ユニバーサル・カバラ4を振り返って。愛と孤独と「王冠」
ユニバーサル・カバラを終えた後、カバラになぞらえてこれまでの事象を捉えています。
今回はユニバーサル・カバラ4が終わった後のこと。
ケテル(王冠)の話。
「幸せ」とは
物質世界に生きる以上「やりたくないけどやらざるを得ない」ことがあるのも確か。
洗濯とか掃除とか。平日あくせく働いてる仕事もそれと同じ。
だがみんな、そんなことを無理して頑張ってる現状が続いている。
いくら武芸百般に秀でたところで、それが即座に幸せに繋がると限らない。
いくらたくさん友達がいたって、幸せにつながるとは限らない。
「やりたくないけど、やらなきゃいけないこと」が必要なのも確かである。
しかしそのバランスに欠けているのもまた事実なのである。
バランスの悪さが「不幸」という。
「今」をふりかえって見るとどうだろう?現状は今「幸せ」か?
偽りの「王冠」
私には5歳までの記憶が欠落しています。
もしかして愛されて育ったのかもしれない。
もしかして誰かに愛されたことはあったのかもしれない。
だったとしても、愛を感じ切ることが、幼い頃の私にはかないませんでした。
自分と同学年の人間と比べてもそれは顕著でした。
自分と1番近いところにいた母親と関係を築けないのに
どうして学校の同級生や会社の同僚と関係が築けようか?
自分の人生に「足りないもの」があると思うからこそ
転生した最強の自分を照らし合わせたくなる、最強の主人公に投影したくなる。
自分が見えてない頃の私はずっとアニメばかりを見ていて
満たされない気持ちをずっと満たそうとしていた。
ゲームをし続けて感じきれなかったことを得ようとしていた。
仮想世界で生まれて初めて「王冠」を手に入れることで満足しようとしていた。
自分の人生「面白い」の?
アニメを見てる理由を「説明」できるの??
当時の私にそれを聞かれても刺されて痛いだけだった。
自分を縛る「呪縛」を解き放つこと
私が求めたのはいつも物質的なもの。金とか地位とか。
「愛」とかっていう、なんだかよくわからないものに取って代わる
他者からの留まることのない賞賛を、物を欲してきました。
愛があれば満たされたかと言われると、また違うと思うが。
たくさんの関係を築いて長続きしないのと
愛情感じられずに育ったことは、決して無関係ではあるまい。
本格的にヒーリング施術を受けるまでは
私は心が実は傷だらけでズタズタなことに気づくのに
あまりにも時間がかかり過ぎていました。
愛がない人生、私はずっと「生き恥を晒してきた負け犬」として人生を生き続けてきた。
負け犬根性が染み付いてしまうと、そこから解き放つのは容易ではない。
「愛のかけらもない」「生き恥を晒し続けてる」という
「呪縛」に飲み込まれてたのだろう。
ただその「呪縛」を解き放った時、気がついたら私は「孤独」になった。
たくさん「友達」を作ったはずなのに、
独りポツンと立たされる「孤独」になった。
人間関係を築いたそばから離れてゆくのは、今でもそんなに変わらない。
ですが、これでよかったのでしょう。
終わりに
物質的に満たされてれることが「王」の条件でもなければ
無理矢理心のすきま風を埋めることも「王」ではなく
「王冠」からどんどん遠ざかっていく。
良くも悪くも、どうしても物理的な世界にいると
あれもこれも足らないと思うのは人の常。
自分を縛る呪縛から解き放たれて初めて「王冠」の頂が見えるのです。
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