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私のアトピーと薬を使っていた背景。薬からの卒業①

アトピーと皮膚科で診断されたのは、三才の時。それから、皮膚科で処方されるお薬を皮膚に塗るということが習慣になっていた。

中学生になり、皮膚科の先生にどうしてお薬を塗っているのに治らないの?と聞くも、首をかしげるだけの やぶ医者でした。(根本的な改善策を知っている本物のお医者さんを見つていれば良かったなぁ 当時!のことなので仕方ない。)

アトピーや いろんな病は 根本的に食生活などを改善しないと治らないという基本的な治るためのことを、知っている大人が、周りにいませんでした。

私の薬を使うステロイドの強さだけが、強くなり 高校一年の時から最強レベルのデルモベートのステロイドを常に持っていました。学校へ行くときも、カバンのなかにはデルモベート。痒くなったときのお守りのように ステロイドはいつも持っていました。毎日 お風呂からあがると、全身に 弱いレベルのステロイド、中くらいレベルのステロイド、強いレベルのステロイド、顔用のステロイド、と種類を塗る部位により変えて塗る。というのが習慣で、いつになったら薬を塗らなくていい体になるのだろう。と心の中では思っていました。高校生になると、見た目の美しさを とても気にしますので、少しでも皮膚に症状が、でないように、徹底的にステロイドを塗っていました!(今おもえば、((((;゜Д゜)))おそろしい。)

しかし、見た目をとくに気にするお年頃に 皮膚に症状が、でるのは、それはそれは心理的にきついものがあります。

周りの女の子のお肌が綺麗で、どうして自分どけ、、、とネガティブに感じてしまいます。それは、自然な心の反応でしょう。なんて、思春期なのですから。

当時は 治るために、食生活を見直すこと、シャンプーや洗剤などを見直すこと、化粧品もNGの成分のものが沢山あることなど、まったく知らなくて、基本的な生活習慣の見直しはしていませんでした。

なので、いつまでたっても 症状が出るとステロイドで抑えるという在り方から、卒業することはできませんでした。

高校を卒業して、一人暮らしをしながら働きはじめて、皮膚科には二週間に一度いき、お薬を処方してもらうのが、当たり前で、薬が、無くなると 生活できないくらい皮膚がぼろぼろになるので、二週間に一度の皮膚科通いは、絶対に必要なこと。でありました。

皮膚科に通うのに、会社を早く終わらせてもらうのは二週間に一度は当たり前で、そんなとき、皮膚の症状 アトピーのつらさを知らない上司からは、早く会社を出ることに嫌味をいわれることもありました。

アトピーへの理解は アトピーではない人からみると ほぼ解らないことなのだと。その辛さといったら、たまらないのが現実。

そして、お薬の副作用を 当時まだ知らない私は、性格も気が短くなり、すぐにくよくよして躁鬱病のようにもなっていました。最終的に笑うことができなくなりました。そして、会社を止めることを考えやめました。(広島の街中の会社に勤めていました。)


その時ら、友達に会っても 心から笑えなくなっていたので、完全に鬱の状態でした。

そして、私は 笑顔を取り戻すためにも、もともと 自然界が 大好きだったこともあり、沖縄の宮古島に住み込みで働ける仕事を探しました。そして宮古島へ行くことに決めた20才のとき。

あとから知りますが、躁鬱病や短気になるこもなと、それはほぼステロイドの悪影響であったと知るのです。あらゆる、お薬は安易に使ってはいけない!!ということを、体験から大きく 今では叫びます。

ステロイドやお薬は肉体だけでなく、精神や感情までも 不安定に混乱させていく原因になるのです。

広島から沖縄の宮古島へ飛び立つ決意をした理由の1つに 小さな時からの皮膚科通いの病院依存と、ステロイド依存の生き方を変えたい!!!と心から願っていたのも大きな理由でした。

大好きな自然が豊かな場所にいけば、体も心も癒されるにちがいない。そう直感して宮古島にいきました。3か月ほど、住み込みで宮古島で働きました。海にも何度も入り、宮古島にいるときは、お守りのように持っていっていたデルモベートを使うことは、あまりなく、デルモベートを使わない日々があることが私には、とっても!!嬉しいことで そのまま薬いらずの体になれる!と安易に思っていました。

宮古島の風も海も人も、優しくて、時間が止まっているかのような穏やかさが流れてた。宮古島のそのようや優しい雰囲気が わたしを癒してくれました。海の美しさに感動し、目にうつる 宝石のような青い色。空と海と雲と波と風と とにかく大自然の穏やかさといったら、素晴らしい。素晴らしすぎるな、この地球!!!と、地球に感動しまくりでした。

宮古島で海の仕事を満喫し 大自然のなかで、笑顔も取り戻し、宮古島に3ヶ月滞在したあと(成人式がおわって宮古島に旅立ったので1月~3月に滞在)4月5月は、宮古島で仲良しになった友達と 桜全線を追いかけて、日本一周の旅に、でかけました。友達のサニートラックにテントをのっけて、九州から北海道へと、桜の開花を追いかけて、北海道へ北上し、また南下し九州に戻る。全国の日本の美しさの象徴である さまざまな桜に出会い、感動しました。なんて、美しのでしょう♪


サニートラックでの日本一周の旅では、お守りのように持っていたデルモベートをちょいちょい使っていた。旅が終わると

お次は

北海道のラベンダー畑で、住み込みのお仕事を決めていたので、北海道中富良野へと 旅立ちました。薬と一緒に。

アトピーと脱ステロイドと自然界の私の気付きの#旅はまだまだつづく








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