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はじめての子どもが生まれて、半年専業主夫やってみた #2

間が空いてしまったけれど、思っていた以上に反響をいただいたので、続きをざっと書いてみたいと思います。

前回のnoteはこちら。

ここにもわが家の紹介を書いておこう。

ぼく
1986年生まれ。大学在学中に雑誌をつくっていた仲間たちと、卒業後会社を立ち上げるも、3年後自身の体調不良で退職。その後、色んな媒体の編集長をしたり、また起業したり、また体調を壊したりとジェットコースターのような仕事人生を送る。現在はフリーランスの編集者としてはたらく。


1986年生まれ。デザイナー。グラフィックレコーディングという議論を可視化する手法を日本で広めた後、働きながら東京藝術大学で修士号を取得。いずれは博士もとりたいらしい。現在はデザイナーと平行し、美術大学の専任講師として働く。正義感が強く、タフで頑固。


立ち会えなかった出産、ひとりきりのドライブ

出産には立ち会うつもりだったものの、予定日よりも1週間ちょっと早まってしまったこともあり、叶わず……。生まれた瞬間は新しくはじまったpodcastの収録でスタジオに入っていて、収録後妻本人からのLINEでふたりの無事を知ることに。立ち会えなかったショックはあるものの、心のどこかで少しホッとした部分も。出産という生々しい現場を自分が想像以上に恐れていたことがあとからわかった

スタッフみんなに祝福されたあと、車で病院に向かう途中、「あかちゃんが生まれました。無事、生まれたよ。あかちゃんがやってきたよ」と口からことばがこぼれていって、それを自分で聞いたとき、ぼろぼろと涙が流れていった。首都高を走っていたので、視界が危なかった。一生忘れないドライブの記憶。

病院で妻の無事を確認し、赤ちゃんともここで対面。新生児ってだいたい青紫でそこまでかわいいと思えないかも、と思っていたのだけど、ぼくたちの子どもはなんだか桃のような薄ピンクで、とてもかわいかった。看護師さんたちから「なんてきれいな赤ちゃん!」といわれて、とてもうれしい。いきなり最初の親ばかを体験した気分。

その日は会食の予定も。いわし料理のお店で、「これが父として最初のいわしの刺身」「これが最初のいわしのなめろう」なんていいながら食べる。帰宅してもひとりなので実感がない。父親に、なった! と思うと、目がさえて全然眠れなかった。

赤ちゃんを迎えるために

妻の入院中はできるだけ病院に通った。赤ちゃんはだいたい新生児室というところにいて、妻は病室で回復に務めるという感じだ。通常より多い700ccという出血があったそうで、しんどそう。ペットボトルをイメージしたら、1.5本。とんでもない量だと震える。

病室にはiPadが置いてあって、それで入院中の「メニュー」のようなものが一覧できる。ふむふむ。読んでみると、赤ちゃんと過ごす時間以外に、ミルクのあげ方、ゲップのさせ方、おむつの換え方──その他もろもろの、今後の生活に必須になる作業のレクチャータイムのようなのがあるようだ。1日のうちある程度の時間は、彼女は赤ちゃんとも過ごすこともできる。

新生児室からやってくる赤ちゃんは、アクリルのケースみたいなものに敷かれた布団に寝かされている。そのケースの横にはクリップボードがついていて、挟まれた書類にはその日の体温、体重、ミルクの回数と量、便やおしっこの回数が書かれている。保育士さんが新生児室で起こったことを記録し、病室では妻が記録しているようだった。なるほど。これをうちにきたら、ピヨログってアプリでやるのだな。

病院にできるだけ行っていてよかったのは、ここ。ただ漫然と1週間を過ごして赤ちゃんを迎えると、最初から夫婦間に育児スキルの差が生まれてしまうだろう。最初は小さな差でも、日々の積み重ねで大きくなりかねない。そう思って、帰宅してからは買っておいた育児本で、基本タスクのおさらいを進めた。

それだけじゃ飽き足らず、鼻息荒く月齢ごとの成長の特徴とするべきことについて、その本に載っていた3歳まで予習もしてみた。これは実際役には立たない、というのがあとになってわかるが、少なくとも新生児期に毎日やることを頭に入れておくのは、本当にやっておいてよかったこと。

新生児がやってきた!

いよいよふたりが家に帰ってきた。ずっと待っていた生活だ。ミルクは毎日飲む量が増えていく。ミルクを飲むとまたすぐに寝てしまう。もっと見ていたいなーと思うものの、寝るのはよいことだ。はじめての沐浴は、おそろしかった。新生児、あまりにからだぜんたいが頼りなく、壊れてしまいそう。

ミルクをあげることは入院中に病室でやっていたので、家に来たときには慣れ始めていたが、タイミングがあわなかったので、おむつははじめて。娘のおまたをじっと見るのはなんだか恥ずかしい。けど、見なければ、ちゃんと汚れを拭き取れない。どれくらい力を入れるのか、わからない。そっとなでる。うんちはなんだか小麦のようなにおいがした。

ぜんぶの作業はだいたい2時間おきで、ふえーと泣いたらおむつを見ると水色になっていて、それを替える。ミルクをつくって冷まし飲ませると、またすぐ寝る。彼女にとって今世界には、快か不快しかない。快に導けてあげられると、とてもうれしい。生きている甲斐がある。あとは1日1回の沐浴。先輩やものの本やネットなどで、「育児は大変!」と脅されていたので、あまりの簡単さに拍子抜けする。実際、育児にまつわる基本的なタスクは、誰にでもできる簡単なお仕事だ。なんだ育児、全然難しくないじゃん

妻には回復につとめてほしかったので、掃除や洗濯、炊事はできるだけぼくがやる。なんせやっとやってきた、妊娠期には得られなかった親としての当事者意識を感じられる貴重な時間のはじまりなのだ。夜もできるだけ、ぼくがやろう。2時間おきに起きるのだって、べつにぜんぜん苦じゃないよ。

──と思っていたのだが、1週間も経つと、すぐに全身が重くなった。まずは寝不足。小刻みに寝て起きてを繰り返す生活は、30代も後半の身体にはかなりしんどいということがわかった。毎週のようにオールをしていた20代だったら、どれだけマシなんだろう。そう思いながら、夜中キッチンに立ってミルクをつくる。

気づいたら、白髪が全然ないのがひそかな自慢だった髪の一部に白い束が現れた。すぐに壊れてしまいそうな新生児と過ごすのは、緊張感もすごい。白髪はまだいい。ある時、ごそっと髪が抜けた部分もあって、自分でもちょっと引いた。

夜、たまに何をやっても泣きやまないときがあって、これは応えた。なにかぼくが気づけてあげられていない、とても不快なことがあるんじゃないか。なにかの病気のはじまりなんじゃないか。そう思うといてもたってもいられず、そっと抱きしめて、「わからなくってごめんね」と声をかけた。世界でふたりだけの気分になって、泣けてきたときもある。窓から朝日が差し込んでくると、もうすぐ妻が起きてくれると思って救われるような気持ちになった。

先回りはやめて!

新生児期の1ヶ月のあいだで、わかったのは、育児というのはそれぞれの家庭に個別具体的なものとしてある、ということ。月齢ごとにやる大まかなことは決まっているものの、家庭のあり方、仕事のしかた、赤ちゃんの成長のあり方はぜんぶ違い、その組み合わせの数だけ育児がある。

最初の1週間ほどは、ぼくの母が来てくれた。うちの子はとてもよく寝てくれるのもあって、「この子はほんとうにいい子!」「なんて育てやすい子なの〜」とうれしそうにいってくれる。やっぱりそうなんだーと思う。

そのこと自体は何も問題ないし、悪意も当然感じない。それでもぼくたちにとっては初めてで、身体がきついな、と思うこともあるわけで、「これでも育てやすい子なんだから」と思わないといけないのは、すこしだけしんどかった。でもこれは問題ない。

きつかったのは、例えばSNSでアドバイスをしてくれる人。遅くに授かった子なので、Instagramにその時々のことをポストすると、たくさんの人がよろこんでくれる。

けれどまれに「今がいちばん楽しい時期だよ」とか「ハイハイしだしたらもっときつくなります」なんてメッセージが届いたりする。どれも悪意のないものだけど、育児は個別具体的なものだ。先回りして何かを伝えられるのは、ほんとうにいやだった。これから子ども育てる人には、聞かれるまで自分は絶対にしないようにしよう、と心に決めた。


まだまだ書きたいことはあるけれど、今回はここまで。

次回は肝心(?)の仕事の話と、男性視点で発見した育児のあれこれを書こうとおもいます。


最後までありがとうございます。また読んでね。