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楽しいこと探し

形而上学ではいろんなことを経験しにきたがその中でもとりわけ
本当に楽しいこと、JOYなことをやりにこの世界に生まれてきたのだという。

JOYということを考えられる余地があるだろうか?
学校や会社という世界で閉じたままでいると、
どうしてもそこが見えてこないだろう。

趣味でそれが生計を立てられるようになれれば、それが天職といえよう。

なんでこんな話をするかというと、だいたい月曜日に成ってから皆元通りになってしまうから、
というのと、俺自身まだそういうJOYってなんなのか見つかってないというのもあるから。

フリーランスになってから、俺にとってJOYというのはなんなのか探し続ける毎日だった。

JOYとは何か?ということに関して、
俺がフリーランスITエンジニアになって思い出深い出来事があった。

あるITフリーランスの方に、ITフリーランス同士が集うセミナーに
誘っていただいたことがあった。
前段にセミナーがあって、その後に中華料理屋で懇親会、と言う算段だ。
どっかのフリーランスIT企業でセミナーやったと思うのだが、セミナーがどういう内容だったか
正直言って覚えていない。この内容を覚えていないということは、
俺にとっちゃあ、まぁどうでも良かったんだろう。懇親会の飯の心配の方が大事だったと思う。
参加していたのは俺よりも一回りも二回りも年上の、
もう還暦は過ぎているであろう歴戦の猛者たち。

で、そのよう覚えてないセミナーの後に中華料理屋で懇親会をしたわけだが。
何の話題だったか覚えていないが、何らかのIT技術の話だとか、IT業界の動向の話だった。
その時のIT爺さんたちの顔が何とも楽しそうなことか。
俺がITの仕事をしている時、どんだけ死んだ顔してると思ってんだ、というところで
この爺さんたちは技術話やIT業界の行く末について話が止まらんのだ。

正直いって、俺はITの仕事を楽しんでやったことは一度だってない。
新卒の頃から希望していた職種に就けなかったし、
なにぶん「やらされ感」の方が強かったかもしれん。
だが彼らは、仕事の話をとても楽しそうにするのだ。
俺は正直言って、彼らの話にもついていけなかったし、居心地の悪さも感じていた。
とにかく飯を食ってこの場を離れたい気持ちが優った。

仕事に誇りを持ってやってるってのは、こういうのをいうんだろうなぁ。
彼らは生涯ITエンジニアとしての人生を全うするのだろう。
それはとてもじゃないが、俺にはできない。なんせ毎日つまんなそうに仕事をするか
「早くしろ」と危機感を焚きつけられた時くらいしかやる気出ないわけだから。
コーチングでいう「want to(やりたいこと)」とはこういうことを言うのだろう。
俺は普段の仕事がコーチングでいう「have to(やらなければならないこと)」
になってしまっていて、自分で自分の首を絞める状況が続いているのだ。

流石に俺には、爺さんになってまでIT業界に居たいという気持ちが湧かなかった。
あくまで生活のための金を稼ぐためにやっているわけで、
俺が関わったシステムで社会貢献の一翼を担いたいという心は微塵もない。

ただ、この爺さんたちがITのことを話す時は、まるで子供用な感じだったのは覚えている。
俺がこの仕事をやって夢中になった時は、
危機感を焚き付けられて死に物狂いになっている時だけだ。
そういう意味だとこのIT爺さんたちが羨ましかった。
そうでなきゃあ、60、70になってもこの仕事続けられないよなぁ。

「want to」でできる仕事、俺にもこういう仕事が見つかるといいんだが。

IT爺さんたちの思い出が強烈過ぎたのか、俺は起業塾のコンサルに巡り合うまで、
自分探しの旅をずっとしていた。ITの仕事がやりたくないし、
別にそのために生まれてきたわけじゃない、それはわかるんだけど
じゃあ何がしたいんだ?と言うのが全く分からなかった。それは今に至っても一緒だが。

「やりたくないことを、やってる暇はない」
そう言っている師匠の背中は、俺にはとても遠かった。

かつてのブログ塾の師匠曰く、好きなことをブログに書いていれば、嘘のようなことが現実になる、
なんて言ってたのを覚えている。「嘘のようなこと」と言うのは要するにバズって
多くのアクセスが来てたちまち人気ブロガーになる、と言うことだと俺は理解した。
「あなたのブログがつまらないのは、あなたの人生がつまらないから」

師匠の言うことにはいちいち説得力があった。俺の人生がつまらん、確かにそうかもしれぬ。
毎日のように会社の連中と茶番劇を繰り広げているし
「やりたくない仕事」でストレスを溜めてゆく。
そのストレス解消のために暴飲暴食、酒をたくさん飲んで忘れようとする。
どこか虚しさを感じていたのも事実だったのであろう、
それが俺の人生がつまらないのだとすれば、その理由も納得いくもの。

自分の好きなものを探すためのヒントを師匠はくれていた。
「好きなことを毎日ブログに書こう。テーマは何でもいい」

プロブロガー御用達の有料サーバを購入してまでブログを書くことにした。
俺は本気だった。ただその裏で、広告収入とかで副収入を得て楽をして暮らしたい、
と言う下心があったのも事実なのである。
カリスマ師匠の言うように毎日ブログを書いていたが、2年半くらいやって成果が出なかった。

ITの仕事については、ここで気づいてしまった。
ITの仕事なんてそれこそ毎日やってる仕事なのだから、
ITの技術について知見も書くことができよう。
しかしそれが毎日書くことができなかった。三日坊主という言葉があるように
まずは三日続けばそれで万々歳なのだが、2日しか続かなかった。
このことから俺は考えた。
「今やっているITの仕事って、本当はwant to じゃない」のだと。
それに気づいてしまったからと言うのもあるが、

「生活する金のために、どんなやりたくない仕事だろうが、毎日の仕事で心を殺す」
「本当にwant toのために動きたいが、会社に束縛されていてそれができないでいる」
気づいてからは、ずっと内面でせめぎ合いを常に繰り広げていて、
そうしていくうちに、みるみる俺の心が死んでいった。

俺は彼らに忠誠を誓っているわけではない。誓っているわけではないのだが
自らの生活のためにそうせざるを得ない、自分の力量の無さを悔い続けていた。

会社の奴らの支配から逃れて、師匠のように自由気ままに仕事して人生を暮らしたい、
師匠を見ていたらそれを根強く思うようになった。

普段の仕事のことを書けるのが二日しか書けなかったと言うのが、俺にとってはショックだった。
一番楽しかったのは食レポを書いていた時だった。
本当は旅行記とか書けばよかったんだが、ブログ塾入ったり起業塾行くようになってから
旅行とか本当にしなくなっちまったからな…。

きっとITジーサンたちなら俺と違って毎日欠けたりするんだろうなぁ。
楽しくも何ともねぇと思ってる仕事の話を毎日ブログに書くなんて、俺にゃあ無理だ。

「どうすれば俺の人生が面白くなるんだろう?」

と言う問いを、俺はずっと考え続けた。

どうすればJOYが見つかるのか?
「やりたいこと探しセミナー」みたいなのにも出たけど
イマイチ釈然としなかった。

ただヒーリングをたくさん受けてわかったことがある。

人はやりたいことよりも、たくさんのやらなくていいこと、
またはやりたくないことに多く囲まれている。

それらを除去しまくらないと、本当にやりたいことは見えてこない。
そしてそのことはかなりの時間がかかる。

親から植え付けられたもの、目上の人間の教えだったり
ゴミになりうる要素がさまざまありすぎるから。
それらを消し飛ばし切るのに本当の本当に、時間がかかる。

時間をかけにかけた末に、ようやく自分の心の居場所というものが見つかる。

これはあくまで私の体験ベースである。

そこから先は、結局は自分に問い詰めるしかないようであるー。


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