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猫とジゴロ 第四十七話

アボガドバーガーを味わいながら、マダムにユリに関する実直な感想を訊いた。そう、俺がユリに対して感じている複雑な気持ちも、随所随所に散りばめながら。「あの子は何と言うか、ちょっと猫離れしている気はするわ、確かに。もちろん虐待はあってはならない事だし、その遠藤くんという男の子は悪いやつだと思う。でも、ユリは何かしらその遠藤という男の子の深層心理から、人間の頭では思い付かないような「いけないもの」を引っ張り出してしまったようね。」「そうなんだ。ユリは今度は俺の中の無意識の領域から何かを引っ張り出そうとしている。」「とても興味深い考察だわ。」

マダムはアボガドバーガーの3分の1程を残して「天使の取り分」と言って笑いながら自分の居室へ戻ろうとしていた。「そうそう私、エッセイを書き始めたの。斎藤から聞いていると思うけど。あなたも何か書いてみたら良いと思う。人間入れるだけじゃダメなのよ、たまには出さないと。」「ん?マダムそれってさ、俺に何かを表現してみろって言いたいのかい?」「流石、打てば響くわね。その通りよ、あなたも何か書いてみたらどう?」「いやあ、俺は何て言ったって読書ってやつが大嫌いでね。自分で文章を書くなんてとてもとても。それに何を表現すれば良いんだろう。」「それは自然と湧いてくるものだと思う。湧水のように。」「ユースイ?」「そうよ湧き水のように。沼津の方に柿田川湧水群というのがあるから少し足を伸ばしてドライブしてくれば良い。」「車がない。まあ、駐車スペースを見てポルシェが消えているのは確認済みでさ。」「レンタカーで十分じゃない?」

マダムは捨て台詞のように言った。「柿田川湧水群は日本一の山、そう富士山の伏流水がこんこんと湧いているところなの、それはそれは清い流れよ。私は水に関してはかなり詳しいの。普段私が口にしている水も、とある所から取り寄せている特別なものなの。それはそうと、あなたは車というかなり男っぽい趣味を諦めた。あなたの心の中で相当な領域を占めていた、車という概念に付随する極めて大量な情報が不要になって、あなたの心は何か別のものを求めている。それを満たしてあげるの。自分の胸に手を当てて、心の呟きに耳を傾けてみると良いわ。」

「心の呟き」ねえ。マダムがダイニングから消えると、俺は残りのバーガーの切れ端を無理矢理口の中に押し込んだ。そしてごくりと飲み込んでから「斎藤さん、斎藤さんよ」とキッチンにいる斎藤さんを呼んだ。「何でございましょう?」斎藤さんが飛んできた。「コーラをもう一杯、それとマダムが残したバーガー食っても良いかな。」「アキラさん、新しいものをお持ちしましょう。少々お待ち下さい。」斎藤さんがそう言い放ってキッチンへ戻ろうとするので言った「いや悪いけど新しいバーガーを丸々もう一つなんて食えないと思う。この、マダムの残りでちょうど満たされそうなんだ、俺の胃袋くんの欲求は。」斎藤さんは丁寧にこう言い返した。「アキラさん分かりました。斎藤は人さまの欲求を満たすことが仕事です。アキラさんの胃袋の具合までは分かりかねますが、アキラさんの仰る事は理解できます。それではコーラをお持ちしましょう。」斎藤さんも居なくなってポツンと大きなダイニングテーブルに一人腰かけてマダムの言った「天使の取り分」を頂戴した。

マダムの付けている香水の残り香が微かに漂っている。