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天堂真矢と西條クロディーヌの「レヴュー」における「舞台」~『美しき人 或いは其れは』の分析を通して~

耶馬野 桜
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 『美しき人 或いは其れは』は、天堂真矢と西條クロディーヌの2人が「レヴュー」を行う際に歌われる「レヴュー曲」である。ここでは、『美しき人 或いは其れは』を、モデスト・ムソルグスキー作曲の組曲『展覧会の絵』(*1)を中心に用いて分析し、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の真矢とクロディーヌの「レヴュー」における「舞台」について考える。

 なお、これは論文、というよりイラスト付きのエッセイ、として捉えていただけると幸いである。

 では、「楽曲の構成とモチーフ箇所の一覧」を見ていただきたい。これは、『美しき人 或いは其れは』の楽曲の歌詞と、楽曲の構成及び4種類のモチーフ(*2)が用いられている箇所を一覧にしたものである。楽曲のモチーフは、「真矢舞台のモチーフ」、「クロディーヌ舞台のモチーフ」、「『展覧会の絵』のプロムナードのモチーフ」、「『亡き王女のためのパヴァーヌ』(*3)のモチーフ」を取り扱う。表記については「楽曲の構成とモチーフ箇所の一覧」をご確認いただきたい。

「楽曲の構成とモチーフ箇所の一覧」(note転載にあたって筆者作成の図を主催が再構成)

 1では、真矢舞台①が歌詞の「舞台人よ」に相当するメロディーに合わせて登場する。真矢舞台のモチーフはアニメの楽曲『誇りと驕り』でも登場する。完全5度で表されるのがいかにも完璧を目指す真矢らしい。また真矢舞台①はクロディーヌが歌唱を担当している。歌詞の「舞台人」が真矢を指している点、1は真矢が「主役」である点を考えると真矢舞台のモチーフが用いられるのは妥当である。

 2では、真矢舞台②が不穏な雰囲気をもって演奏され、その雰囲気を引き継ぐように展覧会①が短調に変化し登場する。展覧会①は展覧会の絵と絵の間の歩いている時間(プロムナード)のモチーフであることから、ここから展覧会が始まることを予期させる。劇中で額縁を用いて様々な舞台を表している様子から、ここでの展覧会とは、様々な舞台の展覧会(絵は舞台を表す)といえよう。2に現れる展覧会①はモチーフを崩したメロディーだったが、展覧会②のモチーフはピアノの音ではっきりと演奏される。そして、展覧会②と重なるようにして、クロディーヌ舞台①が登場する。クロディーヌ舞台のモチーフは短6度で表されており、真矢の上を行こうとする姿を表しているようである。しかしクロディーヌ舞台①はオーボエで頼りなく演奏されており、きらびやかなメロディーによってかき消される。劇中のクロディーヌの立場を表しているようである。展覧会③は、短6度と同じ音程の増5度の連続を用いた不穏な響きで演奏される。金管楽器で鳴らす不穏な響きのプロムナードは、展覧会の緊張感や規模の大きさを期待させる。2の終わりには、展覧会の終わりを表す展覧会④が堂々と響き渡り、幕を閉じる。

 『展覧会の絵』は、作曲家のムソルグスキーの友人のガルトマンの遺作展の印象をもとに作曲している。『展覧会の絵』の絵は死んだ友人の絵、死者の絵なのだ。『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』でも舞台少女の死が描かれる。真矢とクロディーヌにとって、今の舞台のみが生きている舞台であり、今ではない舞台は死んだ舞台なのである(*4)。

 3では、クロディーヌ舞台②からそのまま続けて『亡き王女のためのパヴァーヌ』のモチーフが演奏される。また3ではクロディーヌが真矢に「あんたは人間である」と言い放つ。真矢が主役だった12と異なり、クロディーヌのターンであることを示すように、「舞台は今 私のもの」ではクロディーヌ舞台③のモチーフが使われる。

 『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、モーリス・ラヴェルによる作曲である。ラヴェルは『展覧会の絵』を管弦楽編曲している作曲家でもある(*5)。真矢の「舞台」がクロディーヌの「舞台」(*6)に塗り替わる4を示唆しているようにも見える。

 4では、真矢舞台のモチーフは用いられず、クロディーヌ舞台のモチーフしか現れない。クロディーヌ舞台④は、「舞台の上」の歌詞の「舞台」に合わせて、真矢により歌われる。クロディーヌによって真矢が「染められている」ことの表れのようである。

 ここまで、『美しき人 或いは其れは』を『展覧会の絵』を中心に用いて分析し、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』真矢とクロディーヌの「レヴュー」における「舞台」について考えた。その結果、①真矢とクロディーヌにとって、今の舞台のみが生きている舞台であり、今ではない舞台は死んだ舞台であること② 『美しき人 或いは其れは』の楽曲中において、前半(12)は真矢の「舞台」であったが、後半(34)はクロディーヌの「舞台」に塗り替わること、の2点、発見があった。『美しき人 或いは其れは』の中には他にも様々なモチーフやパロディがあり(*7)、その全てに言及することはできなかったが、「舞台」について着目しこのようなエッセイが書けたことを嬉しく思う。『少女☆歌劇レヴュースタァライト』に関わってくださっている方、企画してくださった方、校正してくださった方、読んでくださった方、皆さんにお礼を伝えたい。ありがとうございました。

イラスト(筆者作成)

*1 『展覧会の絵』(Картинки свыставки)は、ロシアの作曲家、ムソルグスキー, モデスト(Mussorgsky, Modest 1839-1881)によるピアノ組曲。1874年作曲。全10曲で、最初と第2、3、5、7曲の前にプロムナード(「そぞろ歩き」の意)がおかれている。ここでは『展覧会の絵』のプロムナードのみを取り扱ったが、他の楽曲も『美しき人 或いは其れは』とつながるところがあるように思うので、興味を持った方はぜひ組曲で聞いて欲しい。管弦楽編曲版も素敵です! これを書きながらずっと聞いてた。

*2 ここでの「モチーフ」は、音楽用語の「動機」を指す。それ自体である表現性を知覚させる、最小の音楽的単位である旋律断片、あるいは音形のこと。1音から2小節程度の長さで、リズム、旋律、和声上の特徴をもつ。

*3 『亡き王女のためのパヴァーヌ』(Pavane pour une infante défunte)は、フランスの作曲家ラヴェル,モーリス(Ravel, Maurice 1875-1937)によるピアノ曲。1899年作曲。「パヴァーヌ」とは、16-17世紀初期の2拍子のゆっくりとした宮廷舞踊のこと。

*4 もしかしたら、「水面に映った私」、映し出された真矢は、真矢として死んでいる姿である、とも解釈できるかもしれない。それもいいな……。

*5 ムソルグスキーは存命中高い評価が得られず貧困のまま亡くなった。後に、作曲家として名声を得ていたラヴェルがムソルグスキーの『展覧会の絵』を編曲している。真矢を追うクロディーヌの姿や、「レヴュー」の最後でクロディーヌが額縁越しに真矢に剣を突き出す姿に重なるところがある。

*6 この短6度のモチーフを「クロディーヌ舞台のモチーフ」とした理由は以下の通り。① 完全5度のモチーフが「真矢舞台のモチーフ」であると断言できた点。② 2で「クロディーヌ舞台のモチーフ」がかき消されている点。③ 歌で初めて用いられたのが3のクロディーヌの「舞台は今 私のもの」だった点。以上の3点より短6度のモチーフを「クロディーヌ舞台のモチーフ」とした。少なくとも「真矢舞台のモチーフ」ではない。

*7 個人的に「この私だけを見てればいいの」の後に現れる『誇りと驕り』のメロディーが、まるで真矢さんの「誇りと驕り」が昇華されているようでとっても好き。

参考文献


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