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郷土の遺産、鹿踊を守り 町も人も元気にする。 岩谷堂高校鹿踊部

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一礼申して 

立てや我が連れ 

立てや我が連れ

 8頭の中心にいる中立が歌い出すと、ほかの鹿たちもつづいて歌い出す。金津流岩高鹿踊の演目の始まりである。

 鹿頭をかぶり、身にまとう装束は15キロ以上。背負った2本のササラを振って太鼓を打ち、鹿のように足を上げて勇壮に踊る。見るものは躍動する集団に心をわしづかみにされる。

 この伝統を継承する岩谷堂高校鹿踊部は、97年に岩谷堂農林高校の同好会として始まり、同高と統合された09年に創部した。以来地元のイベントを中心に年間約30公演をこなし、地域の文化振興や江刺のPRにも一役買う存在となっている。

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「生徒たちが運営する模擬株式会社の岩高ショップで鹿踊のデザインを施したエコバッグなどを商品にして、収穫した農作物や加工品、特産品などと一緒に販売しています。地域のこともたくさんの人に知ってもらえたらと思います」と話すのは顧問の村上尚美先生。

 鹿踊が地域にあると繁栄すると考えられ、特に浸透した江刺は稲作やリンゴ栽培が盛んで潤ってきた。この踊りは地域によって洗練されながら県内全域に分布した。現在約150団体あり、お囃子で踊るのが「幕踊系」。踊り手が演奏する岩谷堂高校は「太鼓系」の鹿踊になり、流派はかなり分脈する。彼らが伝承するのは金津流で、法要や村の祈祷など、神事芸能の秘伝として250年近く踊り継がれてきた。

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 しかし近年は少子高齢化が進み、こうした伝統芸能の後継者育成が課題となっている。地元では男性の踊りとされ、昔はむやみに教えず、選ばれた人だけが受け継いでいた。だが近年は女性も踊手として活動し、鹿踊部のメンバーも大半が女子。卒業してから他の団体で踊手として活躍する女性も増えつつある。

「高校に入学する生徒の数が年々減少しています。ひとつの学年が今100人程度。でもそこから2年生が9人、3年生4人が鹿踊部に入部しているので人数が確保できているほうだと思います」

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 毎年入学式で披露される鹿踊を見て憧れを抱き、入部する生徒が後を絶たない。中立を踊る小原誠心も鹿踊に魅了され、鹿踊部がある岩谷堂高校に入った。

「たぶん周りが想像する以上にこの踊りが大好きで、流派問わず江刺の鹿踊自体をたくさんの人に広めていきたいと思っています。普段は毎日反復練習ばかりですが、練習や公演を重ねるごとにだんだんうまくなって成長を実感できます。お客さんの前で披露して喜んでもらえるとやっぱりうれしい。やりがいを感じています」

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 小原は幼少から、金津流石関獅子躍14代目の踊り手である父を見ながら育ち、稲瀬小学校では学校の取り組みとして金津流鶴羽衣鹿踊を踊っていたため、常に鹿踊が生活の中にあった。

「ずっと父の鹿踊に憧れていました。一緒のステージに立ったときはうれしくて特別な感覚がありました。理想は父の形で踊ること。それを目指して鍛錬していますが、伝えようとしてもまだ表現できていません」

 現在小原は父と同じ金津流石関獅子躍15代目の踊り手としても活動している。

「金津流石関獅子躍は一度途切れたときがあってしばらく間があったんです。それを14代目の踊手が師匠として菊池司氏を招き、復活しました。岩谷堂高校も司師匠が指導しています。奥州市の魅力を広めながら受け継いだ伝統を大切に守りこれからもずっと踊り続けていきたいと思います」

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