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目には見えない世界について vol.1


こんにちは。こじょうゆうやです。
今回から何回かにわけてしばらくの間「目には見えない世界」についておはなしします。

スピリチュアルなあれこれが大嫌いでしょうがない方や、「目に見えない世界」の話なんてデタラメだと感じている方には、わりととっつきやすい?かもしれません。

とはいえ、好きになってもらおうだなんて全く思っていません。好き嫌いは人それぞれですし、他人様の好き嫌いに首を突っ込もうだなんておせっかい過ぎますからね。

それにそもそもスピリチュアルは好きとか嫌いとかで判断できる領域の話ではありません。もしかすると、スピリチュアルっぽいものはそれで判断できるのかもしれませんが、そのことについてはわからないので差し控えます。


そんなこんなで。


この記事の中には洗脳も押し付けも一切ありませんから、心穏やかにのんびり読み進めていただけたら幸いです。あくまでも生まれてこの方「目には見えない世界」と触れに触れ合ってきたぼくの、あくまでも個人的な見解を詰め込んでみようと思います。



では、さっそくはじめますね◯



目には見えない世界




目には見えない話となると、信憑性がないことや科学的根拠がないことなどからその話になっただけで敬遠したり毛嫌いされたりされる方がいらっしゃることは、短い半生の中で十分に理解してきました。

またそんな話の大半は、だいたいお金の搾取につながっていくケースがあるようですから、警戒や拒絶がつきまといやくなるのはしょうがないでしょう。実際に被害に遭った方もいらっしゃるでしょうから、無闇に「目には見えない世界」を肯定するつもりはありません。

ただもし、誰もが「目には見えない世界」をしっかりと理解していたら、そんなことにはならないのになあ、とぼくは思っています。

そもそも、「目には見えない世界」を捉えるためのスピリチュアルな感覚が、ある少数の、特別な、選ばれた人たちにしかないと多くの人が思い込んでいるために、場合によっては、霊的な主従関係が生まれてしまっているのかもしれません。


それは、ある種の情報格差のひとつと言えるでしょう。


インターネットで検索しても、図書館で本を読み漁っても見つからない、夢のような、奇跡のような情報を知っている人は、知的な(あえてこう言います)情報を求める人々から盲目的な憧れのまなざしをもたれたり、逆に激しい嫉妬や軽蔑の対象になったりします。

それが特に日本で捉えられている「スピリチュアル」だとぼくは感じています。

国は違いますが、歴史上においては、19歳で短い生涯を終えたと言われるジャンヌ・ダルクがそうであったかもしれませんね。

彼女は特権階級の生まれではなく、農家の生まれだったそうです。突然「神の声」を耳にした彼女は、「神の声」を生かして国と国との重要な争いの場に参戦し、フランス王シャルル7世の戴冠に貢献した人物となりましたが、その後異端審問にかけられ火刑に処されたことはとても有名なエピソードです。

世が世なら、スピリチュアルな活動をしている人はみな彼女と同じ末路を辿ったのでしょうけれど、今の社会では「あなたはそういう考えを持ってるんですね」とそのように認識、認知されるだけで済むでしょう。

命をとられないだけ幸いかもしれませんね。




知識や情報では捉えられない




ただ、長らく「目には見えない世界」と付き合ってきたぼく自身からすると、「目には見えない世界」を捉えるのは"考え(思考)"ではありません。思考でどれだけアプローチをはかってみても、「頭ではわかっているのになあ」みたいな状態を繰り返すはずです。

スピリチュアルな感覚が「第六感」や「霊感」と呼ばれるように、「目には見えない世界」はあくまでも感覚の領域から捉えるものだと肌で感じています。頭にある情報(思考)が腹落ち(感覚)しないと本当の意味で理解していることにはならないのかもしれませんね。

ぼくはよく、「目には見えない世界」を捉える感覚と、梅干しを食べた時に感じる「酸っぱい!」という感覚がほとんど変わらないと言っています。

もう少し言うと、その酸っぱさ以外に感じる味わい(紫蘇の香りとかわずかな甘みとか)や、小梅独特のカリッとした食感、大きなものになるとふにゃっとつぶれるような食感があると思いますが、その表現の仕方って十人十色ですよね。

「目には見えない世界」が見事なまでに多様なのはそういった関係があるかもしれません。

いわゆるオーラの色とか、過去世とか、守護霊とか、「目には見えない世界」に存在しているものはやまほどありますが、感じ方、見方は本当に人それぞれで、個人差はかなりあります。

それに、そういったものを見る人だけでなく、見てもらう人の身体状態や、その時点での生活の状況などによっても、捉えられるものが大きく変わってくると思います。


次のような例は、この記事を読むみなさんにも心当たりがあるのではないでしょうか?


「前世が見える◯◯さんにはこう言われたけど、前世だけでなく守護霊も見える◎◎さんには違うことを言われた。どちらが本当なんですか?」



こういう話はよく聞きます。

よほど違和感を覚えるような話ではない限り、ぼくはひとまず「どっちもですね」と答えるのですが、ひとつ大切な注意点があります。

たいてい、◯◯さんも◎◎さんも、それぞれが感じたことを素直に正直に伝えていると思います。でもそれはあくまでも、◯◯さんと◎◎さんが感じたものであって、その質問をした人の感じたものではありません。

つまり、その人が受け取った◯◯さん、◎◎さんからの情報は、質問をした人にとって、脳や心で一時的に保管される外的な(表層の)情報なのです。


先ほどの梅干しの話で例えるならば、

◯◯さんは「梅干しってのはね、すっごく酸っぱいんですよ!」と、
◎◎さんは「梅干しってわりと酸っぱいけど、そこまでではない」と言ってるようなものなんです。

す、な、わ、ち!

実際にその方自身が梅干しを食べてみないと、その方にとっての「梅干しとは?」は、本当の意味ではわからないはずなんです。

どれだけ丁寧にしっかりと◯◯さんと◎◎さんが感じ取った真実を伝えていたとしても、それがそのまま質問をした人にとっての真実にはならない(厳密には)と、ぼくは感じています。

ですから、◯◯さん、◎◎さんからの情報を正解不正解で判断してしまうことはもってのほかです。

その人自身の真実、言い換えれば、内的な(深層の)情報はその人自身にしか見つけられません。


そんな大切な情報を他者に委ねてしまっていませんか?
ありとあらゆる角度から、一度ご自身を見つめ直してみてください。




では、真実とは?



「これこそが真実です」


そう謳うものは、世の中にやまほどあります。
特に有名な人や実績のある人がそう言うと効果は抜群です。

信じられないくらいに多くの方が、突然口の中に放り込まれた何かを抵抗もなく飲み込んでしまっているように感じます。


「これこそが真実です」


この文句には重要な言葉が足りていないだけで、決して嘘やデマではありませんからできる限り突っぱねないようになさると、余計なエネルギー交換をしたり、労力を使わずに済んだりするのでオススメですよ(笑)

もし仮にそんな謳い文句を見つけたとしても、ぼくは次のように変換して自分自身の体感を観察するようにしています。

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