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「諮る焔(はかるほのお)」

 今朝方猫の夢をみた。デコピンとふなここが一緒に居た。デコピンというのはおれが24の時から飼ったメス猫で、誰にもなつかず、いつも「シャーシャー」いっていた。でもずっと一緒に寝ていた。19才まで生きた。と言っても前妻との離婚直後に死んだため、死に目には逢えず、連絡があり墓穴を掘りに行った。
 ふなここは二度目の結婚、つまり今の女房と一緒になった少し後、おれが44の時から飼ったオス猫で、飼ったというより何故か居る、といった共同生活者だった。それはその2年前から飼ったケイヌヂヂオというオス猫が飼っていたからである。ケイヌヂヂオは非常に頭の良い猫で、カードを持たすと勝手にネットショッピングをするような奴だった。ふなここは昨秋、車にはねられて死んだ。
 夢にみたのはかなり田舎の山村で、鹿の狩人が多く住む村だった。懐かしいのだけれど、知らない場所だった。地球とはどこか別の場所のようだった。山間に似つかわしくない白くフラットな倉庫のような建物があり、二匹はそこを寝ぐらとしていた。そんな彼らに気づかれぬようそっと後をつけたのだった。

 デコピンは暖を取ろうと焚き火の準備を始めた。ふなここはそれを見ているだけで手伝わない。猫という生き物の特徴だろうか、協調性を持っていない。そして火を上手に起こしたデコピンは、自ら火中へと入っていった。ふなここはそれを見ているだけである。
 熾火に背を擦り付ける。しかし毛は燃えていない。少しして、ふなここも後を追った。するとそれまでのこじんまりとした炎は、みるみる膨らみ天井まで届くほどに火力を上げた。かなり離れた物陰から見ているおれの頰にもその熱が届いてくる。このままでは火事になってしまうと思い、天井を見るが耐熱性の特殊な加工でもしてあるのか、煤ける様子はなく、火災報知器が作動する気配もない。いったい未来的なこの白いフロアには照明器具すら見当たらず、壁や天井全体が発光しているのだった。そして炎の奥に沢山の顔が現れた。中にはおれの見知る人も居るようだった。顔の横には記号や数字らしき文字が並んでいる。どうやら二匹はその文字に従い、顔をジャンル別けしているようなのである。
 それは明らかに意図を持った作業に思え、おれがこれまで知る猫の生態とは掛け離れていた。そして淡々と続くその作業は、まるで70年代に遠くで鳴るシートパイルを打つ音のように、眠気と恍惚感でおれを包んでいった。

 一時間経ったのか二時間経ったのか、腕時計を覗くが、肝心の文字盤に針が見当たらない。そんなことあるわけない筈なのだが、どう見ても確認できない。おれの深層心理が時間を拒否しているのだろうか。しかし体勢は元のままで、下半身が両足とも酷く痺れている。おそらく小一時間以上眠ってしまったらしい。見れば依然炎は上がり、それも寝こむ前よりさらに火力を増していた。火が完全に天井まで届き、折り返した炎が円を描いている。顔のジャンル別けは未だ続いており、炎の中にはもう一匹猫が増えていた。
 たいすしである。たいすしとは、おれが去年の春から飼っているメス猫で、ノルウェージャンフォレストというややこしい種類のやつだ。毛が長いため脇の下やお腹に毛玉ができる、まるで羊みたいになってしまう。たいすしは子猫が母猫の乳房を揉む仕草でデコピンの横腹を押している。その圧力でデコピンの口から焔が迸る。ふなここはジャンル別けを続けている。

 目覚めてからこの光景をどのくらい見ていただろうか。時計の役に立たないこの白いフロアには、デコピンの吐き出す途方もない熱が充満している。喉が渇いた、ビイルが飲みたい。さすがに耐え切れずこの場を後にするしかなかった。
 猫を追い紛れ込んだ建物故、出口を見誤ったおれは彷徨うしかなかった。白一色の異常に平らなこの建物は、方向感覚を狂わせるだけではなく、何処として同じ配置をせず、特徴は無いが全て初めて見た錯覚に陥る。試しに助けを求め叫んでみた。しかし手前の声がこだまするだけで、寧ろそのこだまが纏わりつき、不安から恐怖へと誘い込む。パニックを起こしそうになり、ふと我に返る。腕時計の針が見当たらないことを思い出した。そうなのだ、ここは時間が無いのかもしれない。そう思うと喉の渇きも一瞬にして癒え、冷静さを取り戻した。何も恐れることなどない。相手は以前おれが飼っていた猫たちである。みんな仲良しのはずだ。

 迷い彷徨いやっとの思いで元居た場所に辿り着いた。猫たちが居なくなっていたら、おれはここを出ることが不可能になるかもしれない。そう考えると不安と期待で膝が震える。鉄だかプラスチックだかわからない観音開きの大きなドアーを開く。焔の熱が伝わってきた。しめた、例の作業はまだ続いているのだ。助かった、少なくとも助かったかもしれない。未体験の恐怖を味わうと人は卑屈に成るもので、状況判断力が音を立てて崩れていった。
 おれはゆっくりと焔に近寄った。猫たちは気づかない。気づかないというより気にしていないといった風情だ。まるで熔鉱炉を前にした如し熱が周囲に拡がる。腕で顔を覆い、身体が意識とは裏腹に反応し、後退りを始める。
 「歩み出よ」声の主は山毛欅焉(ふなここ)であった。
 「太陽と同じだよ」たいすしが喋る。
 「外から見るのではない、内から観るのだ」山毛欅焉は続ける。どうせ時間の無い世界と分かってはいても、そう簡単に心頭滅却出来るものではない。火渡りの荒行を想像しつつも腰は退けてしまう。すると突然焔を吹くデコピンが体勢を変えた。おれは焔に包まれた。情け無いことに女性のような悲鳴をあげてしまった。そんな悲鳴をあげたことを自覚している。即ち生きてる。そして間も無く焔の内側が平温であることを覚った。

 山毛欅焉曰く、「焔とは娑婆と黄泉の架け橋成、故、其方の太陽も同様に離れる程に熱を増す。我等は其方の霊を選ることで其方と此方の定義を決す。それが延いては魂を成すのだ。」
 炎にそんな意味があったのかと半ば放心状態のおれを気遣い、デコピンは教えてくれた。「時は認識。貴方が黄泉を訪ねた時、貴方は魂を娑婆に置いてきたのです。だから時を無くしたの。もしこちらに霊をお持ちなら、お訪ねなさい。するとその時計は時を刻みます。」
 たいすしはさらに続ける。「あのね、時間は一番外側なの。あたしたちには時間を持たない約束があるの。かわいそうね、あなたたちは。」

 おれは自分の飼い猫たちから諭され、世の中の謎解きに終止符を打った。謎はそのままの方が良い場合と、そうでない場合がある。この場合は後者だ。すると目の前から猫たちは消え、代わりに見慣れた我が家の柱が見えた。たいすしが爪を研ごうと伸び上がっていた。「チーチーッ」と、午後の陽だまりに置いた青い椅子で居眠りから目覚めた。 ーおしまいー

2015/2/19

「霊、魂、三角の神様(心臓の話)」
https://koji-yamada.jp/2015/03/17/173742/