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貴女に対する愛なら幾らでも語れる気がする

この前、長時間音楽番組に私が一番最初に好きになった歌手と中学3年生の時お世話になったカウンセラーの先生が一番好きだと言っていた歌手が一緒に出演して歌を歌っていた。私が好きな歌手が歌ったその次にカウンセラーの先生が好きだと言った歌手が歌った、という訳でないけど、割と近い時間帯に歌っていた。

必然的に私が好きな歌手の方が最近人気になった歌手だから先に歌って、その後何組か歌った後にカウンセラーの先生が歌手が2曲歌っていたけれど、その時、彼女を思い出さざるを得なかった。

ファンじゃなくてもかつて相談していた生徒(?)の歌手は、なんとなくでも覚えていると思う。今まで忘れてたけど、歌手名を聞いた時に「あの子元気かな」とふと思い出すような。それを、彼女も同じ状況かな、と考えていた。無意識に。

彼女なら「歌詞にセロトニンって入れるなんて斬新だね」って笑ってくれるだろうし、「ボーカルさんに妹さん居たんだね」と驚くだろうし、「結婚した妹さんの為に曲を書くなんていいお兄さんだね」って言ってくれそうだし、当事者じゃないけれど、そんなことを言う彼女が容易に想像出来て、凄く嬉しい。もう声も名前も姿も憶えていないけれど、私の中でちゃんと生きてる。生きてるよ、先生。


ふと思うことがあって、かつて彼女と交わしていた交換ノートを見返す機会があった。やっぱりその時の私の文字は恥ずかしくてまだ見れないけど、彼女の文章だけちゃんと読むことが出来た。筆跡にも文章にも言葉遣いにも、やっぱり彼女らしさが溢れていて、叶うならもう一度会いたいって思う。でもどこにいるか、生きてるかさえ分からないから、安易に口に出せないでいる。でも会いたい気持ちは消えないから、ラブレターのような一方的な気持ちを綴った文章が出来上がってしまった。それを彼女以外の誰かに見せるかは分からないけど。


あの時、確かに救ってくれたのは彼女だけだった。一番身近に居た家族はみんな見て見ぬふりだったし、彼女は「大好きなのは確かだよ」と言ってくれていたけれど、やっぱりそれを私は6年経っても信じられていない。心配するふりをしていざ私の目を見たら罵声を浴びせて、そんな人には、親には絶対になりたくないって心に誓ってる。

この記事を書く前はタイトルのように彼女に対する愛が溢れるのかと思っていたけれど、上手く言葉に纏まらない。悔しいけど、ある歌手も大切なことは言葉にできないなんて言っていたから、いいよね。今の私の気持ちを綴る。ありのままに。


社会に出ると仕事とか恋愛とか結婚とか出産とか大切な人とのお別れとか、そんな人生の大イベントのようなことばかりが待っている。でも、それらを私がちゃんと後悔なく成し遂げられるかが本当に分からない。でもそんな不安な時でも、信頼する人がたった一人でもいれば、本当に生きているって確信出来るだろうし、私はそんな人と出逢いたいんだよ。それは彼女でも彼でも、誰でもいいんだけどさ。逆に彼女と彼じゃ無ければ誰に頼ればいいか分からないけど。

もし。今の私が今の姿と年齢のまま辛い小学生時代に戻ったのだとしたら、それが今の私の人生とするなら、これから苦しいことばかりなんだろうなと思う。あの日々はお世辞でも楽しいと言えたものではなかったから。ゆらゆらと生きて、誰にも会わなかった頃、自分の思考の癖でどん底に落ちて、そんな中貴女と出逢って。その時は精神的に回復していたけれど、きっとまだ心も身体も未熟なままだった。その後、新しい世界に身を置いた時、好きな人ができて騙されて泣いて、また歩き始めた時私を認めてくれる人達に出会って。そんな風に、そんな風に人生は出来てるのかな。そう信じさせてほしい。彼や彼女と同等の人と出逢えるかは分からないけどさ、でも彼らが私の人生を変える人達だったら、きっと私は幸せだと思う。そう、言いたい。いや、言わせて。


彼女に対する想いを綴る記事にしたかったのに、途中で路線がズレてしまった。でもいい。それが今の私の気持ちだから、ちゃんと認めてあげたい。最近、記事書く気になれなかったけど書けてよかった。

こんな調子でぼちぼちといきます。生きます。苦しいけど、ちゃんと光が見えると信じて頑張ります。


最後に。冒頭で書いた歌手たちが歌った曲を貼っておきます。私でさえ知らないので、彼女の年齢は推測しないでくださいね。



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