見出し画像

ゲーテのファウストと魂のレヴューについて

タタリモップ
https://twitter.com/tatari_moppu


はじめに

 ゲーテの戯曲、『ファウスト』は世界的名作である。その内容は現代における作品の要素全てを包含しているとも言われる。私は『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を見たことで、今作品と関係があると考えられるシーンを発見した。劇中において天堂真矢と西條クロディーヌとが演じた「魂のレヴュー」である。本論では「魂のレヴュー」と『ファウスト』の関係について考察していく。なお、あくまで考察の一つであることを明記する。

類似点

 まず、本論における二つの焦点として、当映画と『ファウスト』との類似点を二つ挙げたい。一つは、いわずもがな契約のシーンである。『ファウスト』は天界で神と誘惑の悪魔メフィストフェレスが、ファウストという人間を堕落させられるか否かという賭けをするシーンから始まる。翻って「魂のレヴュー」ではどうだろうか。こちらでは西條クロディーヌ演じる「悪魔」が、天堂真矢演じる「舞台人」へと賭けを持ちかける構図となっている。明白な類似点と言えるだろう。

 二つ目の類似点は、(一つ目と関係するが)舞台の最後を象徴するセリフである。『ファウスト』では、「時よ止まれ、汝は美しい」とファウストが言い放つことで悪魔メフィストフェレスとの契約が履行(この言葉を放つことで魂がメフィストフェレスのものとなる契約をしていた)され、ファウストがその生涯を終え、舞台も終幕を迎える。では、「魂のレヴュー」ではどうか。レヴューの最後を飾るセリフは天堂真矢が思わず漏らした、「あなたは美しい」というセリフであった。そのセリフによって「誰も見たことのないキラめきを見せる」という契約が履行され、レヴューが幕を閉じたと考えられる。

 以上二つがファウストと「魂のレヴュー」における明確な類似点である。これ以上の類似点を述べるには確証が足りないため、他の類似点は割愛する。

相違点

 では、前述した類似点はまったく同様であるかと言えばそうではない。この項では前述の類似点における、相違点について洗い出していく。

賭けについて

 賭けを持ちかけるシーンでまず気になるのは配役の違いである。西條クロディーヌについては悪魔であり、賭けを持ちかける側である点も一致しているが、天堂真矢についてはそうではない。賭けを受けるという役は同様であるが、『ファウスト』において賭けを受けたのは神である。一方、劇中では賭けを受けた天堂真矢の配役は「舞台人」である。ここが最もおおきな相違点と言えるであろう。また、賭けの内容も異なる。ファウストにて悪魔メフィストフェレスが持ちかけた賭けは「人間ファウストを堕落させられるか」であったが、劇中にて西條クロディーヌが持ちかけた賭けは「誰も見たことのないキラめきを見せられるか」である。

セリフについて

 『ファウスト』にて、主人公ファウストが先述した「時よ止まれ」のセリフを放った際、彼は盲目であった。詳細は割愛するが、彼はそのせいで勘違いによって満足し、このセリフを発した。天堂真矢は勘違いをしておらず、この点が相違していると言える。

考察

 この項では前項をうけ、なぜこのような相違点が生じたのか、また、なぜ類似点が生じたのかについて考察していく。

配役の違いについて

 これは恐らく、天堂真矢が担う役割の重複に理由があると考えられる。天堂真矢は劇中において、『ファウスト』における主人公ファウストの役と、神の役割を同時に担っているためである。まず、賭けを受けたのは神としての役だと考えられる。そして賭けを受けたのちに西條クロディーヌ演じる悪魔と剣を交えるシーンでは「悪魔によって誘惑をうける人間」、すなわちファウストの役を担っている。なぜ剣を交えることが誘惑に繋がるかと言えば、剣を交えることは西條クロディーヌにとって手段でしかなく、その真なる目的は「自分をきらめいていると認めさせる」こと、すなわち誘惑にあるためである。このことから、天堂真矢は劇中にて二つの役を持っていると考えられる。一度彼女が観客席に座ったことも、全てを俯瞰する神の役目を持つことを暗示しているのだろう。ただし、神としての役目は「神真似」という単語が出ていることからもわかるとおりまがい物であり、西條クロディーヌによって「器」が破壊された時点で剥奪されたと考えられる。

賭けの内容について

 賭けの内容の相違についても、天堂真矢が二つの役を持っていることから説明できる。つまり、天堂真矢が神そのものではなく神の器というまがい物であり、神に対して持ちかけるものでなくなったために、賭けの内容も変わったのだと考えられる。

セリフについて

 『ファウスト』において主人公ファウストが盲目であったことは、天堂真矢の状態とどのような類似があるだろうか。筆者は、天堂真矢も盲目であったと考える。無論、物理的な意味ではない。「恋は盲目」という諺がある。では、恋よりもさらに焦がれるライバルであればどうだろうか。天堂真矢がセリフを言った際の西條クロディーヌは額縁に縁取られ、画面いっぱいに映し出される。このことから、天堂真矢がこのシーンにて見ているのは西條クロディーヌのことだけだと考えられる。つまり、西條クロディーヌだけを見ることで盲目に近い状態になったからこそ、天堂真矢はレヴューに敗れたのだと考えられる。これは、「盲目を原因として賭けに敗れた」という点においてファウストと同様であると言える(正確にはファウスト本人は賭けをしていないが)。

結論

 「魂のレヴュー」はゲーテの『ファウスト』をオマージュした構成となっており、西條クロディーヌは悪魔メフィストフェレスの役を、天堂真矢は神とファウストの役を、それぞれ担っている。

参考文献

青空文庫『ファウスト』https://www.aozora.gr.jp/cards/001025/card50909.html 2022/7/22 閲覧

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?