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ユニバーサル・カバラ2を振り返って。お金=「愛」の方程式



ユニバーサル・カバラを終えた後、カバラになぞらえてこれまでの事象を捉えています。

今回はユニバーサル・カバラ2が終わった後のこと。
ティファレット(愛)の話。

採掘場の労働者たち


発射寸前の電車に突撃してくるやつも、陰険な上司同僚も、
皆お金が大好きなんだろう。

お金が大好きだから、どんなに嫌いな仕事でも我慢してやるし、
満員電車がどんなに苦痛でも乗るし。

金のためじゃなきゃ、わざわざ満員電車乗ったり、
苦痛だと思う仕事を延々と続ける必要はないのだから。

「愛は金じゃない」ー、目の前に吊り下げられた金というニンジンを前に、
果たしてどこまでそんなセリフが言えるかな?

ある時の私は、満員電車になる最寄駅を
「平日は採掘場に出稼ぎに行く人間たちで集まる場所」という認識を持っていました。

「愛」


「愛=金」という、見たくもなかった現実をカードを通して見てしまった。

「あたしのこと愛してるなら金をくれ」という構図。

「愛があるなら、金くらい出せるだろ?」という悪魔の囁き。
残忍な事実だが。

どこへ行くにも「愛」には「金」が絡んでくる。
離婚をした知人は、前妻から「慰謝料」といって多額の金額を請求される、といった具合に
パートナーを作ってもお金の問題も芋づる式についてくる。

パートナーの「パトロン」にしても、お金の使い所には、
その人の意志が大事。というか、パートナーになりうる人の金の定義のされ方に注目すべき。

金銭センスがその人に近い人を選ばないと不幸になりそう、というのは
これまでいろんな人を見て思ったこと。

金を払わないと続けられない人間関係。

交流会に参加しなければそこで関係は途切れる。

これが人間関係のみならずビジネスにしても
「私のこと愛してるんでしょ?だったらお金ちょうだいよ」
というのを言い方を変えただけのようにすら思える。

皆言い方が違うだけで。どんだけ皆金にこまってんねん。

愛がないと「わりとどうでもいいこと」に金を使う。
生産性のない趣味や暴飲暴食。

どれだけ余計なことに使わず、逆にどれだけ自分の再方向の定義づけにお金を使ってるか。

必要なことだけに投資している人が果たしてどれだけいる??

総括


自分の人生の再方向を定義づけたり、あるいは誰かのために、
何かしてあげたいという気持ちで使ったお金は
「天界貯金」に貯まる。

天界貯金に貯めた分がいつか引き出される、というわけ。

例えば行きたいセミナーがあるけどお金がない、
そんな時に誰かがお金を貸してくれる出来事があったり。

愛=金の縮図を変えるには、お金に振り回されないためには
いかにお金の定義から逃れていくか、ということ。

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