ユニバーサル・カバラ2を振り返って。「無難さ」でなく「自分らしさ」を「基盤」に求めていたこと
ユニバーサル・カバラを終えた後、カバラになぞらえてこれまでの事象を捉えています。
今回はユニバーサル・カバラ2が終わった後のこと。
イェソド(基盤)の話。
「基盤」
現実化に強力なルートチャクラが働く「イェソド(基盤)」。
私にはいままでの人生の中で本当に好きになった人やモノなんてないので
イェソド(基盤)のパワーのありがたみが、正直言ってよくわからない。
私にとって、「イェソド(基盤)」と「ティファレット(愛)」が
一番理解するのが難しいんじゃないか?と思ってました。
事実今を思ってもあまり理解できてないと思う。
見えてないものを突き詰めてもここはキリがないだろう。
だからここでいう「基盤」というのはきっと仕事のことなんだろう、
と思って解釈を進めていました。
思考停止という名の病
サラリーマンというのは極度のめんどくさがりで、着てるスーツも同じだし
ワイシャツと適当なスーツ用意しとけばファッションとして成り立つし
どうせ同じ人間にしか会わないわで、
ワイシャツもろくすっぽアイロンかけなくたっていいし
髪型も適当で良くなる、
そんなわけで大してオシャレに気を使わなくていいと思ってる。
休日しか私服を着ないので、服なんて数枚程度、適当なの用意してりゃいい。
挙句の果てに思考停止で時間潰しでスマホでゲーム。
私自身がそんなサラリーマンをずっと長いことやっていました。
そんなかんじで、ずっと「思考停止」で生活していたはず。
はずなのに、なんとなく無難にやってればそれでよかった、
そのはずなのに、
会社と家を往復する普段の生活に「面白み」を感じなかったのです。
面白かった仲間たち
5を聞いて1が返ってくる会話
人生はローリスクローリターン。
平日に面白みを全く感じない理由がそこにあった。
ハイリスクローリターンであれば良いとか、そういう話でもないが……
私が話してて楽しかったのは、
会社の中の有望株としてもてはやされる社員よりも、
瀬戸際に追い詰められた社員の方でした。
無難さのカケラもない、破天荒に生きてきて
たくさんの荒波を見てきて、酸いも甘いも噛み分けている、
「無難さ」を求めずに、
時に破天荒で、時に崖っぷちに立たされていた
彼らの方が世界観が面白かった。
会社のような世界で「つまんないこと」を一生懸命やるように仕組まれている。
多くの人は、「つまんないこと」を一生懸命頑張る、
悪夢のような無限回廊から出ることがかなわない。
会社のような世界では「つまんないこと」を一生懸命やって成果を出す人間の方が優遇される。
そして「つまんないこと」を目上の権限をいいように使い、嫌々やらせてくる。
「つまんないこと」にたてついたり、そこから少しでも外れた人間は窓際族に追いやられる。
私は「仕事ができない」とレッテルを貼られて追いやられる人を何人も見てきました。
そんな私が仲良かったメンバーは窓際族に追いやられた人たちでした。
それは自分が窓際族になったことがあるという同情の気持ちだけでなく、
ずっと真面目な生徒、社員をやってきたから、
「無難さ」でなく「自分らしさ」を追い求める彼らへの憧れが強かったのです。
いつしか「無難さ」を求めて生きる私の「基盤」が
彼らの生き様によって、少しずつ書き換えられていくのでした。
終わりに
「真の自由」とは、何かに束縛、制限されることなく
自分の「善と美」を表現すること。
私は共に魂を磨き上げ成長しあえる仲間を求めていたのかもしれない。
そういう仲間たちと共に働ける「基盤」が、ずっと私は欲しかったのかもしれない。
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