コミュスクでの学びと会社での闘い

土星は現世においてカルマを叩きつける。
3ハウスであればコミュニケーションにまつわること。
人より開花する才能が遅いのが何かを示すのは土星。

IT会社員時代、私の人事評価において技術の項目は
「それなりに」高かったのだけども、

コミュニケーションに関しては著しく低く。

いつもコミュニケーション能力の低さについては言われていて

「コミュニケーション能力」という単語を聞くだけでも、正直言ってトラウマだった。

聴くだけでも反吐が出る思いだった。

若い頃にコミュニケーションスクールに通っていた時に
「その歳でこういう所来るの、行動力あってすごいな」
と言われたこともあったが、私はあんまり嬉しくない。

他の会社の同期連中とかは、コミュスクみたいな場所行ってないわけだし
他の同期連中がスムーズにできているコミュニケーションを
私はできていないわけで、その時点で「人生の負け」を
自ら自白しているに等しいものだから

対面で苦手な反面、向上した才能

対面でのコミュニケーション能力が伸び悩んだ分、
対面でやり取りしなくていいメールを頑張ったりネット弁慶だったり、

面と向かって話せない分はそういうところでカバーした。
面と向かわないスキルを磨くことで、足らないところをカバーした。

ITの世界はそういう人が多かったように思える。
どちらかというと対面が得意でないタイプが。

人にも色んなタイプがいるが、ベクトルが違う形でコミュニケーション下手、というのはあると思う。

今もどうかって言われたら、今ですらも、
そんな面と向かって話すのは得意でないと思っている。

まだ若い頃のコミュ障の名残があると言えばそうだな…、

しかしコミュ障と言っても、若い頃ほど深刻な悩みではないと思ってるが。

コミュニケーションエラーが多い新人時代当時を振り返ってどうなのかって思うんだけど
同期に聞こうにも私と同じタイプはいないと分かりきっていたので、
当時の私の選択肢としては外部セミナーを頼るしかなかった。

自分がどういう症状か周りに聞いてもわからないので専門家に聞くしかなかった。
他の奴らが何を言おうが、私は外部に行くと決めたのだ。

コミュニケーションの何が辛いかって、そこの感覚は私にしか分からないし。

残念ながら私は心療内科に行っても健常者として診断されて終わった。
私が欲しいのは同情票でも、分かり合える友人でもない。

安心するための知恵である。

私にさてみれば「なんで私だけがコミュニケーション障害に悩むのか」という悩みだったので

オレ専用のノウハウが欲しかっただけだ。それを同僚や同期連中は誰も持っていない。

そのノウハウを会得しに行ったが結局は学んだだけで終わった。
どういうケリの付け方をしたかで言えば

「今は技術をつけるしかない。とにかく社会で生き延びる術を何とかするしかない」

という納得の仕方で、コミュニケーションスキルを後回しすることになった。

その結果というのかな。ブラック企業にぶち当たって
後回しにしていたスキルを使わざるを得ない状況に追い込まれた。

ブラック企業で、その当時学んだコミュニケーションスキルをつかってたらどうなってただろう?

いやぁ、あんまり意味ないだろうな。

「外の世界」に叡智はあるのか

コミュニケーションに対する不安や恐怖と独りで戦っていた私にとって
周りに誰も味方がいなかった。

そして自分が不安に思っている面を、同期相手にすら堂々というわけにはいかん。
自分の弱点を晒してしまう羽目になる。

同僚や同期、あるいは親兄弟が持っていないものをどうすれば良いのか?
という答えはすぐに私の中で出た。

「外のセミナーに行って解決するしかなかった」、

この結論が出たんだが、結果として学んでろくすっぽ生かしていないという、
ロクでもないことをした事実が残った。

「あなたたちは私じゃないから、私のことわかんないじゃん」
と当時心療内科やコミュスクに通うことを否定した連中を一蹴した。

私に関して言えば、この感情が全て。 

どうしてエラーばかりなのか知りたい想いがあった。

 当時の私からすると会社クビだと言われても全くおかしくなく
 「明日会社来なくていいよ」と言われるかもしれない恐怖と闘っていた。

 会社という世界で自分が生き残るために、コミュ力UPと会社の業務スキル向上、
の二刀流という器用なマネはできなかった、 会社に必要とされるスキルの方を選んだ。

「あなたたちは私じゃないから、私のことわかんないじゃん」

と切り捨てたが、それが全てだ。

どれだけ自分探しのセミナーとか行っても、それが見えてこない。
だから私にはコーチングが絶対に必要だと思っていたし
いくつか自分を知ることができるスキルを学んできた。

ここまで費用と時間をかけてやってきたのは「自分を知る」ため。

確かに自分探しをしていた頃のように
あちこちのセミナーに行くような迷走は無くなったが、
まだ自分のことを「わかった気でいる」だけ。

朝起きて、自分の顔がわかる人間がどれだけいるのか??
自分から見たら他人の顔はわかるが、鏡でも使わない限り、
ぜったいに自分の顔はわからない。
だから、世界で一番、自分のことが一番よくわかっていない。

何でこういう性格なのか?
何でコミュニケーションエラーするのか?
何で会社と闘おうとせず、逃げることしかなかったのか?
何でこの時にこういうことが起きたのか?

これからどういうことをしていきたいのか?

総括

迷いが晴れたであろう今でも、自分のことがどうかって
はっきり断言することはできん。
推論があった上で「おそらく〜だろう」としか言えない。

物質世界にいる限りは、私たちはスピリットの「影」でしかない。

様々な角度から自分を知ること。
私も答えを知りたいから色んな人を頼ったが
本当の意味で納得できた答えを得られたことは少なかった、
最後の最後は自分で納得するしかなかった。

「気づきのタネはあっても、結局答えは自分で納得するしかない」

ここに行き着くんじゃないかって思う。

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