ノミネート。現在別名義POPS研究会でも精力的に活動中。https://soundcloud.com/starro