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猫とジゴロ 第四十六話

萩の花が咲き乱れるマダム邸の庭で俺はぼんやり考えていた。もちろんこの先の自分の身の振り方についてだ。俺はたまたま猫好きな資産家の娘であるマダムに気に入られてショートーなんてスゲー高級住宅街の立派な邸宅に身を置き、やはり猫の世話以外はろくに働いてもいない。鉄平の言葉が頭をよぎる。「やっぱり住所不定無職ってのは良くないと思うんだ」。一体、この歳になって何を始められるわけではなし、かと言ってボーッとフラフラしていたらあっという間にお爺さんになってしまう訳で、何とか「おじさん」の内に何かしらの糸口を探さないとマズイなと、沸々と焦燥感のようなものが湧いてきた。

もうすぐ彼岸だな。俺も墓参りに故郷の鳥取へでも帰ってみようかなあ。頭の中は、そんな事ぐらいしか浮かばないほど、頭のキレって言うのかな、まあ元々俺の頭はキレる方でもないが、とにかく真剣に考えるべき問題が山積だった。「人として」の。俺ぐらいの歳にでもなれば、普通に会社員をしている奴らはもう管理職だ。それに比べて俺は一体何をしているんだろう。俺と言う人間は、いや俺の人生は一体何だったんだろう。猫は可愛いし世話をしている内に「誰かの為に何かをする」と言う満足感を伴う行為をする事で、それなりに自分で自分が納得のいく存在として俺自身が俺自身を認める事が出来ていたのかもしれない。俺にとっての猫は、「自由の象徴」であったはずだ。だが、そもそも人間にとっての自由とは何なのか、自由である事の素晴らしさとリスクを俺は心から理解できているのだろうか。鉄平が言っていた。「平等の上に自由は成り立たない」と。人生その人それぞれで、自由であると言うことなど鼻から望めない不運な境遇に身を置く人々は五万と居るはずだ。俺はたまたま運が良かっただけだけれども、優雅に何不自由なく生活を送っているが、こんな事は長くは続かない。俺は庭を眺めながら、貧乏ゆすりをしていた。

「ねえ、あなた。以前、本格的に茶道の体験をしてみたい、なんておっしゃっていたわね」。気づくとマダムが横に立っていた。「どう、ご気分は。もう萩の花がこんなに咲いて、季節はもうすぐ秋ね。」「そうだねマダム、もうすぐ秋だね。」俺は適当な相槌を打つかのように、ぶっきらぼうに答えた。「帰って来たあなたは、以前、吾郎と運動会だかかくれんぼだかしていた頃と少し違って見える。それは気のせいかしら。あなたはユリと出会って、ああもちろんそれだけが理由とは決めつけていないけれど、とにかく何かが変わったとあなた自身の心の中で感じる時はない?本当に以前のあなたとは違って見えるの。」「俺はさ、何て言うのかなあ、以前、マダムの事を世間知らずと言わんばかりの扱いをして来たと思うんだ。いや実際そうだったと思う。けれども本当の世間知らずは俺の方だなって思い始めているんだよ。そいつのきっかけになったのは世話になった友達なのか、ユリという美しい猫なのか、或いは虐待を受けて傷ついたユリを一応は救って来られたという自負からなのか、そいつは分からないんだけどさ。」「私の家から出て行き、それなりに色々な事象があったのでしょう。それは正確には分からない。でもね、例えばこうして交わしている言葉自体が違って聞こえる。声のトーンや話し方、それに決定的に違うのは言葉の選び方かしら。」

マダムと話している内に、またユリがやってきてニャアと鳴いた。

毛繕いをしてから丸くなって寝ているユリを見ながら言った。茶道の体験、やっぱりしてみようかと思っているんだけど、そいつは「今日、今から」何てふうには決められないもんなんだよね?マダムは呆れたような顔で言った。最初が肝心って言わなかった?あなたは体験することで、茶の湯の世界を好きになるのか、それともこんな物なのか、とがっかり失望するのか、何かしらの反応がある筈ね、それは分かるわね。うん、と答えながら俺は目を閉じて瞳を休めていた。私はあなたが茶道のような格式ばったものの中で、一体何を感じるのかとても興味があるの。

それだけ言うとマダムはすっくと立ち上がりスカートの埃を払って言った。もうすぐランチの時間ね。今日のランチはアボガドバーガーですって。楽しそうに話すマダムを見てから言った。冗談にしては中々よく思いついたもんだ。フライドポテトとコカ・コーラもお願いしたいね。

二人でダイニングテーブルに着くと、本当にバーガーの乗った皿を二つ持って、斎藤さんが現れた。いつものロカボ料理はどうしちまったんだろう。

「今日のランチはアボガドバーガーでございます。お飲み物はいかように致しましょう?」「コーラはある?」「もちろんです。」踵を返して斎藤さんはキッチンルームの扉の向こうに行ってしまった。