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うまくなった

※この投稿は、note企画「#いまコロナ禍の大学生は語る」の代理投稿です。

【PN: lazygirl】

(はじめに:「この企画おもしろそう!でも note のアカウントは作る気ない!代理投稿してくれない?」という至極身勝手なお願いを検討・承諾くださった主催者様に大感謝)

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わたしは2020年の4月に大学生になった。
この文章を書いている2023年は4年目にあたるらしい。

いつのまにか、頭のなかには〈就活〉だの〈卒論〉だのが巣食うようになった。

しらんけど。

こんな企画の対象者になるような時期にダイガクセーをしていたらしい。

しらんけど。

知らんけど、せっかくだし総括がてらなんか書いてみっか~という気になったので、こうしてタイピングしているわけだ。

このPCにはずいぶんお世話になった。乱暴に扱いすぎて背板が剝がれてるくらいに。
PCというのは卒論提出直前に壊れるものらしいので、なんとか動く今のうちに買い換えよう。

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さて「コロナ禍」をふりかえるに、その始まりは大学入学じゃないと思う。

受験期。あの忌々しい時期。

2020年は、イランだかイラクだか、そのへんで緊張が高まって、すわ開戦か?というニュースで始まった。
結局それはどうにかなったらしい。

そうしたら今度は、中国でウイルスが流行ってるらしいというニュースがテレビを騒がせ始めた。
センター試験が終わったくらいで、武漢がロックダウンになった気がする。

2月。進学校の高3ということで高校に通う必要もなく、だらだら朝8時からモーニングショーを見て、豪華客船のクラスターの経過を逐一追って、たまに受験に行ったり講習に行ったりしていた。
京大を受験するために乗った新幹線、とくに罪悪感はなかった。2月の24日とか26日とか。

直後に事態が急変した。

受験のご褒美で行くつもりだった高橋一生の主演舞台が、中止になった。
学校が休校になった。
入学式が中止になるかも不透明だったけど、とりあえずスーツを買った。
アマビエやら蘇やらが流行った。
なにがなんだかわからないうちに、卒業生と保護者だけに縮小されて卒業式が執り行われた。
合唱は自粛しなかったから、1年間の合唱練習はムダにならずに済んだ。

祝賀会は中止になった。部活の同期と、最後にもう一回だけ楽器を弾けるって信じていたのに。
卒業旅行はろくに計画もしないまま自粛して、少しの罪悪感を抱えながら在来線で県外まで行った。
入団するつもりだった社会人楽団の練習が中止になって、見学に行けなかった。

そして4月になった。

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大学に入学してからのことは、「コロナ」と紐づいた記憶はたいして多くない。
コロナじゃない大学はしらんから。

オンラインだからなのか、大学だからなのか、PCの扱いには慣れた。
やたらと高校同期とLINE通話だのZOOM会だのをしてた。
「密ですゲーム」にドハマりした。
実家暮らしで必要がなかったので、4月から6月までの3か月間で、靴を履いたのは10回にも満たなかったはずだ。

ちゃんとステイホームしていた。

1年生の夏休みには、バイトしてみたり、免許の合宿に行ったり、おそるおそる外出し始めた。
秋学期には、ハイブリッド授業になった。キャンパスに行ってZOOMをつないでもいいことになった。
秋休み(11月末)に、父の単身赴任先に観光に行った。GoToが始まっていたかあんまり覚えてないけど、すごく罪悪感を感じながらの旅行だった。

冬学期、鬱っぽくなった。

人類なんて死に絶えてしまえばいいと思っていた。せっかく感染症が流行したのに、こんなに個体数が減らないなんて、ヒトというのは救いようがないと思っていた。

なーーにが新しい生活様式だ、ふざけんな、って怒ったり絶望したりしていた。

なにに対してだったのかはわからない。

「不要不急」ということばの暴力性について、Twitterに長文の愚痴を流した形跡が残っていた。

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1年生の春休み前後から、本格的に「キラキラ☆キャンパスライフ」をやり始めた。
具体的には、ロードバイクを買って、大学の人たちといろいろ乗り回すようになった。

2年生の春学期も緊急事態宣言が出ていたような気がするけど、印象は薄い。
「緊急」に慣れた。

社会人楽団でのコンサートが、無観客配信になった。ステージに乗って、照明を受けて、マスクをして、誰もいない客席に向かって弾いた。
音が人体に吸収されないから、やたらと響いた。

***

3年生になって、初めて「完全に対面」の授業があった。

大学に行くこと、人と話すこと、そんなに制限されていたような気はしていなかった。
なにも考えずに初回授業で教室に入った。

ぜんぜん違うじゃん、って思った。

参加者全員がその空間にいる、ってことが全員に共有されて、その場が作られていく。
それが授業を構成する要素のひとつだとしたら、今までろくに大学の授業を受けたことがなかったんだな、と少々大げさなことを思った。

夏休みには、初めてキャンプ込み長期サイクリングに行った。
あり得ないくらい楽しくて、これを1年生で経験できている2022年入学世代が羨ましくなった。

でもそれを言ってもしょうがない。

***

そう、しょうがない。
諦めるのがうまくなったんだと思う。

怒りも絶望も悲しみも悔しさも、そういうフラストレーションはエネルギーを消耗する。
エネルギーを消耗すると、バッテリーは疲弊して、どんどん最大値が削られる。

わたしの能力は、酷く衰えたと思う。

集中力とか、好奇心とか、冒険心とか。

耐えることと諦めることはうまくなったような気がする。
それは、コロナのせいなのかはわからないけど。

スマホのせいかもしれないし、YouTubeのせいかもしれないし、Twitterのせいかもしれない。
たぶん怠惰なわたしのせいなんだけど。

とにかく、コロナ禍に大学生を経験しているわたしが、その期間に経験した変化に、ポジティブなものはそう多くない、気がする。
少なくとも、2023年の5月のわたしは、そういう文章を書きたい気分みたいだ。

楽しくふるまうことはできる。充実した気分にもなれる。

なにかをうまく忘れたり、諦めたりしているような気もする。

しらんけど。

ちなみにここまでの文章は、わたしの記憶だけで書いている。
正しくない部分(特に時系列)があったらすみません。

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本当はここまでで文章を終わりにするつもりだったのだが、なんだかフェアじゃない気がしたので、コロナにもかかわらず楽しんでいたわたしの大学生活の自慢をする。順不同です。

学生証を使って、美術館や博物館に行った。
映画も見た。
大学で何人もともだちや知り合いができた。
社会人楽団に所属し、地方公演や企画公演も含め、何回も演奏会の舞台に立った。
小/中高/大・現在の居所を問わず、友人と会ったり、泊めてもらったり、ご飯を食べに行ったりした。
「飲み会」を経験した。ちなみに嫌い。
空が綺麗だった。
期末レポートのために大学図書館にこもったり、何十冊も借りたりした。
プリン好きを自覚した。
サイクリングで北海道から沖縄まで、全国各地に旅行に行った。のべ2か月くらいにはなると思う。しっかりGoToトラベルや旅行支援の恩恵は受けている。
バイトを始めて、労働で稼いでる。
成人式や同窓会はあった。
母校に遊びに行った。
写ルンですを始めた。
我が物顔でキャンパスの芝生で昼寝をしたり、本を読んだり、楽器を弾いたりしてる。
あじさいが綺麗だった。
行きたかった場所に行った。
欲しかった本を買った。
他。

大学の方針、お住まい、同居している人の事情、などなど、で我慢することが多かった人に比べて、びっくりするくらいちゃんとダイガクセーをしてきたんだと思う。
それはそう。たぶん。

しらんけど。
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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。
また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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