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マタイの福音書25章14〜30節 「主は良いお方」 2023.9.17 守谷キリスト教会礼拝説教

「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」という小説は、
現代の日本の若い世代が抱える葛藤の一つを描き出した短編集です。

ありのままでいい。頑張れば何にでもなれる。
そう教えられ成長してきた若者が社会人になって、
如何ともし難い壁に阻まれて乗り越えることができない現実に直面する姿を
描いています。

「あの子は貴族」という映画も
同様の日本社会と、その現実に気づいた女性を描きます。

実は日本には今でも貴族と呼ぶのが相応しいような人々がいる。

しかしそういう人たちは確かに存在するけれども、
日常ではすれ違わないようになっている。


イエスによるタラントの譬えは、
人間にはそれぞれに生まれ持った違いがあるという現実を、率直に認めています。

しもべたちが皆、同じだけのタラントが与えられて、
行動に違いがあって主人の賞賛や叱責があるなら納得しやすいです。

しかしそもそも与えられたタラントに違いがあるのです。
1タラントを任されたしもべは初めは喜んでいたでしょう。


しかし彼は、もっと多く与えられたしもべとすれ違ったのです。
彼は違いがあるのだという現実に愕然としたのではないでしょうか。

外見や性格、家柄、育つ環境、計算する能力、
暗記力、運動神経、健康状態、
どれをとっても私たちはそれぞれ違います。

「なんだ、人生は平等じゃないのか」という事実に直面した時、
私たちは

「それを与えた主人、神は、自分にとって本当に良い方なんだろうか」と

疑問を持ちます。


1タラントを預かったしもべのモデルはパリサイ人です。

彼らが律法的になっていった理由の一つが、
違反に対して厳しく罰する神のイメージです。

イエスはそのような神のイメージを変えるためにこの世界に来られました。

イエスが示されたのは、
私たちのためにご自身を犠牲されるほどの愛で
私たちを救い出してくださった神です。

主は良いお方なのです。


2タラントのしもべは、
与えられた違いを受け入れて、精一杯に喜んで生きた人です。

彼の目に映っていたのは、自分を信頼して選んでくれた良い主人です。


神について、

「蒔かないところから刈り取る」のではなく、

私たちに与えるために、
すでに大きな犠牲を払ってくださった方であると認識することは、
私たちの信仰に彩りと喜びを与えます。

神の愛から私たちを引き離すものは何もないのです。

私たちはみな、2タラントのしもべです。

周りを見れば、いくらでも比べる対象があります。

与えられた能力や人間関係、通う教会、生まれ持ったものや、

子供時代の記憶、それぞれが2タラントです。

しかしあの人と比べて少ないと言って腐らず、
またこの人と比べると多いと言って高ぶらず、

忠実にその預けられたタラントを管理して、
なすべきことを今週もなしましょう。


そのしもべは5タラントの人と全く同じ賞賛を受けました。
彼らがもうけた額は全然違います。

でも、

一字一句違わない言葉で、
「あなたはよくやった」と私たちにとって良いお方である神は喜ばれるのです。

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