「カバリスト」になるまでの過程。ユニバーサル・カバラを受けるとどうなるの?

「カバリスト ぼくの成功物語 下巻」を読み、刺激を受けました。
当時カバラ3の「峻厳」「慈悲」を歩んでおり、
書籍にある内容が少しずつ腑に落としたので
今回、ユニバーサル・カバラの話と書籍の感想を少しおすそ分けします。

カバラを受けることでパートナーシップの幻想が剥がれる

カバリストにおいては現実という名の仮想現実、
現実ではさまざまな要素の牢獄に囚われている、という表現をよくしています。

例えば、パートナーシップ。

自分の目に見えてるものは知覚的幻想で、
目の前の相手はこういうものだと思い込んでいる。

リアリティを歪曲して信じ込んでいる。

ユニバーサル・カバラを受けると、その幻想から解き放たれて真実が見えてくる。
だから、カバラを受ける人は離婚が増えるという話がありました。

相手に勝手な幻想を抱いていて、その真実が見えてしまったケース。
私のカバラ同期生にもやはり離婚されたという方はいましたね。
離婚はしたけども、元パートナーには感謝をしている、とおっしゃってました。

逆に私の世話になったヒーラーさんは、カバラを受けて
自分らしくない、余計な価値観を取り払ったことで
カバラの終盤あたりで生涯のパートナーが見つかった、という話をされていました。

パートナーが今いる人は、相手に抱いていた幻想や願望が剥がれて本質が見えた。
逆にいない人は、誰が本当に自分を愛してくれる、あるいは愛を傾けられる、

そんなパートナーシップの本質が見えてくるということですね。

「カバリスト」を読むことで見えてくる、偽りの「栄光」「勝利」

書籍「カバリスト」の「ぼく」はお金も名声も恋愛も全て手に入れたのに、
そうなると周りの誰もがうらやむ、満足してしかるべき人生じゃないか、
そのはずなのに人生に「幸せ」、充足感がないことに違和感を感じていました。

何を持って「幸せ」なのか?
「幸せ」のヴィジョンが実は刷り込まれたもので、
真実はもっと別のものにあったというのが主な概要です。

この「カバリスト」を読んでいると、
私自身も同じように刷り込まれたというか、
誤ったヴィジョンをゴールで思い描いていたことが思い返されます。

私は今のIT業を廃業して、コーチングを行うプロコーチに転身して
一本立ちし成功することこそが人生の栄光だと思っていました。

しかし自分が檜舞台に立てる目処もたっていなければ、
コーチとしての実力もまるでない。

そんなことで悩んでいた結果、起業家という人種に絡まれることになり、
多額の投資をして起業活動の道に走ったのです。

今思えば多額の投資をしたのは、根拠のない自信からくるものでした。

今、目の前に起業のノウハウを売り込んでる先生は、絶対すごい人、「成功者」なんだろうと。

この人について行って、他人より違うことをしていけば、絶対に成功するだろうと。

今となってはプロコーチになりたいという夢も、
コーチングを勉強した理由も曖昧だったとしか言いようがないんですがね。

「善の選択」を受け入れず、「悪の選択」をしてきたこと

私は断食21日間をやってSNSで報告した時、多くの名声を得ることができました。孤独で、たったひとりで21日間の何も食べないという、

しかしながら周りで21日間断食する発想のある人間なんていない、
誰もがやろうと思わないであろう挑戦に、厳しい戦いに勝利した証なのだと。

あの時、賞賛を一手に集めることができました。

そこからさらに断食を31日間、41日間、
あるいは1年と継続してやってみるつもりでした。

昔のコーチの乱入で、そのゴールはご破産になりましたが。

あの時の思いでいうと、人と違うことをやってでも「勝利」を得たかった、会社を辞めて一本立ちしたかった。

今思えば、コーチの声は「神の声」「正しい(善な)こと」だったのだが、
それを「正しい」と認識せず、鬱陶しがって、

賞賛を得たいがために「悪の選択」をしたのです。

断食21日間達成できた代償で、断食をやるための疲労は相当なもので、
私は当時勤めていた会社で居眠りしてしまいクビになりました。

「悪の選択」をすると「苦しみ」にまみれてしまうのです。

「悪の選択」をしたものには悪の縁が付きまとう

「悪の選択」をしたものには「苦しみ」と言う報いがやってきます。
「悪の選択」とは「自分らしく生きない」ことも指します。

苦しみの中には、悪い縁もあります。
当時私に近づいてくる人間は、大体がセミナーや宗教の勧誘でした。

そんなロクでもない誘いが、なぜ私ばかりに近づいてくるのか?

それは私がお金を落としてくれそうな人間だから。
セミナーや交流会にホイホイいけば、次からも誘って良いと思われる。
私がどれだけ参加しても、次のセミナーだの次の交流会だのに機械的に誘ってくる。

祖母がこの世を去る不幸があり、どうにもならない悲しみに包まれたこともあった。
そんな身内に不幸があった状況でも、やっぱり容赦無く誘ってくる。
頭に損得勘定が前提で接してきた人間ばかりだったから、こうなる。

私に愛を持って接してくれる人間は、はじめっからいなかった。
これまで出会ってきた人間の中で、
愛を持って接してくれる人間は、厳しい提言をしてきたコーチだけでした。

私は「カバリスト」の主人公のように、本物のチャンスを潰していって、
ニセモノばかりを捕まえてきた。

これまでどういう人に会ってきたのか?
そこの縁に、誰も「本物」なんていなかった。

終わりに

パートナーシップの本質の話でもしたように
人に対してどういう愛の示し方をできるかが大事です。

現実に見えてる成功や、必要な人材と言われるものの多くが「ニセモノ」です。

慈悲が強すぎると他人から良いように利用される。
峻厳が強すぎるとヴァイオレンスになる。

常に真ん中を取らねばならない、それが「自分の中心に自分を持って生きる」と言うことです。
カバラを学び、受ければ、自分の中心に自分を持っていくことができるでしょう。
そして自分にとって「本質」というものがなんなのか、見えてくるでしょう。

誰が本当に必要なのか、本来はどこにいくべきなのか。

外の世界に出ればどこもかしこも「本質」を謳っています。

自分の中心に自分を位置づけ、一刻も早く「本質合戦」から抜け出すことが大事。

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