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もっとわかります! 卒論合同用語集

アルチンボルド

ジュゼッペ・アルチンボルド(1527頃- 1593) はイタリア・ミラノ出身の宮廷画家である。動植物や食物、本などを緻密に組み合わせて人間の顔に見立てた奇抜な画風で知られる。劇スにおいて「野菜キリン」と呼ばれる野菜や果物で構成されたキリンの姿は彼の画風そのものである。

原罪/禁断の果実

キリスト教で、エデンの園に生えた知恵の木の実のこと。転じて、禁じられているが、きわめて魅力的な快楽や行動の例えとしても用いられる。アダムとイヴはこの実を食べることを神に禁じられていたが、蛇に唆されて口にしてしまい、楽園を追放されてしまう。これが人類最初の罪で、原罪と呼ばれる。すべての人間はアダムの子孫として、生まれながらに罪を負っているとされる。また、こちらも転じて、人間が根源的に負う罪として用いられる。

再生産のレヴュー

愛城華恋と神楽ひかりのレヴュー「最後のセリフ」を指すレヴュー名である。2021年6月20日の舞台挨拶にて古川知宏監督が、納品2日前に愛城華恋と神楽ひかりのレヴューの名前を「最後のセリフ」に変えた旨の発言をしたことで「○○のレヴュー」という仮題があったことが判明。その後、アニメディア2021年10月号内の、脚本家の樋口達人氏へのインタビュー記事にて「再生産のレヴュー」というレヴュー名が明らかになった。

『ジーザス・クライスト・スーパースター』

1971年初演のミュージカルで、新約聖書を題材にしたロック・オペラ。作曲はアンドリュー・ロイド・ウェバー。日本でも劇団四季が1973年に初演し、直近では2019年に公演が行われた。イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)の最後の7日間を独自解釈を交えながら描く。楽曲『Superstar』は明白に『スーパー スタァ スペクタクル』でオマージュされている(聴けばわかります)。

第四の壁

演劇用語。演者と観客を分けるように舞台と客席を隔てる架空の壁を指す。第四の壁は演者と観客の関係を完全に絶ち、観客を三人称視点的存在にさせた。これを逆手に取り「演者が観客やカメラに向かって語りかける」行為などの「第四の壁の向こう側(観客)の存在を認知している」とみられる演技や演出を「第四の壁の破壊」と呼ぶ。

チェーホフの銃

物語の早い段階で導入された要素について、後段になってからその意味や重要性を明らかにする文学の技法。ストーリーに持ち込まれたものは、すべて後段の展開の中で使わなければならず、そうならないものはそもそも取り上げてはならないのだ、というロシアの劇作家アントン・チェーホフの言葉に由来している。曰く、「誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない」。

ファウスト

1.ファウスト伝説

15~16世紀のドイツに実在したという錬金術師ゲオルク・ファウストに様々な魔術伝説が結びついて形成された人物、魔術師ヨハネス・ファウストにまつわる逸話。博学で、悪魔と契約して己の抱く全ての欲望を満たそうとしたが、契約が切れると悲惨な死を遂げたとされる。様々な文学・音楽作品の素材となった。

2.戯曲ファウスト

『ファウスト伝説』を基にヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが書いた長編の戯曲。二部構成で、第一部は1808 年、第二部はゲーテの没年(1832年)に発表された。この世の全てを知りえないことに絶望した学者ファウストは、悪魔メフィストフェレスと魂を賭けた契約を交わす。第一部では生娘グレートヒェンとの悲恋でファウストが欲望と快楽を知り、罪を負う姿を、第二部では理想の国家建設の試みと純粋な愛による救済を描く。

ワイドスクリーンバロック
(wide-screen baroque)

時間や空間を自由に行ったり来たりするSF作品を指す言葉。後述する引用部より「時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛び回る。機知に富み、深遠であると同時に軽薄な作品」がその定義とされる。考案者は、イギリスのSF作家・SF評論家のブライアン・オールディス。アメリカのSF作家、チャールズ・L・ハーネスが書いた長編小説『パラドックス・メン』を称賛するため、その序文に自らの造語として書いたのが
はじまりである。

こうした純粋なSF は、ワイドスクリーン・バロックとしてカテゴライズできるかもしれない。プロットは精妙で、たいてい途方もない。登場人物は名前が短く、寿命も短い。可能なことと同じくらいやすやすと不可能なことをやってのける。それらはバロックの辞書的な定義にしたがう。つまり、すばらしい文体(スタイル)よりはむしろ大胆で生き生きとした文体をそなえ、風変わりで、ときにはやり過ぎなところまで爛熟する。ワイドスクリーンを好み、宇宙旅行と、できれば時間旅行を小道具としてそなえており、舞台として、すくなくとも太陽系ひとつくらいは丸ごと使う。

『パラドックス・メン』p333より引用、中村融訳

のちに刊行されたオールディス著『十億年の宴』ではこの言葉について次のように述べている。

私自身の好みは、ハーネスの『パラドックス・メン』である。この長編は、十億年の宴のクライマックスと見なしうるかもしれない。それは時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛び回る。機知に富み、深遠であると同時に軽薄なこの小説は、模倣者の大軍がとうてい模倣できないほど手ごわい代物であることを実証した。この長編のイギリス版に寄せた序文で、私はそれは《ワイド・スクリーン・バロック》と呼んだ。これとおなじカテゴリーに属する小説には、E・E・スミス、A・E・ヴァン・ヴォークト、そしておそらくはアルフレッド・ベスタ―の作品が挙げられよう。

『十億年の宴』p305~306より、浅倉久志訳


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