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句養物語 花野篇②
「喫茶ヒマラヤ」のカウンター席は、横一列に8席ほど並んでいたが、二人は店の入口よりの端の2つに座っていた。そして、そのカウンター席の一番奥の席には、風変わりなお客が一人で座っていた。しかし気配が全くしなかったので、二人はその存在に気づいていなかったのだ。
マスターがふと、何かを思い出したように、そのお客にむけて話しかけた。
「お知り合いの方から、お土産をお預かりしてますよ。どうぞ。」
マスターはそう言って、そのお客へ小袋を手渡した。手渡されたお客は、小袋を覗き込むように見たあと、唐突に叫んだ。
『オミヤゲノニャンバンコショーンニャニャニャニャー』
(里山子)
蝶の気配に神経を尖らせていた二人は、反対側から奇声が上がったのですぐに振り返って凝視した。とりあえずそのお客と眼が合わない程度にチラチラと確認した。子供くらいの背丈だろうか、明らかにサイズの大きすぎるコートのような服を羽織り、顔は誰がどう見ても「猫」にしか見えない。しかし人間のように椅子に座っている。
オッサンが小声で囁いた。
「にーちゃん、見たか。あいつ、猫の被り物をしてるぜ。『猫を被る』っていう懇親のボケでもかましてるつもりなのか…?」
「確かに、なんか話し方も猫っぽいような」
二人がこそこそ話していると、マスターがその猫のようなお客に、飲み物を差し出した。
「お待たせしました。アイスロイヤルミルクティーです。」
猫紛いの客は提供されたロイヤルミルクティーを前に、何やら一言呟いた。
『檸檬は苦手なの飲み込む独り言』
(猫髭かほり)
「「も、もしかして…」」
二人は顔を見合わせて呟いた。
「「俳句?」」
ミルクティーだから、檸檬を引き合いに出したのだろうか?不思議が止まらない二人をよそに、謎の猫劇場は加速していく。マスターがまた何かを提供するようだ。
「サービスの濡れ煎餅です。どうぞ。」
すかさずオッサンが小声でツッコミを入れる。
「ミルクティーと濡れ煎餅の取り合わせ…どう考えても正気の沙汰じゃないだろ!」
猫紛いの客は、差し出された濡れ煎餅を一口食べると、また俳句らしき言葉を呟いた。
『時雨るゝやカリカリはもう飽き飽きニャ』
(さおりん)
これには、オッサンが小声ながらも切れ味鋭いツッコミを繰り出す。
「雨なんか降ってないだろ!」
しかし太郎は冷静にコメントした。
「ひょっとすると、煎餅の濡れ具合について言ってるんじゃ…」
「仮にそうなら、季語の冒涜だ!」
「仮というか、カリカリというか、なんだかよく分かりませんが…」
マスターがまた何かを差し出した。
「お土産の、萩の月です。どうぞ。」
すかざす小声でオッサンが鋭い反応を見せる。
「銘菓じゃん!!」
太郎も追随する。
「銘菓にも程がありますね…!」
猫の人が、また何かを呟いた。
『朧月昨日の餌はにゃんだっけ』
(ヒマラヤで平謝り)
今度は太郎が先にツッコミを入れた。
「まだ夜ですらないですけどね…どうせ萩の月のことですよね…」
しかしオッサンの答えは意外だった。
「いや、この句はボク、好きかも。」
「…え?そうですか?」
「季語が…立ってるし…。」
「…そ、そうですかね…」
「なんかさ、朧月の不明瞭な感じと、昨日の事も思い出せないっていう記憶の曖昧さがさ、取り合わせとして絶妙な距離感じゃない?」
猫の人は話が聞こえているのかいないのか分からなかったが、片手で髭を撫でながら、得意げな表情をしていた。そして、ふと頭の上に付いている「耳」がピクッと動いたかと思うと、また何かを呟いた。
『あの二人きっと別れる秋深し』
(新開ちえ)
オッサンはまた小声でツッコミを入れた。
「全く…占い師じゃあるまいし…。」
そう言いながらも、店内を見回してみると、隅のテーブル席に一組のカップルがいた。何やら険悪なムードになっている。
猫の人が、また髭を撫でた。するとカップルのうち、女性の方が何やら怒って出ていってしまった。残された男性の方はイライラした素振りで、グラスの飲み物を一気に喉へ流し込んでいた。ブランデーかウイスキーか…太郎にはそれがお酒のように見えた。別れを切り出された男性が、ヤケ酒でハイになっているようだ。
『ニャったくも〜やたら撫でるニャ蓼のはニャ』
(万里の森)
猫のような人の呟きを聞き、太郎はピンと来ていた。
「これはマタタビの事かもしれませんね。」
「酒が飲めないから…代わりに?無理があるよね…」
二人はそれが俳句らしき様相を呈していたので、なんとか理解しようと試みていたが、何分ネコの目線で作られているので、共感しづらいというのが正直なところだった。
「説明が必要な俳句は、優れてるとは言えないよね。一句フォーユーに出したって、きっと全没だよ…」
オッサンはそんなつもりではなかったのだが先程より少し大きめの声で太郎に話しかけていた。俳句を作るのと同じくらい、俳句の鑑賞が好きだから、テンションが上がっていたのだ。太郎はその通りだと内心感じてはいたのだが、猫の人に聞こえたかもしれないと思い、こっそり視線を向けて様子を確認してみる。
すると、なんということだろうか、猫の人がとてつもない形相で、オッサンの方を睨んでいる。どうやらバッチリ聞こえてしまっていたようである。太郎は事態の収拾を図ろうと思ったが、猫の人が先に呟いた。
「ニャッたく素人はこれだから…困ったちゃんだニャ〜。たま子は一句フォーユーの月曜から金曜までコンプリートしてるのニャ。」
「は??何言ってんだこの猫は?」
『たま子』と名乗ったその猫に、オッサンはついに噛みつくように声を荒らげてしまう。
「あのラジオは読まれるだけでも大変なことなんだぞ!ちょっと猫被ったくらいで読まれるほど甘くはないんだ!…ま、ボクは毎月読まれてるけどね!ふふん!」
「特に何も被ってないんだニャ。これがたま子の実像なんだニャ。」
ハイになっているオッサンに対して、たま子は落ち着いて答えた。そして太郎はというと、このたま子という存在が何なのか、そんなことはどうでも良くて、どんな句がラジオで読まれたのか、その一点に興味が集中していたのだった。
「あ、あの…、金曜に読まれたのは、どんな句か教えて頂けませんか?」
勇気を振り絞って太郎は尋ねると、たま子はこう答えた。
「確か兼題が【月】の回だったかニャ?」
すかさずオッサンが反応する。
「さっきの【朧月】のやつでしょ?そりゃあ納得だわ、うん。」
「違うニャ。【月】だニャ。【朧月】は季節が違うニャ。」
見た目に反して的確な返答をされて、オッサンはまごまごしてしまっていた。
「【月】の回なら、自分も読まれたんですよ。…と言っても覚書きで見ただけですけど。でも水曜日!嬉しかったなぁ。。」
「え、マジ!?どんなのどんなの?」
『満月やいずれ明日となる今夜』
(太郎)
「へぇ〜!面白い切り口じゃん!」
「ありがとうございます!『当たり前の事実を、リズムよく紡いだことで詩になっている』って褒めてもらえました!」
勝手に喜びを分かち合っていた二人を横目に、たま子は自分の金曜句を早く披露したくてたまらないようで、ひたすら得意げに髭を撫でながらタイミングを伺っているようだった。
太郎はオッサンに細かいとこまで諸々褒めてもらい、一段落ついたところでもう一度たま子へ訊ねた。
「水曜に読まれたので、金曜は確認してないんです。どんな句だったんですか?」
すると、たま子は満を持して句を呟いた。
『真夜中の月ニケ像へ集う彼我』
(みづちみわ)
二人はあっけに取られてしまった。先程までの調子から打って変わって、猫口調ではなかったからだ。しかも、この句の目線は猫なのか人なのか、それともそれ以外の何かなのか、ハッキリしていなかった。
まずはオッサンが率直な感想を口にした。
「ニケ像って何?猫なの?ゾウなの?」
ボケなのか本音なのかよく分からないので、太郎は一先ずオッサンの問いに答えた。
「どちらでもないですよ。。歴史的に貴重で有名な彫刻なんですが、女神か何かのモチーフで、羽が生えてて、、」
「女神さま?」
「あぁ、はい。顔がないので、推測ですが、たぶん女神です。」
「顔がないの?ほとんどオバケじゃん!怖っ…!」
「はい、、首から上が無いんです、、」
「ひぃーーー!首無し!!」
「うーん。顔がないんだから、眼もないですね。昼なのか夜なのか、それすら分からないはずだけど。。」
「うんうん。そもそも脳がないよね。なんて可哀想な女神さまなんだ。。」
「脳がないと、俳句も詠めませんからね。」
「うんうん。月を見る事もできないね。」
「…ということは、この『彼我』の正体が気になるとこではありますね。一体何の為に集まるのか。。」
「それも真夜中に…ねぇ?」
「真夜中は、最も暗い時間帯ですね。」
「女神さまのことも見えづらそうだけど、そこに集まってくるんだな。。」
「暗ければ暗いほど、月は明るく見える…」
「でも、女神さまには顔がないから、月が見えないんだぜ?」
「もしかすると、この『彼我』という存在は、ニケ像の眼になろうとしているのかも。。」
「な、なんか段々分かってきたぞ。。」
「そうですね。。これたぶん、対になってますよね。真夜中っていうのが、ニケ像の視界のない世界と対になってて。月と彼我はそれぞれの闇を照らすものなんじゃないですか?どんなに暗い夜でも月があれば世界が開ける。それと同じように、例え首から上がない女神がいたとしても、その眼となり、耳となろうとする者がいれば、そこに世界が開ける。。」
「なるほどね。で、季語に立ち返ると、その様子を照らしているのが他でもない『月』そのものだということか。。」
太郎とオッサンは作者であるたま子を置き去りにしたまま、独自の鑑賞を進めていたが、たま子はたま子で、ここまで深く鑑賞されたことがなかったのだろうか、得意げな表情をキープしたまま、ずっと髭を触っていたのだった。
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