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猫とジゴロ 第七十一話

目覚めると病院にいるらしく、ベッドの上に寝かされていた。点滴こそされていたが、気分は悪くはなかった。俺は尿意を催しており、何とか点滴を杖のように使ってベッドから立ち上がった。どうやら病院の個室に入院しているようだ。俺は扉を開けて便所に行こうとした所が、看護師さんが飛んできて「高橋さん、ダメなの。あなたはこの個室から出てはいけないことになっている」若い女性の看護師さんだった。「私は古田と申します。通常はルーティーンで担当が変わるのですが、高橋さんの場合やや危険ということで、この病室からはお出になれないように指示されております」「鈴木刑事は何処にいらっしゃるのでしょう」俺はまだ覚めきっていない意識のまま、質問した。確か最後は鈴木刑事が、俺のことを助けにきてくれた筈だった。

「鈴木刑事は別室で何やら話し合っていらっしゃいます。ご安心下さい、もうすぐいらっしゃいますよ」看護師さんはにっこりと微笑んで病室から出て行こうとしていた。「古田さん、俺、そのおしっこがしたくなって。トイレぐらいいいだろう」「高橋さん、こちらにトイレがついております。高橋さん専用の。他に何かお困りになっている事はございませんか?」古田さんはちょっと心配そうな声で言った「本当にひどい事件でした。高橋さんも随分と怖い思いをされたと思います。テレビでは今捜査本部のお偉いさんが記者会見を開いてますよ」「俺はあまりテレビを見ない」古田さんは幼い子供をあやすように言った「ここではパソコンもスマホも禁止です。テレビ、皆さんご覧にならないですよね、最近は。私は機械音痴でやっとスマートフォンの操作のイロハが分かってきた所で」チャーミングな笑顔を見せて「それでは、お困りの際はナースコールで呼んで下さいね。どんな些細な事でもお役に立てない事はないと自負してます。」

俺は放尿を済ませて、またベッドに戻った。暫くすると鈴木刑事がやって来た。「刑事さん、俺は夢を見ていたんですかね。マダムがヘンテコな小説を書いていて、それを聞いているうちに意識がなくなって。気づいたら手足を椅子に固定されて、口には猿ぐつわ。本当に嫌な夢だった。で、何で俺は入院しているんですか?」鈴木刑事は本当にお気の毒様と言わんばかりの顔で話し始めた。「まずは高橋さん、それらは全て実際に行われた事実です。あなたがマダムと呼んでいた福六園祥子は、全くの偽名だし有名なお茶屋の娘というのも嘘八百です。本名、土田茂子、前科六犯、偽造・詐欺・家宅侵入・窃盗・恐喝など、何度もぶち込まれている、もちろん刑務所にですが」俺は言った「銀座にはちゃんとお茶屋さんがあって、そこで面接したのは確かだ。それにあんな高級住宅街に居を構えているなんて、前科者には可能なんでしょうか」「ちょっと調べれば分かりますが、銀座には「福六園」などという店はありません。土田が手配してその面接の日だけ貸切にしたのでしょう。そうそう斎藤という執事、あの方はご高齢で話の筋がわからないようです。土田が身の回りの世話をさせていた、単なる小間使いですね。かわいそうな一人です。とにかく、あの女はとても危険な女です。指名手配こそされてはいませんが、今も怪しげな商売をしている。人身売買は元より臓器売買から詐欺まで。あとは違法な薬物も製造・販売しています。裏は取れているんです」俺は唖然としていた。

刑事が聞いてくる「あなた、松濤のあの家に着いた時に色々な契約書にサインされているでしょう?覚えていませんか?ここにコピーですがお持ちしました。土田の部屋から押収したもののコピーです。中々に酷い契約書だ。自分の身体を提供するとかむしろ私、つまり高橋んさんですが、死にたい、殺してほしい、とまで書いてあります」。俺は確かに何十枚ものヘンテコな契約書にサインしまくったのを思い出した。

それから、あなた、いや我々を監視していたのはストーカー達です。英語で言うギャング・ストーキング、日本語では「集団ストーカー」と言うことになります。俺は刑事さんの話を遮るように言った。「集団ストーカーなんて精神を病んだ奴の妄想でしょう。そんなの存在するわけがない。第一、こんな平凡な中年男を追いかけ回しても、何にも面白いことなんてありゃしない。一体、彼らは何者なんですか?確かに刑事さんは、我々は監視されているとおしゃった。では彼らの目的は?あと規模というか「集団」というからにはそれなりの人数がいるのでしょう?」矢継ぎ早に捲し立てた。

元々はダークウェブサイトでやり取りしているクラッカー達の「オフ会」とでも言いましょうか。とにかくターゲットは誰でもいいんです。目的は特にありません、いわゆる愉快犯なんです。高橋さんの場合はそういうことになります。「愉快犯」?一体何人の人間が加担していたんですか?実はウェブ上で既に幾つかサイトができている。井口さん殺害事件が起きてから雨後の筍のように幾つものサイトが立ち上がっている。ヒモ同然の暮らしのプー太郎であるはずの高橋さんが、ポルシェの上位モデルを乗り回したり、そんなこんなのやっかみ半分というのが正直な所でしょう。「で、一体何人のストーカーが加担しているんですか?」刑事さんは即答した「恐らくアクティブに活動していたのは数百もしくは数千の桁になると思われます。ただその傍観者は大変大勢の人間がおったようで、ただひたすら、あなたが色々なことに直面して苦しい思いをしているのを、傍観していました。のべ数百万人のアクセスがあったので、実際には数十万人というところでしょうか」。鈴木刑事は続けた「あなたは集団ストーカーの犠牲者としては、初のサバイバーです。つまり大抵は心を病み、自殺、或いはドラッグに走る者、性依存に、買い物依存。精神科で処方薬漬けになるもの、入院するもの」鈴木刑事はよほど喉の調子が悪いのか、咳き込み始めた。「大丈夫ですか?」「高橋さんも納得がいかないでしょう、話を続けます。高橋さんは彼らを訴えることができます。容疑者数千人の初の大規模訴訟になります。アクティブな参加者はパソコン、もしくはスマートフォンで連絡を取り合っており、そのログも押収済みです」。

「土田は今取り調べ中ですが、証言から芋づる式に共犯者がゴロゴロ出てきています。あなたのいく先々で妙な事件が起こるのも、彼らのなせる技でした。全くお気の毒としか言いようがありません」