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2023年6月30日☆思いやり

皆さま、こんにちは☆
ふと思い出した話を書くことにしますね。

ときどき書いていますが、
私はひどい家庭環境で育ちました。

私の母親は叔母さんの元で育ち両親の愛を知らず、
さらに叔母さんが選んだ夫がひどい人で、
夫の愛を知らない可哀そうな人ですが
博愛の人です。

母親の叔母さんが糖尿病で盲目になり、
自宅介護をして亡くなった後、
私が4歳のときに妹ができました。

母親に「兄弟は欲しいか」と聞かれたので、
私は「いらない」と言ったのに、
「一人じゃかわいそうだから」とか言われて(笑)、
妹が生まれました。

私は4歳でしたが、
ずっと大人扱いされて育っていたので、
4歳にして目の前に広がる光景が「意味不明」でした。

人間ってなんなんだろうな~
って思っていました。

母親は妹の妊娠中に妊娠中毒症にかかり、
さらに吸引で出産して、
妹は本当に体が弱くて敏感な子だったので、
母親は妹にかかりきりになりました。

そんな状態ですから、
私は言われたとおり静かにしていたと思います。

当然ですが、妹のことはまったく
かわいく思えませんでした。

この子はなんなんだろうな~
って思っていました。
愛情も興味も感心も、もてませんでした。

そうして淡々と生きていたら、
「いにーは妹をかわいがらない。
思いやりがない。」と言われました。

さすがに、
「思いやりって何?」って思いました。(笑)

今でも「思いやり」がよくわからないので、
「思いやり」という言葉は使いませんね。

ご存じのとおり、
子供は親の刷り込みで育ちますから、
「私は思いやりのない人なんだな」
と思って生きてきました。

私はたぶん本質がニュートラルなので、
「思いやりのない自分はダメなんだ」とか
「思いやりを持たなければならない」とかは
全く思いませんでした。

思いやりがあってもなくてもどっちでも良くて、
思いやりがあるらしい母親は
自分はまったく悪いことをしていないのに
ひどい目に合っていたので、
ああならないように生きてきました。

3歳くらいの自分の写真を見ると、
顔が悟っているんですよね。

こんな感じです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9

それから私も人間の女性として成長して、
自我がかなり強い人になりました。

そして、人生体験を通じて、
自我がだんだんと落ちてきました。

先日、実家に帰ったときの話。

昔話をしていて、母親が私にむかって、
「昔、あんたに小ばかにされた」と言って泣き始めたので、

その様子をニュートラルに眺めていた私は、
2秒迷いました。

「お母さん、ごめんね。」
と言うか、
本当のこと
「お母さんが世界中で私にだけ吐き出すからでしょ。
妹は子供扱いして、私を大人扱いするからだ。」
と言うか。

本当のことを言いました。(笑)
私は人間なのでね。

自宅に戻って、
心優しい夫に淡々とそのことを伝えると、
「いにー、そこはごめんね、と言っとけ」
と言われました。

「いやいや、私もまだまだです。(笑)」
と言いました。
私はそんな自分が愛おしいのです。

悟り系の方の本の中で、

人はみな生まれつき悟っていて、
自我を体験するためにいったん閉じて、
また悟りを開く。
だから、悟りを「得る」ではなく「開く」なんだ。

と書いてあって、
なるほど! そうだよね~って思っています。

いろんな考え方がありますが、
私は「悟り」を遠くのどこかにあるものではなく、
特別なものでもなく、すごい人になることでもなく、

「いつでも今ここにあって開くもの」
だと思っています。
そうして生きているし、そうして世界を見ています。

ようするに、開いて元に戻ると楽だよ
ってことですね。

ちなみに、数年前にひどい父親が死んで、
母親は子供扱いして育てた優しくて敏感で
近所に住んでいる妹に介護&心配されながら、
今はとても幸せに暮らしています。

私は母親に
「お母さん、幸せになってよかったね。
人間、死ぬときは死ぬんだから、
あとは楽しく生きたらいいよ。」
と言っています。

今日も皆さまの愛と人生を愛して応援しています!

弥勒菩薩☆
いつもありがとうございます☆

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