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私が人生で一番楽しいと思った花見の話

私はコミュニケーションエラーばかりをしすぎていたので
人とのやりとりがガチで楽しめなかった。
特に会社で人と関わるのが苦痛だったし、
会社の飲み会とかマジのマジで苦痛でしかなかった。

だんだんと苦痛回避することに舵がきられ、
会社ではひきつった顔で過ごすことが多かった。

そんな私が人生で唯一無二で楽しめた機会が、コミュスク仲間との花見だった。
人生で唯一無二って、どんだけ人生楽しめてねーんだ、とすら思うが。

コミュニケーションスクールの生徒同士でグループができて、
そこで有志でコミュニケーションスキルアップのためのミーティングを開いたり、
皆で飲み会行ったり、カラオケ行ったり。実に活発な交流が起こった。
一番思い出深いのは、皆で靖国神社の桜を見に行った時か。

夜に花見をしたが、桜がとても綺麗だった。

チーム一丸になって花見のための準備をした。
あるグループは買い出しに行って、あるグループは場所取りをして。

皆で桜を見るって新鮮な感じだった。
会社じゃないから人間関係も気楽だったし
私としては楽しかったのを覚えている。

「目上の人間に気を遣え」とか
会社の人間関係だと本当にプレッシャーかかってばっかりだけど
彼らは会社の人間じゃないので一緒にいて本当に楽だった。

当時の私はメンバーの中でも若い方だったが
率先して場所取り係を演じることができた。

場所取りのは私みたいな下っ端の仕事だって、
しつこいくらいに会社に躾けられていたからな。

繰り返すが、相手する人間のことごとくが
自分の会社の人間じゃないので本当に気楽だったのだ。

会社という場所では、上下関係、ヒエラルキーというものを叩き込まれた。
それを破るものに対しては罰を与える、
という感じの空気感が当時私がいた会社では取り巻いていた。

私はそれがとても嫌だったが、会社で生き残るには
ヒエラルキーに従順な犬を演じるしかなかった。

社会人新人というのは、その多くが先輩社員との軋轢だったり、
仕事がうまくいなかったり、あるいは自分が思い描いていたギャップに苦しんだり、

挫折を繰り返すのでないだろうか。

私も社会人になって夢というものを悉く破壊されて、
現実を突きつけられて、受け入れざるを得なくなった。
私が思い描いていたことが、会社では全く実現できない。

そんな若かりし頃の私の愚痴も聞いてもらって、とても気持ちが楽になった。

後日、新人だった時の私の配属の話を聞くに、
私はクビ一歩手前だったのだが、すんでのところで
今の部署の上司に「拾われた」というのが、配属の真実だったそうだ。

だから、私の中では会社という社会に切られて
まったく生きていけなくなる恐怖との戦いでもあった。

その恐怖を感じて、怯えながら過ごしていた人間が
会社や周りで私以外に誰かいるか?で言えば
私一人しかいなかったわけだ。

私は誰かと悩みや感覚を共有していたワケじゃない。
私はずっと独りで闘っていた。

桜を見に行ったのが私の人生で一番楽しかった、
というのは桜が綺麗と言うだけでない。

別にコミュスクの仲間に話を聞いてもらって、私の苦境が改善したワケじゃない。
ワケじゃないんだけど、私の不安を取り除いてくれるような
皆で楽しめるイベントを作ってくれたことは、本当に嬉しかった。

何が楽しかったかで言えば、私が独りで会社で苦闘していたが
会社の連中ほど関わることもない仲間と一つのことを成し得ることができた
ということにすこぶる楽しさを覚えたのである。

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