編集後記(森山裕之) パリッコ『酒場っ子』
パリッコさんの名前を初めて知ったのは、ライター・編集者の辻本力さんが作っている雑誌『生活考察』だった。
『生活考察』の前号が発売された時、東京・吉祥寺の書店で食の本ののフェアが開催された。いろいろな書き手の方や編集者が「食」に関する本を1冊選びコメントし販売するという企画があった。そこに辻本さんに声をかけて頂き、私も『京都の中華』(京阪神エルマガジン社*現、幻冬舎文庫)を選び、コメントを書いた。そのフェアの内容が次号の『生活考察』(vol.5/2014年)で掲載され(「ブックガイド“食”本考察」)、本を送って頂いた。
同じ企画の中で、特殊翻訳家・映画評論家の柳下毅一郎さんが、パリッコさんという人の『大衆酒場ベスト1000』というミニコミを選んでいた。この企画の選書の中で唯一知らなかった本、書き手だったかもしれない。しかも柳下さんがとても熱量のある書き方でパリッコさんを紹介していて、それがとても印象に残った。
『大衆酒場ベスト1000』は①~③まで出ており、当時買える書店は新宿の模索舎だけだった。すぐ買いに行って、読み、パリッコさんのお酒についての文章のとりこになった。
『大衆酒場ベスト1000』には、「ピコピコカルチャージャパン」というサイトで連載されている文章が再構成し掲載され、書き下ろしの対談、漫画も載っていた。①~③に載っていない文章もすべてそのサイトで読むことができた。毎晩、スマホで二、三編ずつパリッコさんの文章を読んだ。
文章を読んでいると、パリッコさんはどうやら、今私が住む練馬区の石神井公園か、隣り駅の大泉学園周辺に住んでいるだろうと想像ができた。この周辺のお店や西武池袋線沿線のお店が偏って紹介されていた。自分が住む町の話であるから、ますます興味深く読んだ。
ウェブの記事などで、酔っ払って石神井公園の「ほかり食堂」や「玉仙楼」でテーブルに突っ伏して寝ている姿などを見ていたから、パリッコさんの顔はすでに知っていた。100編以上の文章を読んでいたから、私の中でパリッコさんはすっかり有名人になっていた。いつかその有名人に地元の酒場で会える日が来るかもしれない。そうやってどきどきわくわくしながら、私も当時二日に一度くらい地元の酒場に通っていた。
しかし、なかなかパリッコさんに会えない。パリッコさんの文章を知って一年ほど経った頃だろうか。少し前にツイッター上では相互フォローとなっていたから、意を決してDMを送った。自己紹介をして、よろしければ地元で飲みませんかと。
いきなりふたりで飲むのもあれだと思い、会社を立ち上げる準備期間中に間借りさせてもらっていた石神井公園のデザイン事務所「ドット・スタディ」で当時働いていてしょっちゅう地元で飲んでいた音楽家・デザイナーの山口晋似郎(今はスタンド・ブックスと同じ平屋の一軒家の一室で「おみせ」というギャラリーをやっている)が少し繋がりがあるということを聞いていたので、一緒に来てもらうことにした。パリッコさんも最初からきっとあれと思ったのか、当時すでに大阪在住でたまたま上京していたスズキナオさん(その後パリッコさんと『酒の穴』という共著を出版される)と一緒にいらっしゃった。
パリッコさんもナオさんもシャイで、晋似郎も私も最初からガンガンいくタイプではなかったので、4人のおじさんによる初対面の飲み会は静かにスタートした。
一軒目はパリッコさんも以前から気になっていて初めて入るという駅近くの居酒屋にした。居酒屋は二軒隣り合わせていたが、「よしこっちだ」と思って入ったほうの店は常連のおっさんがふたりカラオケをやっていて、他にお客さんはいなかった。居酒屋とスナックの間のようなお店でカラオケを聴きながら飲んだ。
酒はシャイなおじさんたちの心を、いとも簡単にほぐしてくれる。一軒目でナオさんは次に仕事があるからと先に帰られてしまったが、その後もパリッコさんと晋似郎と私の三人で、二軒目も前から気になっていたけど入りづらかったお店で飲み(見たことのある商店街のおっさんがやはりカラオケを歌っていたが、つまみがとても美味しかった)、最後は美味しいカクテルを作ってくれるバー(今は都心に移転してしまった。さみしい)で飲んだ。べろべろになって最後はみんなで握手したりしながら、「パリッコさんの本を作りたいんですよ」と、最後の最後にようやくこの会の趣旨を伝えることができた。その時パリッコさんはウェブの他、雑誌でも酒場の記事を書かれていたけれど、まだ本を出すという話はなかったと思う。
その後何度か石神井公園で「打合せ」と称して飲むようになったが、一度お酒を飲んでしまうと、いつも楽しく飲んで終わってしまう。その時記録したメモが何を意味するのか、見返しても全然わからない。酒を飲み、それを記事にすることを仕事のひとつとするパリッコさんはほんとすごいよなと思う。
それから私も独立し、本格的に本を作ろうという段になり、打合せ場所は喫茶店に変わった。パリッコさんの退勤後は駅前の「ドトール」、出勤前は駅の改札により近い「上島珈琲店」で、酒場の本を作るために私たちはいつもコーヒーを飲みながら打合せをした。
本格的にスイッチが入ってからは、パリッコさんは会社の仕事と酒場ライターの仕事の合間に、週に四、五編というものすごい勢いで原稿を上げ、わずかな期間で四十編もの酒場エッセイ、イラストを書き下ろしてくれた。
パリッコさんが酒場を紹介する文章はとにかく楽しそうだった。お金があまりなくても、うるさいことは言わず、人を傷つけるようなこともせず、どんな場所でも楽しさを最優先して飲んでいるように見えた。でも決して貧乏くさいわけじゃなく、粋じゃないわけでもない。新しい飲み方だと思った。そしてそれは時代に流されるようなものではないものだとも思った。こうゆうお酒の飲み方を、楽しみ方を本にしたいと思った。
以前、又吉直樹くんと『夜を乗り越える』(2016年)という本を作った。彼はその本の中で、「僕は本を楽しみたいという気持ちで、わくわくしながら開きます。少なくとも『この本、全然おもしろくなかった』と僕が誇らしげにいうことはありません。自分がおもしろさをわからなかっただけじゃないかと思うんです。自分が楽しみ方を間違えたのではないかと」と書いた。「本」を「酒場」という言葉に換えると、それはそのままパリッコさんの酒場への対し方に重なるように思った。
帯文はたくさんの方にいただきたいというイメージが最初からあった。夢眠ねむさん、ラズウェル細木さん、清野とおるさん、吉本ばななさんに素晴らしい文章をいただいた。そして、パリッコさんを知るきっかけとなった、『酒場っ子』を作るきっかけとなった柳下毅一郎さんには帯文には少し長めの、この本の解説になるような帯文をいただきたいとお願いし、帯の表4に掲載させて頂くことができた。
漫画家・イラストレーターのスケラッコさんが描き下ろしてくれたさすがとしか言いようがないたぬきの絵を中心に、石神井公園を拠点に活動するデザイナー・木村奈緒子(PORT)さんが素敵なビニール装の装丁に仕上げてくれた。
パリッコさんをその文章で知り、同じ町に住んでいても一年間まったく会うことはなかったのに、今では地元でいちばん偶然に会う人になった。朝、子どもを保育園に送る自転車ですれ違い、夜、「100円ローソン」でお互い「焼酎ハイボール」を買っているところに出くわす。
「よく会いますね~」
千鳥足のパリッコさんはいつも楽しそうだ。
森山裕之
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