日本は社会主義的なのか?歴史から考える、社会主義/共産主義と資本主義の未来。

久々の投稿です。前回までのズームに関する記事は、また株価がその頃の水準に戻ったら再開しようと思います。
思いついたことを取り留めなく書くモードに戻ります。

さて欧州の歴史を学ぶと、今まで漠然と捉えていた社会・共産主義と資本主義の違いがわかるようになりました。同時に社会主義的側面を考えるきっかけにもなります。

ソ連では労働者に仕事を頑張らせるために、労働者の英雄(24時間戦えます的な)を祭り上げ、成果を上げた労働者を讃えました。
例:スタハノフ運動

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社会主義国における労働者とは、国営企業でありまた党のメンバーでもあるので、成功した労働者は役職や名誉が上がっていくという恩恵を得られます。そのような意味では、よく言われるように、社会主義だと労働者は頑張っても怠けても評価が一緒ということはありません。

資本主義においての評価は個人の富に置き換えられるものですが、社会主義では財産は共有物であるために役職や名誉が与えられます。富は無くても一生配給が受けられます。しかし同時に社会主義は支配層の創出と権力闘争を生むため、独裁政治がほぼ確実に発生しています。

つまり国民が平等に置かれれば置かれるほど、体制的に権力者は盤石になるのです。その結果社会主義や共産主義を標榜する国の多くは、独裁者が自身を正当化するために偶像化させ、またライバルが力を持ってくると粛清することを繰り返します。

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国民が貧しい環境では一部の特権階級が私腹を肥しているのを皆が許せないため、社会主義的な革命が起きますが、その次に待っているのはより悪い独裁政治というのがいつも繰り返される歴史の流れです。

それでは地球から社会主義は駆逐されたかというと、さにあらず。国家の多くは理想を追うだけでは体制が長く持たず、独裁者の交代を機により柔軟な経済体制に移行します。個人財産を認めてバランスをはかる、反体制派は封じるなどして、後にバランス型ができ移行するようになります。

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さて日本企業も長年、年功序列で社員同士の格差を少なくし、役職や地位で評価する方式を取っていました。お金は渡さずとも長期で面倒見て、1億総中流社会を実現していました。当時は今より幸せだったという人もいるでしょう。それが実力主義になり雇用が不安定化するデメリットもあった訳です。

また社会主義国家では「私」が制限されるため、男は国営企業の寮などで家族離れて単身生活を強いられるケースも多く、大量のアル中を生み出していた経緯もあります。今でも欧州の旧社会主義国家ではアル中が社会問題になっていたりします

日本は成功した社会主義だ、などとネタで言われることもありますが、実際には政治が弱すぎ、個人の富もありすぎです。ただ日本の国民が社会主義的な雰囲気を好むために、企業や社会が一部思想を取り入れているに過ぎません。

資本主義の良さを挙げるとすれば努力した人に報いがあるということですが、それは同時に人生の転落の危機と死ぬまで戦わなければいけないことを意味します。

経済成長が止まるとどの国もこの理論は通じなくなるでしょう。MMTによって中央銀行がお金をばら撒くという実験は各国で始まりつつあります。これは通貨発行権を持つ国による、資本主義による社会主義的アプローチです。

翻って、MMTをやらない国は、税金を引き上げて国民に再分配する仕組みを強化する可能性があります。あるいは政権交代や革命か。このプロセスが行き着く先は、経済成長が無い場合、独裁か貧困か、あるいは両方かもしれません。

世界には歴史があり、文化があります。一口に社会問題や政治問題を語っても、人々の奥深くに抱えたものというのはそれぞれ違うものです。コロナで世界が転換期を迎えている今、そんなことを考えていました。

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