見出し画像

幼児の発達段階から見る『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』時空の歪みについて ー数字を使った『輪』の創造・破壊と再生産ー

七尾
https://twitter.com/770_xgs

Notice ・本稿は2022年10月に発行した劇場版スタァライトの考察・感想合同誌『舞台創造科3年B組 卒業論文集』に掲載したものをそのまま転載しています。 ※寄稿者の希望で修正を加えている記事もございます ・本稿は2022年4月に受け取った初稿を、以降数ヶ月掛けて寄稿者と主催チームとの間でブラッシュアップして作成しました。 ・考察に正解はなく、どの考察も一個人の解釈であることをご理解ください。 ・「九九組」「アニメ版」など、人によって意味合いや解釈が異なる単語については、寄稿者の使い方を尊重しています。 ・本稿は『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の二次創作作品であり、公式とは一切関係ございません。

1.新国立版スタァライトの上演日、二人は4歳だった

 愛城華恋と神楽ひかりは、12年前、5歳のときに運命を交換した(*1)。このとき最も重要なのは「運命を交換した」という行為そのものであり、年齢は本筋に関係がない。しかし作中では何度か「12年前」や「5歳」であったことに言及される。なお本文中において、TVシリーズ版、再生産総集編と明記がない限り、「作中」等の言葉は『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を指す。また、TVシリーズ版と劇場版は同じ時系列で起きている(パラレルワールドではない)ことを前提とする。

 華恋の生年は2001年だ。ひかりは早生まれのため生年は2002年だが、両者とも2001年度生まれ(*2)である。TV シリーズ版の2018年度には17歳になる。そのため12年前に5歳であることは、一見なんの問題もなさそうに見える。

 しかし、季節は5月だ。5月14日にキリンの地下オーディションが始まる(*3)。早生まれのひかりはもちろん、9月生まれの華恋もまだ16歳である。ただしオーディション開始時の年齢が16歳でも、5歳のときに「運命を交換」していれば、それはやはり問題がない。TVシリーズ版では「12年ぶり」や「5歳のときに」(*4)という言葉はあるが、再生産総集編を含め具体的な観劇日は明言されていなかった。なお、再生産総集編パンフレットでは、華恋の入学願書に「5才の時に親友と観た戯曲『スタァライト』」(*5)という記述がはっきり存在する。

 今回劇場版で、二人が新国立版のスタァライトを観劇した時期が明示された。新国立版スタァライトの上演期間は2006年5月14日から同月28日。この期間内、いつの上演回を観たとしても、誕生日を迎えていない二人はまだ4歳である。

 レヴュー開始日と上演日を合わせて視聴者に深読みさせるためならば、2007年の5月でもいいはずだ。2007年の5月であれば二人とも5歳になっており、公的にも5歳児として扱われる(*6)。2006年時点では二人は間違いなく4歳児かつ4歳であり、まだ5月のため「ほとんど5歳だった」とするには時期が苦しい。

 TV シリーズ第4話に相当する東京タワーふもとの公園での二人は、アニメーションシリーズ3作全てで髪留めをしていない。また、華恋は「ひかりちゃんがドンドン(ロンドン)行っちゃったら、二人でスタァライトできない」と泣きじゃくっている。これは既に二人でスタァライトを観劇し、一緒に舞台に立つという話をしていないと出てこない言葉だ。

 しかし、TVシリーズ第10話の東京タワー内で「舞台を観た帰りに二人でした、スタァライトごっこ」というひかりの台詞に合わせて回想される二人は、髪留めをしている。TVシリーズ版では観劇と「運命の交換」が同日である。

 劇場版では公園のシーン後に髪留めを交換したことになっており、「スタァライトの観劇」という体験と「運命の交換」は同日ではないと考えられる(*7)。描写の差異はあるにせよ、仮に2006年の9月27日から同年12月31日までに「運命を交換」していれば「12年前、5歳のときに」は、華恋の立場から見たときに限定されるが、成立する。

 しかし再生産総集編では、公園のシーンで「12年前 愛城華恋5歳 神楽ひかり5歳」というテロップが挟まる。再生産総集編では2018年を軸として「○年前」と表記されるため、12年前は2006年のことを指す。生年月日を踏まえると、ひかりは2007年1月8日以降にしか5歳にならない。

 つまり、「12年前、5歳のときに」という前提は両立する数字ではなく、ここで破綻してしまう。


*1 劇場版再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」』本編22分7秒。

*2 華恋は2001年9月27日、ひかりは2002年1月8日生まれである。『劇
場版再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」』パンフレット p.5,7より

*3 TV シリーズ第1話、劇場版での香子の発言、純那のスマートフォン画面など

*4 TVシリーズ第1話で「12年ぶりの日本らしい」、(「何年ぶり?」と華恋に聞かれ)「12年」、「5歳のときにイギリスに」、第10話で東京タワーに行き「12年も前」という台詞がある。

*5 再生産総集編ロンド・ロンド・ロンド パンフレット p.5

*6 恐らく二人が通っていたのは幼稚園だと思われるが、幼稚園は文部科学省の管轄になるので学校法が適用される。就学前の最年長児を5歳児とする。

*7 劇場版で描写される幼少期の華恋の性格から、観劇直後に大泣きして駄々をこねるとは考えづらい。

2.幼児の発達段階から読み解く「はたして二人は本当に4歳児だったのか?」という問い

 しかし2006年であるにもかかわらず、作中で描かれる二人の言動や周囲の反応は、まるで4歳児らしくない。

 ここからは筆者(教育学部卒。元保育士)の経験によるものが多分に含まれることをご容赦いただきたい。また、X歳児(*8)の記載は慣れない人には分かりづらいので、以降形式的にそれぞれ3歳児(年少)、4歳児(年中)、5歳児(年長)と併記する。

 華恋とひかりは2006年5月の公演を一緒に観劇しているので、華恋はそれ以前に引っ越してきたことになる。普通に計算すれば二人は4歳児(年中) のはずだが、愛城母は「5歳で舞台なんてびっくりよねえ」と発言している。続けて「仲良くなれそう?」と聞いていることからも、この会話の時系列は初対面直後だ。2006年5月の観劇時点でひかりは満4歳4ヶ月であり、初対面を直近の新学期である4月だったと仮定しても更に幼くなる。4歳児(年中)になったばかりの娘と同じ組の子を、愛城母が5 歳と間違える可能性は考慮する必要がないだろう。

 幼児の発達段階から時間軸にアプローチをすると、作中の園では二人のロッカーが並び、お道具箱には自筆と思われる名前が書かれていた。これは新国立版スタァライトを観劇するよりも前である。

 幼児が文字に興味を示すのは月齢(*9)や性格による個人差が非常に大きいものの、概ね3歳児(年少)の初冬から4歳児(年中)の冬頃が多い。また一般的に女児の方が文字への関心が高く、自分の名前に使われている平仮名なら読める4歳児(年中)もいる。

 ただし、書字は異なる。手本を隣に置いて書写をしたとしても、4歳児(年中)は高い確率で間違える。見たまま書き写すことができないのだ。書写という行為を細分化すると、『目で見て』『形を正しく認識し』『手で道具を使って』『脳内の像を紙の上に再現する』という高度なマルチタスクが要求される(*10)。そのため、不要な線が多い、鏡映文字(*11)、丸の向きや跳ねの方向が逆、「ん」の波が増えるなど、幼児期の字はバリエーションに富んでいる。

 再度ロッカーを確認すると、「あいじょうかれん」「かぐらひかり」の両名は文字に子どもらしい歪みはあっても、間違いなく書けている。「れ」が「わ」に近く、ひかりの方が字が丁寧なのは性格だろう。

 華恋の名前に使われている文字を細かく取り上げると、「あ」は「お」と誤認しやすい。特に「あ」は五十音の中でもパーツの組み合わせ方がトップクラスに複雑だ。「れ」「ん」は、払いの波が二重になることが多い。また濁点、拗音は音の構成を理解した上で他の文字と比べて小さく書くという指先の微細運動が伴うため、その両方を備えた「じょ」はさらに一段階難しい。

 つまり「あいじょうかれん」は、4歳児(年中)の4月に正しく自筆するにはかなり高難度の名前だ(*12)。しかし華恋はお道具箱の名前欄という限られたスペースに、余白を残して収めている。さらにひかりは、お手紙の宛名で正確に「かれんちゃんへ」と書いた。先述した「れ」「ん」「拗音」をクリアし、「he」と読まない「へ」を4歳4ヶ月児が書き分けている。

 これらは4歳児(年中)前半には非常にハードルの高いことなのだが、幼児の書字が何歳でどの段階にあるのか実感のない方がほとんどだと思われるため、以下の図1を参考にしつつ書字と発達段階を確認したい。図1は以前筆者に届いたお手紙の一部である。

図1 筆者が受け取った手紙(抜粋)

 差出人は満6歳0ヶ月の左利きの女児だ。3ヶ月後に一年生になった。

 画像だと少し分かりにくいが、「おおきく」の「く」は鏡映文字になったのか修正テープが使われ、「wa」と発音する「は」を使えていない。保育園の「い」は脱字だ。「なっ」「ら」は保護者が書き、「ほ」の最後は「お」のように巻いている。抜粋外になるが「よ」も同じような形になっていた。

 これらはおそらく保護者のお手本を前にして書き写したのではなく、文面を一から自分の頭で考えて書いたために起きたのだと考えられる。また、罫線がなく、通常の紙より厚く滑りやすいインクジェットの年賀状に、鉛筆ではなくネームペンの細い方を使用して筆記している点を考慮すると、これはよく書けている方だ。本来なら平仮名は小学校で習うものである。

 お手紙を出した時点のひかりは、図1の女児より1歳半も幼い。発達には個人のペースがあるため、中央値から多少早い・遅いことは然程問題ではない(明らかに大きな差が出ている場合は別である)。得意不得意は必ずそれぞれの子に存在し、それを個性と考える。しかし、早まるには限界がある。生後3ヶ月の乳児は、どんなに発達が早くても立ち上がることはできない。身体的発達には段階があり、特に幼ければ幼いほどその隔たりは埋めることができない(*13)。4歳4ヶ月で5歳児後半(満6歳)の筆記レベルを超えるひかりの手紙は、それが彼女の個性だったとしても発達が早すぎる。

 仮に、保護者の手本が目の前にあり、正しい宛名が完成するまでひかりが何度も書き直していたとする。その場合でも、4歳児(年中)では文字を均等に配置することができず、書き出しが大きく最後の方は余白が足りず小さくなっていくのが一般的だ。適切な余白を残し、かつどの文字の大きさも均一に収めるには、紙に対しての空間把握能力が必要となる。子どもの文字が大抵枠いっぱいになっているのは、まだ余白があることの読みやすさを理解できない空間把握能力の弱さ、あるいはそこまで細かな文字が書けない筆圧の強さに起因する。

 ひかりは左利きだ(*14)。横書きの場合先に書いた文字が見えなくなっていくため、右利きよりも圧倒的にバランスを取るのが難しい。二人のお道具箱、ひかりが出した手紙の宛名はどちらも可読性が高く、またひかりは「れ」「ん」など自分の名前で使われない文字も書いている。「れ」に関しては華恋本人よりも正しい形に近い。

 フライヤーで使用された紙の種類は不明だが、一般的なチラシには主に70kgから135kg(*15)の紙が使用される。ただし70kg台(コピー用紙が70〜73kgである)は、紙質にもよるがフライヤーとして印刷するとやや貧相な印象になる。世界最高峰のカンパニーといわれる新国立第一歌劇団の規模を鑑みるにまず使用されないだろう。筆者が実際に紙を数種類購入して試作した結果(*16)、100kgのA4サイズが一番近い形になった(*17)。

 この手紙の折り方はやや特殊で(*18)、折り目のバランスから逆算すると半分に折る等のガイドラインが一切ない上、厚みの分指先の力が必要になる。100kgの紙が最も近い形になると先述したが、それはあくまで見た目上の話で、幼児が折るなら甘く見積もっても90kgが限界だろう。教育用折り紙は55kgだが、4歳児(年中)4月の段階で紙の端と端を合わせて綺麗に真っ直ぐ折ることのできる子は半数を切る。そして半数に入る子のほとんどが、4月から夏頃生まれまでの高月齢児だ。やはり指先の微細運動の発達と、こちらは性格も加味される。

 「幼児には難しくても保護者が手紙型に折ったのではないか」とも考えられるが、逆に保護者なら、例えば娘の好きなミスターホワイトの封筒を用意してそれにフライヤーを入れてはどうかと提案してもおかしくない。もし長い文章が書けなかったとしても、封筒であれば二人で観劇しているような絵を同封でき、その方がよほど「お手紙」らしくなる。しかしひかりはそうせず、受け取った側である華恋もあの形状の紙を見てすぐに「お手紙?」と発言した。折り畳まれた紙を「手紙」だと判断できる体験を既にしており、華恋の反応に新鮮な驚きがないことから、ある程度その行為に対して馴染みがあることがうかがえる。手紙のやり取りは、特に女児においては親密性の表れ(*19)であり、新国立の誘いより前にひかりから手紙を受け取っているか、あるいは以前から相互的なやり取りが発生していると推測される。

 以上を踏まえると、あの手紙はひかりの自作である可能性が極めて高い。フライヤーとしての実在性と折り紙の難易度を考慮すると90kgが妥当であるため、以降本論では「新国立第一歌劇団2006年版スタァライトのフライヤーは90kgのA4である」という前提で進める。

 筆者は成人かつ右利きのため、90kgのA4で再現したお手紙に「左手」「クレヨン」という条件を加え筆記を試みた(*20)。言うまでもないが、クレヨンは筆記具ではなく画材だ。軸が鉛筆に比べ太いため一文字が大きくなり、一画一画に空白を持たせないと文字が潰れてしまう。さらに折り重なった紙が安定せずに浮き沈みする。そして、これが一番の問題だが、拗音を0.5文字と換算しても「かれんちゃんへ」の6文字半を詰め込めるのは幅12.5cm高さ2.5cm以内の限られた部分だ。

図2 比較写真(左: 筆者作、右: 公式展示品)
右は「ありがとう! 劇場版スタァライト 打ち上げ大パーティー」で展示されていた再現小道具(2021年9月6日、筆者撮影)小道具は映画内のお手紙と折り目の位置等が若干異なるが、画像キャプチャは載せられないので、各自の目でご確認いただきたい

 成人が、利き手と逆とはいえ真剣に書いてなんとか収まる幅である。先述の書字面での発達過程、実際に文字を書けるスペースや筆記具の条件等を考慮すると、「90kgのフライヤーを手紙型に折り、クレヨンで可読性の高い宛名を正しく書くこと」は、4歳4ヶ月児にはほぼ間違いなく不可能だ。これが1年後の5歳児(年長)であれば、必ずできるとは言い切れないものの、可能性は格段に上がる。ひかりは低月齢のわりに同年代の子と比べても背格好が見劣りせず、精神面でもしっかりしている様子が描かれている。

 つまり二人は4歳児(年中) とされる2006年を生きながら、明らかに5歳児(年長)の発達段階にある。もし新国立版スタァライトの上演日が2006年ではなく2007年であれば、服装の季節感などの問題を度外視しても、設定に無理がなくなる。


*8 X歳児は、その年の4月1日にX歳であることを示す、乳幼児期における学年のようなもの。誕生日がほぼ一年異なる双葉と香子を例にとると、2006年5月時点で5歳1ヶ月の双葉と4歳2ヶ月の香子はともに4歳児である。これは2007年3月末まで変わらないため、双葉は5歳11ヶ月でも4歳児の枠になる。

*9 Xヶ月の部分。先の双葉と香子を例にとると、ほとんど1歳違いの二人は同学年でもできることが全く異なる。学年しか指標がないと正しい発達段階が考慮できないため、乳幼児期には月齢を指標にする。

*10 そのためプリントやドリルのお手本をなぞって正しい形を手で覚えるというステップがある。白紙への書写はその次の段階になる。

*11 鏡に映したような線対称の文字。

*12 個人情報の観点から具体的な参考例を上げることはできないが、使用されている文字の条件が華恋に近い女児がいた。彼女は高月齢で年下の面倒見も良くいわゆる「おませさん」だったが、お手本を見ずに正しい記名が可能になったのは5歳児の初夏である。

*13 よく指先の発達段階として用いられるハサミを例にとる。この例はあくまで「概ねできる子が多い」というだけで、同じ子の一年でも春と冬では練度が変わってくることを留意頂きたい。今回は季節を考慮し進級直後の姿で考える。
 3歳児(年少)は指を開いて閉じる道具を用いることに苦戦するため、単にまっすぐに切る。子ども用の箸を、握り箸でなく正しい持ち方を意識して使おうとし始めるのもこの頃だ。4歳児(年中)になると円も切ることができるが、右手にハサミ、左手に紙を持った際、左手の紙を回すことができないためにハサミの方を動かして切る。また刃を大きく開き全体で切ってしまうために曲線にならず、円というよりは六角形や八角形といった多角形になりやすい。5歳児(年長)になると紙の方を回せるようになり、ハサミの根元を使いながら正確に線の上を辿れるようになるので直線が劇的に減る。
 このハサミの例では、多角形状の円を切れない4歳児(年中)も、もちろんいる。様々な要素を考慮するためそれだけで発達が遅れているとすぐに断定することはできない(例えば左利きの場合、ハサミの刃の合わせが反対のため上手く切れないことがある)が、右利きの5歳児(年長)で直線しか切れない場合は他の運動・情緒発達の面で遅れがないかを気にかけるし、3歳児(年少)で手元を回しながら円を切れる子は恐らくいない。発達には段階があり、そして一年の差で中央値が大きく異なる。

*14 道具によって左右を持ち替えるいわゆるスイッチングが出来る左利きもいるが、ひかりはTVシリーズ第8話、王立演劇学院の授業シーンで左手にペンを持っているため、少なくとも筆記は左手で行っている。

*15 https://raksul.com/magazine/column/131108-flyer/
2022年4月27日最終閲覧日
正確には連量といい、kgは紙の厚さを表す。数字が大きくなるにつれて厚くなる。

*16 OKフェザーワルツ90kg、ファーストヴィンテージ103kg、新星物語110kg、OKサンド120kg、新アトモス170kg、フリッター180kg を用意。90kgから110kgで折り加減の急激な変化を感じたため、オパール80kg、羊皮紙80kg、コットンライフ90kg、玉しき100kg、色上質特厚口110kgを追加する。余談だが、試作品はOKフェザーワルツ90kg である。折りやすさと書き心地はオパール80kgが断トツだった。ただしやはり80kgでは薄い。

*17 本編映像と、打ち上げ大パーティーにて展示されていた再現小道具から比較。100kgが最も近い厚みと思われるが、100kgは玉しきしかサンプルがなく紙質によって折り具合が微妙に異なるため、紙に詳しい方は是非特定してみてほしい。

*18 本編31分6秒から展開図あり。

*19 毎年必ずと言っていいほど、「○○ちゃんにはあげてるのに、私にはお返事くれない」といった内容の諍いが起きた。男児は手紙というコミュニケーションツールをあまり用いず、特定の友人に何回か渡すくらいで終わる。もちろん性差よりも個人差があり、「お返事は出したいときに出すのに、お手紙ってなんか、めんどくさいよね」と非常に達観した5歳女児もいた。彼女は人生何周目だったのだろうか。

*20 なお、文字線に太さがあり幅がまちまちのため、クーピーペンシルではなくサクラクレパスを使用する。

3.「12」「5」という数の持つ意味

 何故、あえて2006年なのか。

 2018年から単純に12年引いただけ、とすることもできるが、TVシリーズ版では厳密に上演日が2006年だったとする描写は確認できなかった。実はTVシリーズ版では、数字に対する言及回数は「12年」が3回、「5歳」は1回と、非常に少ない(*21)。再生産総集編では台詞としては存在せず、先述したテロップのみである。そのため、上演日をどうしても2006年に固定せざるを得ない理由があったとは考えづらい。

 作中では2013年に華恋が出演した舞台が描写される。“『青空の向こう』主演セイラ役”だ。華恋の入学願書でも確認が取れる。願書上では“『青空の向こう』出演セーラ役”であり、華恋は「主演」と「出演」を明確に分けて記載しているため役名の表記揺れも含めて若干怪しい部分はあるが、少なくとも「2013年の華恋は小学6年生である」という時間に歪みはない(*22)。また華恋からだけ手紙を出している話になり、「5歳のときからだから……もう7年?」と愛城母の発言がある。これは愛城母の単なる数え間違いだった可能性があるが、やはり「5歳」を基準にして考えている。劇場版ではキリンのイントロダクションとして「わずか5 歳で運命を溶鉱炉に。」(*23) という文言が存在する。

 12年前と5歳が両立しないとき、情報としてどちらが優先されるべきかは、間違いなく5歳の方だろう。にもかかわらず劇場版では2006年の5月という、二人とも5歳になっていない中途半端な時期を設定している。

 では、この齟齬にはなにか意味があるのだろうか。ここでは一度時系列的な問題を置き、頻出する「12」という数字に目を向けてみたい。

 現在最も広く使用される12は、12進法だ。12を一括りとする数え方で、主に時間や暦を数えるときに使われる。1年は12ヶ月であり、1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒と、12の倍数を用いる。同じく暦を数える方法として干支がある。正しくは十干十二支といい、十干と十二支を組み合わせて60までを数えられるようにしている(総当たりではないため120にはならない)。60歳を還暦というのは、「暦が還る」、つまり生まれ年まで一周することからである。また木星は12年で元に戻るため「歳星」とも呼ばれていた。そこまで時代を遡らなくても、12個で1ダース、12ダースで1グロス、12インチで1フィートなど、12の倍数は現在でも多様な場面で目にすることができる。プラモデルなどでは1/144スケールという単位が使用されることがあるが、144は12の2乗だ。

 12は安定した数字だ。両手指と足(10+2)を使って数えられる最大数が12である。そのため原始的な調和を持っているとされ、英語を始めとするゲルマン語派では12までが個別の数え方で、13以降は「-teen」と型にはまる。その調和は神話伝承にも頻出し、ギリシャ神話のオリュンポス十二神やヘラクレスの十二の難行、メソポタミアが起源とされる黄道十二星座など、12に纏わるものは多い。

 反対に、12の調和を乱す13は、不調和や未知への恐怖心を駆り立てるという説がある。暦に閏月があった時代、13番目の月は調和を欠いた時期と見なされていた(*24)。また12は約数が多く(2、3、4、6)複数人で分け合えるが、13になるとうまく分けられずに諍いに発展してしまうという。13は欧米で広く忌避される数字だが、由来のはっきりしない迷信でもある。

 東洋的思想では、5も好まれる。中国には五行思想という、森羅万象は五つの属性に分類されるとする考え方がある。これはやはり片手で数えられる上限が5であり、5に完全性の美を見ている。5は、その累乗において繰り返し現れることから、不滅性を表す数でもある(*25)。

 5に纏わるものとして「五体満足」という言葉があるが、具体的に五が身体のどこを指すのかは非常に曖昧だ。東洋医学や漢方では「筋、血脈、肌肉、皮(あるいは毛)、骨」を指し、仏教では「頭、頸、胸、手、足」、または「頭、腕、足、胴体、心」だったりする。五体投地の際に両膝、両肘、額を地に着けるため、それらを五体とすることもある。このように手足どころか内臓、心という概念的な部位までかなりのばらつきがあるにもかかわらず、四体や六体にはならず、「五体」という表現は共通する。5は完全であり、不滅だからだ。


*21 前掲*4と同じ

*22 願書でも2013年の出演作品として記載され、本編49分33秒、背景のカレンダーは2013年である。また同50分49秒、ひかりへの手紙に「六年生最後の舞台」と書かれている。

*23 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』 パンフレットp.3

*24 『中世における数のシンボリズム—古代バビロニアからダンテの『神曲』まで』(ヴィンセント・F・ホッパー著、大木富訳) 2015年、彩流社、p.165

*25 『中世における数のシンボリズム—古代バビロニアからダンテの『神曲』まで』(ヴィンセント・F・ホッパー著、大木富訳) 2015年、彩流社、p.156

4.「輪」が必要だった

 スタァライトのモチーフとして、「輪」、もしくは「円」が度々登場する。

 TVシリーズ第1話ではひかりの引いていたキャリーケースの車輪から歯車が回りだす演出が広がる。オーディションを知らせるキリンのマークや、レヴューの舞台となる地下劇場は円形である。第99回聖翔祭までの1年を繰り返すことを望んでいた大場ななの武器名は二振り合わせて「輪舞」。聖翔祭公演告知ポスターも円を組み合わせたものだ。TVシリーズ第9話「絆のレヴュー」で華恋は聖翔祭の円から、そしてななの用意した再演の輪から足を踏み出した。

 再生産総集編では、ななの運命の舞台の比喩として、はっきり輪が描写されている。輪の上を花(なな)が動き、それに合わせて日付が変わる。ぐるぐるといつまでも終わらない再演の中にいる。再生産総集編のロゴは三つの円を一本の線で繋いだもので、パッケージ版を開くと丸いディスクが三枚並んでいる。そして同様の作りをしている劇場版パッケージでは、三枚のディスクからレーベルの円が明らかにずれた。

 聖翔音楽学園のモデルは東京都小平市にある津田塾大学とされているが、TVシリーズ第4話を鑑みるに立地は杉並区荻窪駅近辺の可能性が高い(*26)。またBlu-rayBOX3巻特典の未放送エピソード「99.419開演」で、華恋は「荻窪バッティングセンター」にいる(荻窪駅北側にバッティングセンターは実在する)。荻窪駅は、東京メトロ『丸』ノ内線の始発駅だ。劇場版で電車が四ツ谷駅を通過した描写があるが、四ツ谷駅のあの位置を使用するのは丸ノ内線である(*27)。丸ノ内線については少々こじつけが過ぎるものの(荻窪駅を中心に杉並区にはアニメーションスタジオが多いため、手軽なモデルとして利用されがちである)、円を意識した描写は、アニメーション版スタァライト作品群の端々に読み取ることができる。

 円は12と関わり深い。古代バビロニアや古代エジプト以来の伝統で日中を12等分していた影響により、日時計などを使用した際にも円を12分割していた。先述した黄道十二星座も12で一周し、干支の影響か日本語では12歳差を「一回り」と表現する。「12」で一周の円になる。

 華恋とひかりは2001年度生まれで、2018年5月にオーディション、トップスタァを賭けたレヴューに参加する。TVシリーズ版、再生産総集編で何度も明示されているためこの数字を動かすことはできない。「5歳のとき」を厳密に捉えるならば華恋とひかりの観劇を2007年にするのが一番収まりが良いが、そうすると運命の交換が11年前になってしまう。11では、時計は回りきらない。一周させて次へと針を進めるためには12でなければならない。回り切るためには11では足りない。

 TVシリーズ版、再生産総集編で、華恋は髪留めを炉に入れることで再生産を行った。二人の運命が始まった「12年前」である2006年を始点にし、「完全美、不滅性」が存在していた「5歳」の位置(ひかりと約束した運命の舞台)へ針を動かして『輪』の創造を果たしたのが2018年になる。華恋は12年前の運命を、12話かけて再生産した。

 公式に、舞台少女とは「未完成の情熱を燃や」(*28)すものだと説明がある。この言葉を素直に取るなら、再生産の燃料は「未完成の情熱」だ。

 TVシリーズ版、再生産総集編、劇場版の全てを通して再生産の炉に燃料をくべるシーンの描写は華恋にしかない。華恋の髪留めはかつてひかりと交換した「運命の舞台のチケット」でもあるが、TVシリーズ第11話でひかりの囚われた運命の舞台、あるいは第100回聖翔祭(=ひかりと演じるスタァライト)のチケットとして、既に使用されてしまった。華恋にとって立つべき運命の舞台は「ひかりと演じるスタァライト」である。劇場版が始まった時点で華恋は一人だけ既に運命の舞台に立ち終わり、幕も下りてしまった。『輪』は完成し、「未完成」ではなくなっている。

 オーディションが行われたのは2018年のことで、進級しているので劇場版は当然2019年になる。華恋とひかりによる運命の交換が行われたのを、発達段階と年齢に沿った2007年だったと仮定すると、『輪』は12年経ったこの年に完成する。しかし12年では、元の位置には戻るものの、一歩も前へ進むことができない。

 「舞台では演者は別人として蘇る。でも、どこかにアタシがいる。アタシのまま、別の誰かになる。でもそれはアタシ。そういう入れ子構造が、ぐるぐると回る。それが「アタシ再生産」です。それは演劇人のことでもあり、同時に演劇人というのは一度死んで蘇ること——「生きる」ということを、急激なサイクルでやっている何者かなんです。そして、サイクルこそ違えど、それはそのまま私達の人生も同じだと。私達は再生産をしながら生きているんです。」

Blu-rayBOX3巻 特典 Interview集「舞台装置とアタシ再生産」p.27より、古川監督インタビュー

 我々は、死と再生を繰り返す「再生産」を行いながら生きている。逆説に、ななが守ろうとした運命の舞台である再演の輪の内には「死」が存在しないため、「再生産」も起こらない。

 「囚われ、変わらないものはやがて朽ち果て、死んでゆく」(*29)。ななが再演の果てに見た舞台少女の死とは、再生産が起こらなくなった世界だ。運命の輪を破壊しなければ、舞台少女は朽ちてやがて死ぬ。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。
生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。」

『デミアン』(ヘルマン・ヘッセ著、高橋健二訳)、
昭和26年初版、平成19年101刷改版、新潮社、p.136

 ヘッセの言葉はそのまま舞台少女に当てはまる。

 華恋は『完成された輪』という世界を創造し、そしてひかりと共に運命の舞台に立ったことで一度満足してしまった。しかしそこに立ち止まったままでは、やがて朽ち果て、死んでゆく。

 緩やかに死せる華恋がさらに一歩を踏み出すためには、このとき完全性の「12」ではなく、「13」でなければ駄目だった。13は不調和をもたらし、完成された輪を破壊する。そのため「12年前」「5歳」という両立しない時空の歪みを発生させてでも『輪』を創造・破壊することで、華恋は己の世界を破壊・再生産して次の舞台へと進むことができた。

 「(あまりに不確かな可能性を 追いかけてあの子は)何を燃やして生まれ変わる」(*30)と歌っていた華恋は、今度は『お手紙』を燃料にして針を動かすことで『完成された輪の破壊』という大きな再生産を行った。

 トマトとアルチンボルドとルネサンスなど西洋の大きな流れは無知なので有識者に譲るが、面白いことに、トマトの花言葉は『完全美』という。


*26 https://ajin-movie.com/sutara/ 2022年4月27日最終閲覧日

*27 四ツ谷駅が描写された理由は諸説あるだろうが、東京メトロでは線の略号と駅番号が併記される。例えば荻窪駅は丸ノ内線の始発駅のため、M1になる。四ツ谷駅はM12。12を過ぎたところで「皆殺しのレヴュー」が開催されるのは非常に興味深い。

*28 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E2%98%86%E6%AD%8C%E5%8A%87_%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88
2022年5月3日最終閲覧日

*29 本編39分35秒、スタァライト第一稿の女神の台詞

*30 『再生讃美曲』より


参考文献

  • 『「数」の日本史』、伊達宗行、2002年、日本経済新聞社、p.14〜18.79.85.86

  • 『中世における数のシンボリズム—古代バビロニアからダンテの『神曲』まで』、ヴィンセント・F・ホッパー、2015年、彩流社、p.156.165.166

  • 『新版 漢方の歴史ー中国・日本の伝統医学』、小曽戸洋、2014年、大修館書店、p.62

  • Blu-rayBOX3巻 特典 Interview 集「舞台装置とアタシ再生産」p.27

  • 『デミアン』、ヘルマン・ヘッセ、1951年、新潮社、p.136

  • 『劇場版再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」』パンフレット、p.5.7

  • 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』パンフレット、p.3

  • https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youchien/1258019.htm 幼稚園の教育内容等: 文部科学省 幼稚園教育要領(平成29 年3 月告示)2022年3月27日最終閲覧日

  • https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/hoiku/index.html#h2_free5 保育関係|厚生労働省 保育所保育指針( 平成30年度~ ) 2022年3月27日最終閲覧日

  • 『再生讃美曲』、スタァライト九九組、2020年、作詞:中村彼方


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?