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使徒の働き4章5〜14節 大胆さのみなもと 2023.6.18 守谷キリスト教会礼拝

大胆であることに憧れを持ちます。

映画やドラマで、
主人公が自身の信念を貫きやがて困難を乗り越えていく姿に
私たちは励まされます。

ペテロとヨハネの
「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、
神の御前に正しいかどうか、判断してください。
私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。
(使徒4:19-20)」という言葉にも、

私たちは同じような爽快感を覚えるかもしれません。


数ヶ月前イエスが裁かれた同じ場所で、

イエスを裁いた同じ人々が、

今度はペテロたちを尋問し、脅したのです。

あの時ペテロたちは散り散りになって逃げてしまいました。

しかし今の彼らは、もうあの時と同じではありません。


聖霊によって与えられる大胆さは、
イエスがどのように神の召しを生きられたかを土台にします。

「神を信じているのになぜ?」という苦難や試練を経験する時、
イエスがどのように十字架を受け入れ、
神が彼を最終的にどのように扱われたのかを、私たちは思い起こすのです。

イエスは「家を建てる者たちに捨てられた石」でした。

しかし神は、彼を「要の石」とされたのです。

ペテロもヨハネも、そして美しの門で癒された人もまた、
それぞれに苦難や試練を通りながらも
神が味方であることを経験した人たちでした。

聖書ではイエスが建築物の支える重要な石である要石や
礎石として例えられることがあります(イザヤ28:16)。

置かれる位置はそれぞれ異なりますが、ともに重要な役割を果たす石です。

イエスは入念なテストを経た礎石として教会を支え、
また教会の上部をしっかりと組み合わせる要石でもあります。


聖霊による大胆さは、
教会を混乱させることはありません。

ペテロが「あなたがた自身も生ける石として
霊の家に築き上げられる(Ⅰペテロ2:4-7)」と勧めたように、

私たちはそれぞれが大胆さを持った異なった形の石として組み合わされるのです。

ペテロとヨハネは釈放された後、仲間たちと祈りました。

教会の祈りは、証詞の大胆さを健全に保ち、
キリストのからだを互いに組み合わせるのです。


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