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流れとともにゆく –—Go with the flow

数学者は「数学は美しい」というのが口癖なのはなぜなのだろう。

数学の教科書の編集に携わるうちに、そんな疑問がいつもついてまわった。

「数学は美しい」と言っても、必ずしも図形的、視覚的に美しいということだけではないことがだんだんわかってきた。

ある数式を見て、先生は「この数式の美しさを伝えたい」と一言いった。

高校の数学の教科書ではなかなかそこまでは表現が難しいのだが、高校生にはその片鱗が少しでも伝わっているといいのだが。

私は空を見ることが好きで、空を飛ぶ飛行機も好きだ。

変わっているといえばそれまでだが、流れという表現も好きだ。
流れという現象には、時間変化が伴う。

時間変化すなわち微分という概念が、実は私の中には染み付いているのか。

いや、私だけではなく生物にはもともと備わっているものなのかもしれない。

雲の変化をみて、美しいと思う。

数式を美しいと感じる数学者は、目に見えない現象を数式を使って再現することで自分の中に生き生きとした様相が見えてくるのだろうか。

天気予報はなぜ当たらないか。

気象技術者は、膨大な手計算から始めて、近年は世界最高クラスのスーパーコンピューターを使ってこの問題に挑んでいるが、大気の運動方程式が、現代の科学技術を集結しても、きちんとは解けていない。

大気の運動方程式が、非線形(ざっくりした説明だと、変数同士の掛け算が含まれている)ため、少しの誤差が計算をすすめるうちに増大していくため、予測時間が先になればなるほど現象の予測が難しくなるのである。

もし仮に天気予報という未来の予測がピタリと当たるようになれば、極論を言えば、私たち自身の未来もピタリとあたってしまうことにもならないだろうか。

それは、生まれた瞬間に未来がわかってしまうのと同じことである。

それよりも、雲の流れのように生きて、「気がついたらここにいた。」というような生き方のほうがずいぶん楽しいのではないだろうか。

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