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安倍首相へ、本当に保守なのですか?  (中島岳志『保守と立憲』より)

安倍晋三・菅義偉内閣と続いた自民党政権は、どのような政治をおこなってきたのか。
いまあらためて振り返ることが必要なのではないでしょうか。

中島岳志『保守と立憲』(2018年刊)から、必読論考を5日連続で公開します。

第一弾は、「安倍首相へ、本当に保守なのですか?」(2013年)です。



保守軽い

中島岳志『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』(スタンド・ブックス/2018年)「安倍首相へ、本当に保守なのですか?」132p~138p

安倍首相へ、本当に保守なのですか?


 安倍首相は『文藝春秋』二〇一三年一月号に「新しい国へ」を発表し、日本のあり方を「瑞穂の国」と規定している。そして、「瑞穂の国にふさわしい資本主義」のあり方を追求すべきとして、次のように主張している。


「日本という国は古来から、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かちあいながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、『瑞穂の国』であります。自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病で倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
 私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります」

 安倍首相は、ウォール街にはびこる強欲資本主義からの脱却を説き、「真の豊かさ」を追求する道義的資本主義こそが日本の国柄にふさわしいと主張する。

 しかし、である。二〇一三年の九月、ウォール街を訪れた首相は、ニューヨーク証券取引所で演説し、「日本に帰ったら直ちに成長戦略の次なる矢を放つ。投資を喚起するため、大胆な減税を断行する」と宣言した上で、次のように言い放った。

「世界経済回復のためには三語で十分です。バイ・マイ・アベノミクス(アベノミクスは買いだ)」

「おいおい、ちょっと待ってほしい」とツッコミを入れたのは私だけではないだろう。つい九ヶ月前にはウォール街的な資本主義への“の強い懐疑を表明していた首相が、あろうことか当のウォール街に行って笑みを浮かべながら「バイ・マイ・アベノミクス」と言うのだから、開いた口が塞がらない。首相自らウォール街的な強欲資本主義の拡大を促してどうするのか。「是非ご自身がお書きになった『文藝春秋』一月号を読んでいただきたい」と言いたくもなる。

 しかし、安倍首相は新自由主義的な構造改革路線を突っ走り、加速度的にアメリカの「強欲資本主義」へと接近する。安倍内閣が前のめりになるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツが的確に指摘するように、アメリカにおける特定利益集団による「管理貿易協定」である。TPPに加われば、日本の農業は高付加価値商品の生産に限定されるだろう。すると、低所得層はこの国の作物を口にできなくなる。食を通じたネイションの分断が顕在化する。「瑞穂の国」は根本的に倒壊し、日本のウォール街化が進む。

「瑞穂の国の資本主義」が重要だと言うならば、休眠資産の再活用を活発化させ、国土荒廃を防ぐ政策を採るべきだろう。地域社会の自律性(オートノミー)を支援し、コミュニティベースの相互扶助的経済を確立しなければならない。エコノミストの藻谷浩介氏はマネー資本主義から距離を取り、日本の伝統社会に眠る潜在的価値を再生させる「里山資本主義」の重要性を説いているが、こちらのほうが圧倒的に「瑞穂の国」のあり方にふさわしい。

 首相は復興特別法人税の廃止の前倒しを検討し、法人税減税にも取り組みたい意向を示している。企業の利益が拡大することで労働者の賃金が上がり、消費が拡大するというのだ。しかし、残念ながら法人税減税は賃金上昇につながらない。競争の中で利益の最大化を図る多くの企業において、従業員の賃金を上げることとキャッシュフローの増加の間に、直接的な相関関係がないからだ。

 企業が賃金アップを実行する動機は、利益を上げる人材の獲得、確保にある。もはや現在の企業の多くは、社員のために事業を行っているわけではない。そのため、経営者が賃金アップの対象とするのは、社員全体ではなく、特定の社員に限定される。収益の最大化に貢献する人材の獲得と、そのような人材の流出を防ぐことが、利益を賃金に振り向ける動機付けとなっている。現在の経営者の多くには、会社の利益を社員全体に還元しようという発想が乏しい。利益は、財務体質強化や将来へのストックとして内部留保に回される。

 実際、二〇一三年十月のロイターの企業調査によると、復興特別法人税の前倒し廃止によるキャッシュフローを賃金に振り向ける企業は五%にとどまっている。最も多い回答は「内部留保にとどめる」で、全体の三〇%に上っている。さらに法人税を納めている企業は、現在のところ三割程度に限定されている。多くの中小企業にとって、法人税減税による直接的な利益など存在しないのだ。結果、アベノミクスの利益は、国民全体には行きわたらず、一部の富裕層に集中する。

 安倍内閣は、次々にネイションを分断する政策を進める。生活保護の切り下げは、その典型である。安倍内閣は扶養義務の強化を目指している。二〇一三年六月に廃案になった生活保護法改正案では、家族・親族に「扶養しない理由」についての事実上の説明義務を課し、職場への調査を可能にしていた。

 自民党が提示する政策ヴィジョン(「自助・自立を基本とした安心できる社会保障制度の構築へ」)では、「家族の助合い、すなわち『家族の力』の強化により『自助』を大事にする方向を目指す」とされ、家族の結束が強調されている。「家族の絆」や「家族による助け合い」によって「自助」を高め、生活保護費の抑制を図ろうという意図が示されている。

 しかし、「扶養義務の強化」は、逆に家族の崩壊を促進してしまう可能性が高い。非正規雇用の拡大などによって、家族にはすでに余裕がない。若い世帯には、親や兄弟、親族の生活まで面倒を見る余裕などなく、「家族に頼れ」と言われても実際には難しいことが多い。そのような中、扶養義務を強化しても、家族への負担とストレスが増大するばかりで、軋轢や溝は深まってしまう。「家族の力」の強調は、「家族の崩壊」を促進してしまうのだ。

 家族をなんとかして保守するためには、「自助」ばかりを強調するのではなく、適切な規模の「公助」が付与される必要がある。家族に過剰な負担が押し寄せない政策こそ、崖っ縁に立たされている家族を守ることにつながる。

 生活保護政策で重要なのは、受給者を社会とつなげ、その中に包摂することである。他者との関係性を構築することによって孤独から解放し、働く意欲を引き出すことが重要になる。保守思想を重視するならば、生活保護バッシングや「家族の力」の強調によって社会を崩壊に導くよりも、「自助」の力を引き出す「共助」「公助」を進めることで、社会を再建する道を開くべきである。

 具体的には、中間的就労という政策が重要になる。有効求人倍率が一%を切る中、勤労可能な受給者が、一気にフルタイムの仕事に就くことは難しい。これまでの過酷な労働の中で精神的に傷付き、即座の社会復帰が難しい状況の受“給者も多い。中間的就労は、受給者の状況に応じて段階的に社会的事業への参加を促し、勤労意欲を高めていくという施策である。人とのつながりの回復によって「生きがい」や「必要とされているという実感」を獲得し、社会復帰を促進していくことが目指される。

 人は、特定の社会の中で役割を果たすことによってトポス(意味ある場所)を獲得する。戦後日本の保守論壇を支えてきた福田恆存は、『人間・この劇的なるもの』(一九五六年)の中で次のように主張する。

  私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起っているということだ。そして、その中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する──ほしいのは、そういう実感だ。
     (福田恆存『人間・この劇的なるもの』新潮文庫、一九六〇年)

 現代社会が喪失しているのは、人々の「役割」である。派遣労働の問題は、人々に代替可能性を突き付けることである。「他ならぬあなた」でなければならない理由が労働現場から剝奪され、いつでも交換可能な存在として扱われる。そのような場所では、人間のアイデンティティは確立されない。

 新自由主義は、保守思想と相容れない。困っている国民には全力で支援の手を差し伸べるのがパトリオット(愛国者)の使命であり、同胞愛に基づく再配分の充実化、セーフティネットの強化を図るのが、保守政治家の責務である。社会における安定性の確保こそが、健全な活力を生み出す。

 安倍首相には、是非とも保守政治家の王道を歩んでいただきたいと思うが、難しいだろう。今の路線を突き進めば、日本の伝統に基づく安定的秩序や基盤を崩壊させた革新主義的破壊者として歴史に名を刻むことになるだろう。

  ■『文藝春秋』文藝春秋・二〇一三年十二月号・二〇一三年十一月九日

中島岳志『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』(スタンド・ブックス/2018年)「安倍首相へ、本当に保守なのですか?」132p~138p


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