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医療の常識と司法の常識

時々 裁判所に提出するための意見書・鑑定書を作成することがあり、非常に大変な作業ながら良い勉強になる。

普段は、

・用語や略語

・病気や治療の知識

・医療者と両者の関係

・保険との兼ね合い

など多くの情報が「常識」として通用する人たちの中で仕事をしている。

一部知らない人がいても多少は分かっており、積極的に理解しようと努力してくれるため、不足している部分を補う程度で良い。

しかし司法の世界においては、裁判官や弁護士は医療の常識は全くといっても良いほど知らない。

利害が絡む二者の争いの裁判では、意見書・鑑定書を作成するときには、分かりやすく そして 正確に伝えることを意識しないといけない。

裁判官や弁護士は頭が良く適切に説明をすれば理解してくれるものの、どちらが言い分が妥当かを判断をする際には、医療の常識ではなく、司法の常識で判断するという点には注意が必要である。

医療の常識と司法の常識

診療の場面においては、「こう思うんです」「こっちの方がいいと思うんですよ」「ちょっと様子をみましょう」「大丈夫ですよ」などの説明をすることが多いが、こういった論理は裁判官や弁護士には全く通用しない。

「「こっちの方がいいと思う」というのはどういう意味なのですか? そうあなたが勝手に思うだけですか? 勘ですか?」

「「様子を見ましょう」というのはどういうことなのですか? 様子を見たら何が変わるのですか? 悪くなるのを待つということですか?」

などと突っ込まれてしまう。

医療の常識は、1)医療者は本人にとってベストと思われることを選択する、2)絶対はないため上手くいかないことや失敗しすることもあり得る、3)しかしそれでも医療者は本人や家族と相談しながらベストと思われることをしていれば良い、と考える。

医療の世界で重視されるのは、

・しっかりと説明したか?

・知識と経験は十分にあったか?

・ベストを尽くしたか?

・失敗したり上手くいかないことは当然あり得る

ということである。

一方 司法の世界で重視されるのは、

・しっかりと全ての可能性を説明したか?

・判断の根拠は何か?

・今回の結果は予測可能だったのではないか? 回避可能だったのではないか?

・いかなる理由があろうと被害を受けた人は被害を与えた人(医療者)に責任を求めることができる

と全く異なる。

訴訟における問題点

時々医療事故を扱った裁判で、医療者から見ると変な判決が出ることがあるが、医療の常識と司法の常識が大分異なり、そのことを理解しないまま診療をしたり裁判を進めた結果であることが多い。

例えば検査や治療のリスクの説明を本人を不安にさせないためにあまりしないことはよくあるものの、訴訟になると、説明する責任を果たしていない あるいは リスクを医療者が予測していなかったとみなされる。

普段医療者は自分たちの常識を利用者やその家族に当然のように押し付けていることをもう少し自覚する必要があること、その常識は司法の世界の人からすると常識ではなく非常識でさえあることもある、ということをしっかりと受け止めて診療にあたる必要がある。

しかしそれは確実に医療を堅苦しいものに変える。

司法の常識に従えば「大丈夫、大丈夫、もうしばらくしたら良くなるよ」と根拠なく言ってはいけない。

「今 感じているのは漠然とした不安で、抗うつ薬の効果が期待できるため、服用しゆっくり休むことで、数日後には軽減することが期待できます。しかし改善せず希死念慮が出現する場合もありますので、家族は常にそばについておき、状態が悪化した際には早急に病院に連れてきてください。また抗うつ薬には〇〇や〇〇などの副作用が起きる可能性がありますので十分に注意してください」と伝えるべきである。

このような行為が医療と言えるのか不明ではあるものの、現時点においては司法の世界の方が医療の世界より強いため、医療は司法の常識に従っていくしかない。

おそらく医療の世界も近日中に、スマホのアプリをインストールするときなどに、だらーーーと何か表示され「了解しました」と押す手順を踏むようなことが行われるようになるはずである。


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