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もうすぐなくなってしまう敬遠という行為について

果たされなかったオトコ旅の約束と、プロ野球総選挙。ルールがあるから歴史を語れることと、もうなくなってしまう敬遠について。ジョギングの汗は家系ラーメン、といったことが記述されました。


20180107




たかくら、ODAさん、アンディーとオトコ4人からっ風という感じで、カオスラウンジの展示に出かける予定があった。しかし4時半まで昨日のバチバチスパーク状態が続いてしまった上、その直後に事切れるようにベッドに倒れ込んでしまったので、約束を果たせず。そもそも6時に新宿、という約束は全盛期のぼくでもキワドイところなのだった。

昼過ぎに起きて、予想通りにそしてわかりやすく、みんなの旅程の写真をInstagramでみて少し落ち込む。本当は出かけたかったんだよなあ。最近、大人になってからのオトコの友情、、みたいなものにとても切実な気持ちで向かいあいたくなっている。再読した『哀愁の街に霧が降るのだ』や吉田修一『横道世之介』の影響が大きいと思う。我ながらわかりやすい。

ただこれには理由があって、高校時代の教師がいったひとことを今でも覚えている。たしか1年生の新学期がはじまるころに、背の低い彼は教壇の上でせのびをしながら

「一生の友人というのは、大人になってからはなかなかできないものである!せいぜい高校、大学までなのです、だから大切に過ごしなさい」

なんてことを言っていた。ふうんそんなものか、と思いながら過ごしたが、最近オトナになってからも全然できるじゃん、青春終わってなかったじゃん、ということが多い。その気持ちをいくつかのエピソードと一緒に、記述したいと思っている。


20180108


夜、テレ朝でやっていた「プロ野球総選挙」をみる。これはプロ野球ファン1万人にすごいと思う選手をあらかじめリサーチし、投手部門と野手部門にわけて上位20名を発表するという趣向の番組のようだ。予想通り現役選手が多く、ネット上でも軽く炎上していたようだ。

選手論を語るということは、作家論を語ることと同義だから、まだ成績に変動のある現役選手を扱うというのはおかしなことにも思う。現役作家には全集はない。

けれどこういった番組ができるのも、ルールが明確なスポーツならでは。ルールの中では自ずと優秀な成績ラインが設けられるから、比較することができる。それは楽しいことである。

記録に残らない印象深いプレーというのも、一方である。来年からNPBでも敬遠は、宣言すれば自動的に四球扱いとなるようだ。試合時間短縮と投手の肩の負担を考えるとこれは正しい選択だが、じゃあ新庄の敬遠球をむりやり打ったサヨナラ勝ち、みたいなものはこれから先生まれなくなるということだ。

「昔、新庄って選手がいてさー、あ、そうそう敬遠もまだ手動だったからこんなプレーがあったんだよ」

といって、孫と未来のYoutubeを見てみたい。Yotubeがなければ、それに大体するサービスで。それはルールが明確なスポーツだからできる、絶対的な会話になる。


20180109


朝にジョギングをする。馬事公苑を1周して戻ってくる約5キロのコースを30分で走る、というペースが体にフィックスされてきた。BPM130〜150くらいの有酸素運動をすると、べったりとした汗がまず出てきて、そのあとさらりとした汗に変わる。このべったりとした汗のフェーズに差し掛かると、ぼくはいつも家系ラーメンのことを考えてしまう。食べたくなる、というわけではなく、自分のべったり汗が家系ラーメンのスープに思えてくるのだ。なんだか豚骨になって、自分自身を煮込んでいる気分。

夜、新潮クレスト・ブックスの堀江敏幸が選者として選んだ短編集『記憶に残っていること』所収の、デイヴィッド・ベズモーズギス「マッサージ療法士ロマン・バーマン」を読む。ソ連からの亡命者であるマッサージ師の父が率いる一家のアメリカぐらしを、子どもの視点から語る作品。資本主義社会が静かに痛む描写が、それでも静かに幸福に感じさせられる短編だった。


最後までありがとうございます。また読んでね。