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地下鉄車内とスタジアム 空間と色から読み解く大場ななと露崎まひるの輪郭片

片抜手カツオノエボシ
https://twitter.com/kurage_noebo


1.なぜ「空間」と「色」で作品を解釈できるのか

 この論文では、地下鉄車内と「競演のレヴュー」の描写を「空間」と「色」から読み解くことで、筆者の推しキャラである大場ななと露崎まひるの人物像をより深く理解することを目指す。

 本題に入る前に、「空間」と「色」を作品解釈のツールとすることの妥当性を述べる。「空間」と「色」という切り口に違和感が無い読者は、次章まで読み飛ばしていただいて構わない。

 先に空間について述べる。そもそも、空間とは何を指すのか。本稿では“登場人物がいる3次元的な場所”のこととして用いる。小説評論などでは演劇になぞらえて「舞台」と表される事例も多いが、今回は扱う作品のテーマが演劇なので、(筆者自身も)意味を混同してしまうことを避けるために、「空間」とする。

 空間設定に意図を込めた表現はよく見られる。例えば空間の高低差を利用するため、王様など位の高い人物を物理的にも高い場所に配置し、立場の低い罪人は地下牢のような低い場所に封じている作品が典型である。『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以降劇場版とする)はワイドスクリーンバロックを意識した映像作品であるため、空間設定は自由度が高く「何でもあり」だと考えられる。だからこそ逆説的に、各シーンの空間設定には何らかの意図が込められている可能性が高いのだ。

 次に色について述べる。ひとくちに色、と言っても色を構成する要素は主に色相、明度、彩度の3つがあり、今回は主に色相をツールとして用いる。色相とは色合いのことで、例として虹の7 色は色相の違いによって区別される。一般的に「色」と言ったときに最も重視される部分である。色が意味を帯びる身近な例としては、寒色や暖色など色に対する温度のイメージや、信号機に使われる警戒色や危険色、国旗の色などが挙げられる。これらを利用した表現も一般的である。

 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』シリーズの作品群に関しては、九九組メンバーにそれぞれイメージカラーが設定されていることが最も大きな色の要素だろう。このイメージカラーはレヴュー衣装に取り入れられているほか、劇場版においては各々の私服にもあしらわれている。また、モチーフや小物の彩色にも意図があることを本稿では述べる。

 ただ、色は多義的であり、「赤」の小物が登場した際に、その「赤」は華恋の「赤」か、血の「赤」か、危険を表す「赤」か、はたまた別の意味があるのかを正確に判断することは非常に困難であることを留意しておきたい。特に今、例として挙げた「赤」は本作では扱いが難しく、華恋だけでなく香子のイメージカラーやトマト、血、東京タワー、星摘みの星、ポジションゼロなど、似通った「赤っぽい」モチーフが多い。その中で自然な解釈を目指していく。

2.地下鉄車内という空間の解釈

 本章では、新国立第一劇場に向かう地下鉄を空間描写から解釈する。

 「皆殺しのレヴュー」から始まるワイルドスクリーンバロックは、新国立第一劇場へ向かう地下鉄で開幕する。四ツ谷駅遠景、四ツ谷駅近景で画面左に走り去る地下鉄が順に映った後に、8人が談笑する地下鉄車内の様子が描かれることから、地下鉄丸ノ内線を意識していると考えられる。また、車両の外装と内装は、同じく四ツ谷駅を通る中央線などで使われているJRのE233系に酷似している。しかし中央線が都内で地下を走る瞬間はほぼないので、中央線だと断定もできない。一方、作中の列車は、一度トンネルに入ると再び昼間の地上を走ることはない。地上を走るE233系をモデルにしつつ、地下鉄とした理由は何だろうか。キーとなるのは、レヴューが行われる非現実的空間(以降レヴュー空間、とする)は現実の時間に関わらず、常に夜だという点である。TVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以降TVアニメとする)においてキリン主催のオーディションは、レヴュー空間である聖翔音楽学園の地下劇場にて行われ、昼の青空は原則として描かれない。劇場版においてもレヴュー空間は夜に設定されている。よって、本車両が皆殺しのレヴューの舞台装置となるシーンをスムーズに描くためには、地上の鉄道ではなく昼夜が一時的にわからなくなる地下鉄であることが有用だったのだ。

表 劇場版内時間の主な流れ
(回想シーンを除く。筆者の資料を もとに主催が作成)

 劇場版では表のように全体を通してゆるやかに時間が流れている。レヴュー空間において時刻はわからないが、舞台装置や照明があれだけ動いているのにもかかわらず、空の明るいシーンがないということは、意図的に夜に設定されていると考えられる。シーンは異なるが、ひかりがロンドンから地下舞台行きの地下鉄に乗った時間も、彼女が持っていた携帯の画面に20:13と表示されていたことから夜だとわかる。

 では、8人を乗せて四ツ谷駅付近のような昼間の現実世界を走っていた地下鉄はどこでレヴュー空間に入り、夜に切り替わったのか。筆者はトンネルに入った時点でレヴュー空間に入ったのだと推測している。トンネル入り口は空間的に妥当な境界であり、かつトンネルに入ったのちの車内ではもう8人以外に乗客は映っていなかったことが理由である。また、夜への切り替わりはしっかりと描かれている。銀座4丁目交差点のような場所でキリンがワイルドスクリーンバロックの開演を宣言するシーンだ。その前のシーンで現実世界の新国立第一劇場は昼間のカットで映され、次に屋外が映されるのは皆殺しのレヴューでの夜景である。あのキリンのシーンはインパクトだけでなく、演出的にも重要だったのだ。

 以上、昼夜の表現から、あの車両がただの列車ではなく“地下”鉄でなければならない意義を述べた。

 次に注目するのは、本作の地下鉄は何を意味するのか、という点である。

 一般に、レールは人生のモチーフとして登場することが多く、本作も度々現れる赤いレールの描写は華恋の人生を表していると考えられる(*1)。ただし、人生を表すだけであれば必ずしもレールである必要はない。本作中盤から華恋は赤いレールの上を自分の足で歩いており、ただ単に道でもよさそうである。それでもレールを用いた理由は、車両という3 次元的な閉鎖空間を使いたかったからではないだろうか。

 レールを人生のモチーフとみなせば、列車内の空間は、生きる上で他者と接するあらゆる場面の暗喩だと読むことができる。その場合乗客の乗り降りは、人との出会いと別れの表現となる。この見立ては、映画終盤の『スーパー スタァ スペクタクル』が流れるシーンの理解にも役立つ。華恋の列車の中に幼稚園から中学校までの友人たちが描かれるカットは、彼女たちが一時的に華恋の人生に関わりそして疎遠になったことを、列車への乗り降りとして表現しているのである。つまり、地下鉄内での8人の談笑シーンは日常的な描写の側面以外にも、華恋の人生における現在に彼女たちが関係している、という描写なのだ。

 談笑シーンの後の皆殺しのレヴューは、ななの手による華恋の列車からの強制的な「降車」であると捉えられる。個々人の、別々の「次の舞台」へ歩んでいくために、いつかは別れが訪れる。華恋がスタァライトの次の「華恋だけの舞台」を探すキッカケにするためにも、今の仲間との別れを意識させる必要があったのだ。すなわち、「もう華恋ちゃんの舞台からは降りなくちゃ」というななのメッセージである。言葉遊びだが、舞台も列車も「降りる」ものである点も興味深い。

 また、談笑シーンでは窓の外のライトが流れる向きによって、図のように前後がわかる。華恋を除けば、前方にいる人物ほどより「次の舞台」を意識しており、より前進していることが、のちのレヴューなどを踏まえればわかる。香子が極端に後方に座っている理由も、前年のオーディションに固執しているためだと理解できる。ここでななが1人だけ立っているのは、先述の「降車」準備であるという解釈ができるだろう。

図 列車内座席表
(筆者の資料をもとに主催が作成)

*1 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』監督・古川知宏インタビュー① ,2021年6月15日, Febri, https://febri.jp/topics/starlight_director_interview_1/

3.地下鉄周辺の色などに関する補足

 新国立第一劇場に向かう地下鉄についての細かな描写にもいくつか注目しよう。

 1つ目は、地下鉄の外装のラインなどに施された赤色の装飾である。赤は華恋のイメージカラーである。のちにこの列車は赤いレールの上を華恋だけを乗せて走行し脱線する。色の情報からも華恋の列車であると印象付けられているのだ。

 2つ目は、つり革の色である。上掛けをつるす役割や変形時の動きが印象的な小道具であり、全て持ち手が黄色で描かれている。だがモデルとなったE233系では、黄色いつり革は優先席付近にしか使われていない。皆殺しのレヴューの創り手であるななを暗示するための非現実的彩色だろう。

 3つ目は、ドア番号シールである。モデル車両と同様にいわゆる4ドア車として描かれており、1両の片側に4組、両側合わせて8組のドアがある。これらのドアは管理上1 〜8の番号で呼ばれており、また1組のドアの左右を区別するために番号とA・Bを記したシールがドア上部に貼られている。作中でこのシールが映るのは、ドア上のサイネージ広告で運転中に聴くと危険な曲や夏の高校演劇祭でお馴染みの学校の名前が勢ぞろいしているシーンである。よく見ると丸いシールが貼られており、その記号は「7A」「7B」である。「ナナ」はななを暗示し、聖翔音楽学園の俳優育成科と舞台創造科は「A組」と「B組」に分けられている。

4.競演のレヴューの空間的解釈

 本章では、まひるとひかりの競演のレヴューを、立ち位置と距離の空間描写から解釈する。

 まず、競演のレヴューは以下の幕構成になっている。ひかりがスタジアムに招かれてから上掛けを落とされるまでの第1幕、まひるが激怒してからひかりが巨大ミスターホワイトに着地するまでの第2幕、そこからまひるがひかりを送り出し最後に号砲を鳴らすまでの第3幕である。以降はこの幕構成を用いて論を展開していく。

 競演のレヴューにおいて、聖火を前にまひるとひかりが向かい合うシーンが3回存在する。初回はまひるの選手宣誓の後、2回目は様々な競技を終えてまひるが激怒するシーン、3回目はメダル授与シーンである。この3シーンの描写の変化から、2人の変化が理解できる。

 聖火を挟んだ2人の立ち位置は、演劇・映像作品で一般に用いられる客席(我々)から見て右の上手かみてと左の下手しもてに大別される。初回は上手にひかり、下手にまひるだったのに対し、2回目と3回目は上手にまひる、下手にひかりと立場が入れ替わっている。これは偶然ではなく、レヴューでの優勢劣勢を表している。まひるに激怒されたひかりが舞台から降りて逃げていくのも、101階のエレベーターから降りて逃げていくのも、どちらも画面左、すなわち下手である。さらに、2回目の激怒から、ひかりが最後にゴールテープを切る瞬間まで、常に上手である画面右側にまひるがいるカメラワークとなっている。楽屋に逃げ込んだひかりに対しては右手前、エレベーター前の廊下では右上(右奥)、エレベーター内でも右下、巨大ミスターホワイトにも右上から上り、メダルも上手側から掛けている。ひかりが追い詰められていく様子は空間の大きさにも表れている。スタジアムでのスポーツがメインだった第1幕から、第2幕ではリフトの下、大道具のある廊下、楽屋、エレベーター前の廊下、エレベーター、101階の空中通路と、徐々に空間が狭くなっていく。同時に道の分岐も少なくなり、文字通りひかりの“逃げ”道がなくなっている様子が表現されている。

 一方、距離の変化であるが、向かい合うシーンの1回目から段々と距離が近づき、3回目ではまひるがひかりの髪に触れられるほどの距離に立っている。

 ここで、距離描写を解釈する材料としてスタジアムの空間的意義について触れておく。スタジアムには、TVアニメの「嫉妬のレヴュー」の舞台装置だった野球盤とは大きく異なる点がある。それは、大きな観客席があり、多くの観客がいることだ。このような空間を競演のレヴューの舞台装置としたことには、2つの理由があると考えられる(*2)。

 1つは、レヴューを行う空間を“舞台”として成立させるためである。舞台は演者と観客がいて成立するものであり、「みんなを笑顔にするスタァ」を目指すまひるにとってはなおさら観客は欠かせない。明確な舞台化によって「舞台で演技しない」ひかりを問い詰めることが可能になる上、心優しいまひるが親友であるひかりを怖がらせるという難題に対して、舞台の上で演技をするという解決策でまひる自身が自分の“役” を全うできるようになるのだ。

 もう1つは、観客の集団的な熱狂が許容される、スタジアムの異質さを利用するためである。一般に、人間の大きな群衆が同じ思想や目的を持つ事例は少ない。街中の交差点では完全にバラバラであるし、同じ会社や学校の集団でも派閥やグループで別れてしまう。対して、スタジアムに集まる観客は、贔屓の応援で完全に一致している。加えて、競演のレヴューにおいて、選手はまひるとひかりだけであり、観客はスズダルキャットのみであるので、応援する選手が分散することもない。すなわち、観客たちは“まひる”ただ1人への熱狂で統一されているのである。また、スタジアムは構造がすり鉢状であるので、観客の高い熱量がフィールド中央に集中する。アメリカンフットボールの近年のスタジアムなどは、アウェイチームを妨害するクラウドノイズを大きくするため、観客の声援がとりわけよく響くよう設計されている。それほどスタジアムはエネルギーを集める能力が高い空間であるのだ。このように、観客が集うスタジアムという空間設定により、思想が統一された非常に高い熱量を1点に集中させられるのである。

 これらの空間的な性質のうち「熱量の集中」を踏まえると、競演のレヴューは化学反応に見立てることができる。主に化学において物質の反応は、反応物と呼ばれる元の物質のエネルギー量が高くなり、一旦不安定な遷移状態になった後、エネルギーを放出して安定状態の生成物になる変化だと説明される。これを競演のレヴューに当てはめる。

 まず、スタジアムの観客からまひるに集中したエネルギーは、まひるの怒りの矛先と共にひかりへと移る。そのエネルギーは、ひかりが逃げ回り空間が狭くなるほど凝縮されていく。そして高まったエネルギーによって、ひかりはエレベーターで101階へ押し上げられ、精神的に不安定な状態になる。その高みから落下させられることでひかりはロンドンへ逃げた過去と向き合い、舞台で生きる覚悟を得た、全く新しい存在へと変貌したのだ。

 では、まひるはこの「反応」においてどういう役割なのか。それは触媒である。触媒とは反応に必要なエネルギー量を下げることで反応を助ける物質である。反応は触媒の表面で起こる場合が多く、触媒は反応の前後で変化しない。まひるがひかりの「反応」を手助けしているのは当然として、「反応」が「触媒」の表面で起きることは、競演のレヴュー中に2人の距離が縮まっていき、胸倉を掴んだり、メダルを掛けたりする行為と対応する。まひるがひかりの「反応」の前後で変化していないことはどう説明されるか。それは、あの素晴らしい「口上」が表している。レヴュー前の選手宣誓時とレヴュー後の号砲時に2回述べられた口上、その結び方をまひるは全く変えていない。これはまひるの芯の通った一貫性を表現していると同時に、化学的解釈においては「触媒」である証左と言えよう。

 以上のような説明は化学反応のエネルギー論だけでなく、物理的なエネルギー則や原子物理学のように色々な科学的説明が可能だと思われるが、ひかりがエネルギーを持って不安定な状態になることや、まひるを固相触媒に見立てたことから化学反応になぞらえて解釈した。


*2 無論、空間を設定したまひるが野球観戦好きであることも、スポーツをテーマにした大きな理由だろう。

5.競演のレヴューの色彩的解釈

 本章では、競演のレヴュー中のシーンを4つ取りあげ、色彩描写から解釈する。

 まずは、「怨みのレヴュー」が終わった直後、駅の案内表示が映るカットである。劇場の設備や「愛城華恋」などがJRの首都圏駅構内の案内板風に描かれた明度の高い画面上部に目が行くが、注目したいのは画面下部である。華恋を探してひかりが辿る赤い道筋は、確かに改札の「IC専用」と書かれた改札機を通過している。明度が低く見づらいのだが、この改札機は黄緑色で塗られている。JRの首都圏駅構内のようなリアリティが高まると同時に、まひるのイメージカラーでもある。つまり、このワンカットでひかりがまひるの舞台へ入場してしまったことを表していると考えられる。

 次に、初めてひかりとまひるが聖火の前で向かい合う遠景のカットである。ここで注目したいのは、色相の多さと明度の高さである。スタジアムの上段はピンク、下段は黄色、フェンスと夜空は青色、ターフとライトは緑色、聖火は橙色で、手前にはポジションゼロも映っており、非常にカラフルだ。色相の多さは楽しい印象を与える。例えばスマートフォンのアプリゲームは画面いっぱいに様々な色を散りばめているものがほとんどである。

 他にも競演のレヴューにおいては、まひるが選手宣誓をする足元の花壇に植えられた色とりどりの花や空に浮かぶ風船、花火などカラフルなカットが度々登場する。他のレヴューではこれほどの彩りは存在せず、「魂のレヴュー」の赤や紫のように同系色でまとめられている場合がほとんどで、TVアニメの嫉妬のレヴューから続くまひるのオリジナリティが光っている(*3)。

 3つ目は、大道具などが置いてあるバックヤードと、衣装などが掛けられている廊下のカットである。いずれも空間そのものが映されたあとに、赤白スズダルが大量に湧いた状態のものが映される。偶然かもしれないが、前者では青いヘルメット、後者ではフタの青いゴミ箱がスズダルによって遮られる形になっている。青の小物とは対照的に、消火栓や消火器などの赤い小物は遮られていない。

 色彩表現として興味深いのは、なぜスズダルの頭だけが赤いのかである。赤は先述の通り多くの意味を持つが、華恋のイメージはあるだろう。まひるがひかりをメイクルームに追い詰め、「華恋ちゃんの舞台から、降りたみたいに?」と言うシーンで、まひるの足元の小さい赤白スズダルが映される。鳴き声も音が高いことから、幼少期の華恋を意識しているのだろう。また、顔を真っ赤にして怒る、というように怒りのイメージカラーとして用いられている可能性もある。ミスターホワイトが首から上を吹き飛ばされたシーンと、皆殺しのレヴューで純那の首から出血したシーンの影響で、血のイメージもよぎる。

 また、ほとんどのスズダルの顔に目や口のパーツがないのは、匿名性を上げ、不特定多数の漠然とした“群衆” に問い詰められている演出と考えられる。

 そして4つ目が、印象的なエレベーターのシーンである。キャラクターの色替えもされ(*4)、奇抜で恐ろしい雰囲気が出ている。ここでは寒色である青の、さらに明度が低いものがベースに使われており、まひるの看板や矢印マークにはビビットな黄緑や赤紫が使われている。この黄緑、赤紫という色は補色(反対色)の関係にある。RGB表記では黄緑はLime(0,255,0)、赤紫はMagenta(255,0,255)に近く、補色の関係にあることがわかりやすい。補色の関係は、お互いの色を目立たせることができる。エレベーター前のクリーム色からの劇的な変化や、蛍光色も相まってインパクトのあるビジュアルとなっている。

 競演のレヴューで他に印象的な補色が使われているカットとしては、ひかりを見送ったまひるが聖火を向いて最後の号砲を放つシーンがある。全体的にオレンジを主体とした暖色ベースのなかに水色で差し込む光が描かれており、画面がぼんやりとせずメリハリが感じられる。

 最後に、全体的な流れを俯瞰しておく。競演のレヴューは3幕からなっていることは色彩の面からでも理解できる。まひるの宣誓から始まる競技シーンの第1幕では先述のように非常に色彩に溢れていて楽しい印象があった。青い聖火に切り替わってから、ひかりが101階から落とされるまでの第2幕では、青系の寒色や明度の低いカットが多く、まひるの凄味を引き立たせていた。聖火台の中から星摘みの塔が現れてから、ひかりがゴールテープを切り、まひるが号砲を鳴らすまでの第3 幕では、一転してオレンジ系の暖色がベースとなり、まひるの優しさや温かさが引き立てられていた。


*3 ちなみに、作中で他に色相の多さが見受けられるシーンとしては、幼少期華恋のリビングが挙げられる。部屋中に色が散乱し、小物もカラフルである。華恋が成長するにつれ、だんだんと落ち着いていく点も面白い。

*4 キネマシトラス公式(@KinemacINFO) , 2021年10月29日 , Twitter , https://twitter.com/KinemacINFO/status/1454067307739680768 , (2022年5月10日最終閲覧)

6.最後に

 新国立第一劇場へ向かう地下鉄内の談笑シーンと競演のレヴューという異色の取り合わせの考察をここまで読んで頂いたことに感謝したい。それなりの量を書いたつもりだが、それでもまだどこか物足りず、ななやまひるの人物像の一端にしか触れていない感覚がある。決して博識ではない筆者が、空間や色という簡単なツールをメインの切り口として書いた、考察と呼べるかも怪しいような拙い文章だったが、レヴューでもレヴュー外でも細やかな作りこみをされた作品であることが伝われば幸いである。100を超える作品の中から筆者のページに目をとめて、ここまで読んでくれた貴方がいたというだけで、本望である。

 あくまでもここまでの考察は筆者個人の見解であり、制作や他の方の考察作品と相反することがあるだろうが、解釈は人それぞれということでご容赦いただきたい。

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